Jaadugar

4.5
Jaadugar

 インド映画は元々、あらゆる娯楽要素が詰め込まれた「マサーラー映画」を特徴としていたが、21世紀に入り、国際化を目指すヒンディー語映画はハリウッドが得意とするジャンルの映画を作り始めた。その中でもっとも成功しているジャンルのひとつがスポーツ映画だ。新時代の開拓者となった「Lagaan」(2001年/邦題:ラガーン~クリケット風雲録)を皮切りに、クリケット、サッカー、ホッケー、ボクシング、レスリングなど、様々なスポーツが映画の題材として取り上げられるようになった。

 2022年7月15日にNetflixで配信開始された「Jaadugar(手品師)」は、サッカーを題材にしたスポーツ映画に分類することができる。世界でもっとも多くの競技人口を誇るサッカーだが、インドではクリケット人気に押され、それほど盛んにプレイされるスポーツではない。過去にヒンディー語で作られたサッカー映画といえば「Dhan Dhana Dhan Goal」(2007年)や「Jhund」(2022年)が思い浮かぶが、クリケットに比べたら映画の題材になることは少なく、その点でもインドにおけるサッカー人気の低さがうかがわれる。とはいえ、一部地域ではサッカーはクリケットを凌ぐ人気を誇っており、「Jaadugar」の舞台になったマディヤ・プラデーシュ州の小都市ニーマチも、そんなサッカー・ホットスポットのひとつである。

 また、「Jaadugar」という題名も気になるところだ。これはメタファーではなく、本当に手品師が主人公の映画である。手品師とサッカー、この2つが軸となって展開するユニークな映画になっている。英題は「Love Goals」、邦題は「マジシャン ミラクルはすぐそこに」になっているが、英題では手品師が主人公の映画というアピールが抜け落ちてしまっている。邦題があるということは、嬉しい日本語字幕付きである。

 監督はサミール・サクセーナー。基本的にTVドラマを撮ってきた監督であり、映画の撮影は初のはずである。主演はジテーンドラ・クマール。TVドラマ「Kota Factory」(2019年~)や「Panchayat」(2020年~)、それに映画「Shubh Mangal Zyada Saavdhan」(2020年)などで頭角を現した新世代の男優である。ヒロインのアールシ・シャルマーは、「Tamasha」(2015年)や「Love Aaj Kal」(2020年)に脇役として出演していた女優である。メインヒロインを演じるのは初だ。

 その他のキャストは、ジャーヴェード・ジャーファリー、マノージ・ジョーシー、ルクサール・ディッローン、アジャイ・メヘラー、ショーン・ザガデー、ラクシャー・パンワル、イムラーン・ラシードなどである。

 マディヤ・プラデーシュ州ニーマチでは、1951年アジア競技大会の男子サッカー決勝戦で決勝点を上げたニーマチ出身のサッカー選手シュリーカーント・ダボールカルの影響でサッカーが盛んだった。地区対抗のダボールカル杯も開催されていた。だが、ミーヌー(ジテーンドラ・クマール)はサッカーが大嫌いだった。ミーヌーの父親は地元で有名なサッカー選手だが、グワーリヤルに遠征にいったときに交通事故で母親共々亡くなっており、ミーヌーはサッカーを敵視していた。叔父のプラディープ(ジャーヴェード・ジャーファリー)は遺志を継ぎ、地元チーム「アーダルシュナガル・パンサーズ」の監督としてダボールカル杯優勝を目指したが、チームの士気は低く、万年最下位だった。

 ミーヌーは、ジャードゥーガル・チャーブラー(マノージ・ジョーシー)というニーマチ出身の手品師にあこがれ、彼を師と仰いで、手品師を目指していた。イッチャー(ルクサール・ディッローン)という恋人に振られたばかりだが、新たにディシャー(アールシ・シャルマー)という眼科医に恋をし、彼女を口説いていた。だが、ディシャーは父親の意思に反して医者と駆け落ち結婚し、そして離婚した過去を持っていた。よって、ディシャーは、父親の意思に反して再婚しないと決めていた。ミーヌーはディシャーの父親に彼女との結婚を直談判に行くが、なんと彼女の父親はジャードゥーガル・チャーブラーだった。チャーブラーはミーヌーに、娘との結婚を認めるために2つの条件を出す。1つめの条件は、ダボールカル杯決勝戦進出だった。

 ミーヌーは俄然サッカーの練習を張り切り出す。プラディープはチーム名を「アーダルシュナガル・スィカンダルズ」に変更していた。また、彼はサッカーがうまい清掃人リジュ(ショーン・ザガデー)を引き込んでいた。彼はアーダルシュナガル在住ではなかったが、無理矢理住まわせて登録してしまった。また、プラディープが自殺未遂をしたことで、チームメンバーも団結し、優勝目指して練習を始める。

 ダボールカル杯が始まった。アーダルシュナガル・スィカンダルズは、リジュの活躍もあって、生まれ変わったようにプレイし、勝利を重ねた。そして決勝戦まで進出する。また、チームメンバーはミーヌーの手品ショーにも協力する。

 1つめの条件をクリアしたミーヌーに対し、チャーブラーは2つめの条件を出す。それは決勝戦で負けることだった。チャーブラーは、家族と愛のどちらを取るか、彼に試練を出したのだった。ミーヌーはリジュの正体を密告して彼を追い落とし、決勝戦では密かにスィカンダルズの妨害をした。そのため、彼らは負けそうになる。だが、ミーヌーがわざと負けようとしていることがばれてしまう。彼に対しチームメンバーは、ミーヌーの結婚のためにわざと負けることを受け入れる。それを聞いたミーヌーは考え直し、ペナルティーキックで催眠術を駆使してダボールカルの再来を思わせるゴールを決める。このゴールで同点に持ち込んだものの、最後は競り負けてしまう。だが、観客はスィカンダルズの健闘を称える。

 サッカーと手品という2つの全く異なる要素を融合させて創り上げられた不思議なストーリーであったが、真の主題は、インド映画の定番である、愛であった。主人公のミーヌーは、ヒロインのディシャーに対する恋愛を成就させるため、図らずも愛とは何かを追究する道を歩む。そのお膳立てをしたのが、ディシャーの父親であり、ミーヌーの手品の師匠でもあったチャーブラーであった。チャーブラーは、ミーヌーの愛がまだ独りよがりなものでしかないことを見抜き、彼に敢えて2つの試練を与えることで、それに自ら気付かせようとする。チャーブラーがミーヌーに気付かせようとしたのは、愛とは自己犠牲であるという真理であった。

 ミーヌーは、手っ取り早く成果を求めるZ世代の若者を代表しているように見える。彼は愛でも手品でもすぐに成果を求めた。「手品は心を楽しませるもの」と語るミーヌーに対し、チャーブラーは、「手品は心を勝ち取るもの」と返し、それは愛でも同じことだと諭す。そして、チャーブラーは2つの試練を通して彼にそれを実体験として実感させようとした。

 ミーヌーは、第一の条件であるダボールカル杯決勝進出を実現する。両親が死ぬきっかけになったサッカーに真剣に取り組むことは、確かに彼にとって犠牲を払う行為であった。だが、彼はディシャーを手に入れたい一心でそれを乗り越えることができた。次に提示された第二の条件は彼にさらに大きな犠牲を強いた。決勝戦での敗退。それは、父親の夢を実現させようとする叔父の信念や、試合を通して家族同然の絆を結んだサッカーチームの仲間たちを裏切る行為であった。愛を取るか、家族を取るか。ミーヌーは迷わず愛を取り、わざと負けるように仕掛ける。だが、ミーヌーは最後の最後で愛の意味を知り、自分の愛を犠牲にして大きな愛を示そうとする。

 サッカーと手品を見事に融合させ、あらゆる伏線を回収しながら結末まで持って行っており、よく計算されたストーリーであった。前半は多少冗長もしくは非現実的だと感じられる時間帯があったのだが、後半になるとぐっと引き締まる。サッカーの試合を丁寧に描いていることもあって、2時間47分もある映画だが、長さは感じさせない。Netflixオリジナルのインド映画の中では容易に名作の部類に入る作品である。

 メインストーリーの以外に、2つの設定が興味を引いた。ひとつはリジュの存在である。彼は、路上で生活し、清掃を生業とすることから、ダリト(不可触民)であることが暗示されていた。だが、サッカーの腕前は抜群で、プラディープは頭数合わせもあって彼をチームに引き入れる。「Lagaan」でもダリトをチームに引き入れるシーンがあったが、当初はチームメンバーたちから猛烈な反対があった。「Jaadugar」でもそういう展開になるかと予想したが、意外にスィカンダルズのメンバーは彼の不可触民性を全く問題視せず、逆に試合で活躍する彼を大切なチームメンバーとして考えるようになっていた。むしろ、彼がダリトであることはストーリーにほとんど影響を与えていなかった。「Lagaan」から20年が過ぎ、ヒンディー語映画におけるダリト像が大きく変わったことを示している。

 もうひとつはスィカンダルズの紅一点、ディーパーの存在である。ディーパーは元々女子サッカー州代表を務めており、チームの中ではリジュを除けばもっともサッカー選手らしい身のこなしをしていた。ディーパーは額のスィンドゥールからも分かるように既婚女性だったが、夫が二人の子供の面倒を見ていたため、彼女はサッカーに集中できていた。しかも夫は非常に献身的だった。妻の趣味を夫が支えるという家族の在り方も非常に現代らしい。

 また、これは完全にメインストーリーに重なるが、ディシャーに離婚経験があるということを知っても全く気にせずにディシャーに求婚し続けるミーヌーの姿からも、非常にリベラルなものを感じた。インドの伝統的な価値観では、男性の再婚は認められても、女性の再婚は認められにくい。「Jaadugar」に盛り込まれたヒロインのこの特殊な設定も非常に現代的と表現できるのだが、ここまで来ると意図的にリベラルな思想を発信しようとしている作品にも映る。

 主演のジテーンドラ・クマールは、いかにもインドの街角にいそうな一般的な外見をした男優である。今まで彼が演じてきたのは、その外見にふさわしい、一般的なインド人男性役ばかりであった。今回も一般人といえば一般人なのだが、ナンパの仕方が顔に似合わないプレイボーイ振りで、そこだけ違和感があった。彼の演技が悪かったというわけではないが、もう少しプレイボーイ風の男優を起用しても良かったのかもしれない。

 叔父のプラディープを演じていたジャーヴェード・ジャーファリーはコメディアン俳優として有名で、ヒンディー語版「Takeshi’s Castle」のナレーションも務めている。マシンガントークが得意なのだが、この映画で彼はなぜかどもることが多かった。演技の一環なのか、それとも何かの病気なのか、気になってしようがなかったが、劇中で彼のどもりが伏線として回収されることはなかったため、もしかしたら何か病気を抱えているのかもしれない。

 劇中では、ニーマチの英雄シュリーカーント・ダボールカルが大きくフィーチャーされていたが、実はダボールカルは架空の存在である。1951年のアジア競技大会で確かにインド代表は決勝戦でイラン代表を下して優勝し、金メダルを獲得したが、そのときのチームの選手名簿にシュリーカーント・ダボールカルまたはそれに類似した名前は見当たらない。ニーマチ出身の選手すらいないのではないか。

 この映画を観るまで、ニーマチがサッカーの盛んな町だということは知らなかった。ニーマチは医療用のケシの花が栽培されていることで知られる他、中央予備警察部隊(CRPF)の駐屯地があることでも有名だ。また、チーム名だけ出て来たが、クリシ・ウパジ・マンディーと呼ばれる大規模な農作物市場もある。ニーマチは全く観光地ではないが、訪れたことがある。

 また、ジャードゥーガル・チャーブラーのモデルになったのは、おそらくインドでもっとも有名な手品師であるPCサルカールであろう。だが、彼は西ベンガル州出身である。ニーマチ出身の有名なインド人手品師はいないはずで、この点もフィクションだと思われる。

 「Jaadugar」は、サッカーと手品という全く異質の事物をまるで手品のような手法で融合させ、ロマンス映画として昇華させた名作だ。よく観察すると、バツイチのヒロインなど、設定がインド離れした作品であることに気付く。Netflixで配信され、日本語字幕も付いているため、広範な観客が楽しむことができることもポイントが高い。必見の映画である。