2021年12月10日公開の「Velle(役立たずたち)」は、複数のエピソードが絡み合うコメディータッチのクライムサスペンス映画だ。テルグ語映画「Brochevarevarura」(2019年)のリメイクである。
アジャイ・デーヴガン・フィルムス提供の映画であるが、プロデューサー陣にアジャイ・デーヴガンの名前はない。監督はデーヴェーン・ムンジャル。過去に「Ra.One」(2011年/邦題:ラ・ワン)の助監督を務めているが、監督は初となる。
キャストは、アバイ・デーオール、モウニー・ロイ、カラン・デーオール、サーヴァント・スィン・プレーミー、ヴィシェーシュ・ティワーリー、アンニャー・スィン、マヘーシュ・タークル、ザーキル・フサイン、ラージェーシュ・クマール、アヌラーグ・アローラーなどである。
特筆すべきはサニー・デーオールの息子カランが出演していることだ。アバイはサニーの従兄弟にあたるため、アバイにとってカランは従甥になる。過去に「Pal Pal Dil Ke Paas」(2019年)で主演を張ったが、ほとんど話題にならなかった。
映画監督を目指すリシ(アバイ・デーオール)はスター女優のローヒニー(モウニー・ロイ)と知り合いになり、彼女に映画の構想を話す。二人は近い関係になる。 一方、高校に通う落ちこぼれ三人組のラーフル(カラン・デーオール)、ランボー(サーヴァント・スィン・プレーミー)、ラージュー(ヴィシェーシュ・ティワーリー)は、校長の娘リヤー(アンニャー・スィン)と仲良くなり、一緒に遊ぶようになる。リヤーはダンサーを夢見ていたが、厳格な父親ラーデーシヤーム(ザーキル・フサイン)は決してそれを認めなかった。父親に内緒でダンスを習おうとするが、お金が必要だった。そこでラーフル、ランボー、ラージュー、リヤーの四人は、狂言誘拐をしてラーデーシヤームから80万ルピーを奪う計画を立てる。 計画はうまく行き、彼らはまんまとラーデーシヤームから80万ルピーを手に入れる。リヤーはそのお金を持ってデリーへ行き、ダンスを習い始める。また、ラーフル、ランボー、ラージューは、リヤーにセクハラをした塾講師を殴って病院送りにする。ところが、リヤーはランディール(アヌラーグ・アローラー)の一味に本当に誘拐されてしまう。リヤーが父親への連絡を拒否したため、ランディールはラーフルに電話をし、100万ルピーの身代金を要求する。リヤーが持っていた80万ルピーはランディールたちに見つかっていなかった。 ラーフル、ランボー、ラージューが塾講師を殴ったときに、とばっちりを食って頭を打ち怪我をしたリクシャーワーラーは、実はリシの父親だった。その手術に100万ルピーが必要だった。ローヒニーはマネージャーのラーケーシュに言って100万ルピーを用意させるが、その金はラーフル、ランボー、ラージューに奪われてしまう。 リヤーの身代金を手に入れたものの、ラーフルは携帯電話をなくしてしまい、ランディールと連絡が取れずにいた。期限までに身代金を渡せなかったらリヤーは売春宿に売られてしまう。彼らは必死に携帯電話を探す。その途中で彼らはリヤーのバッグを持った少女を見つける。ランディールの一味の娘だった。彼らはそのバッグの中に80万ルピーが入っているのを見つける。また、リシはラーフルの携帯電話を見つける。リシはラーフルを捕まえようとするが、逃げられてしまう。 リヤーは売春宿に売られようとしていたが、途中でリシに助けられる。ラーフル、ランボー、ラージューは、80万ルピーをラーデーシヤームに返し、100万ルピーをローヒニーに返した。
この映画の肝となっているのは、リシのエピソードとラーフルのエピソードが同一世界で起こっている出来事であることが中盤まで伏せられている点である。あたかもリシがローヒニーに、映画のストーリーを語っているかのように、ラーフルのエピソードが語られる。よって、ラーフル、ランボー、ラージュー、リヤーのエピソードはリシの空想だと思い込んでしまう。リシのエピソードとラーフルのエピソードが現実世界で交錯するのがインターバル前後であり、大きな転換点になっている。
よって、中盤以降はなかなか緊迫感あふれる展開になっていたのだが、そこに辿り着くまでは陳腐な筋書きで退屈だった。映画監督を目指す若者の物語は何の変哲もないものであるし、仲良し学生三人組が巻き起こす珍騒動というのも「3 Idiots」(2009年/きっと、うまくいく)などさんざん使い古されてきたプロットだ。狂言誘拐のつもりが本当に誘拐されてしまうという展開も過去に「Tere Naal Love Ho Gaya」(2012年)や「Barfi!」(2012年/邦題:バルフィ!人生に唄えば)など先例がある。
基本的にはコメディー映画かつスリラー映画であるが、センチメンタルな要素もあった。それはラーデーシヤームとリヤーの親子関係である。ラーデーシヤームはリヤーを厳しく育てており、自分が校長を務める学校に入学させた。だが、ダンサーになりたいリヤーは勉強に身が入らず、ラーデーシヤームから叱られてばかりいた。母親は既に亡くなっていた。詰まるところ、ラーデーシヤームとリヤーの関係は冷え切ったものになっていた。
リヤーは、ラーデーシヤームの友人である塾講師からセクハラを受け、それを父親に報告するが、ラーデーシヤームはまた娘が勉強したくない言い訳をしていると決め付け、まともに彼女の話を聞こうとしない。友人で警察官のラジニーからたしなめられ、ようやくラーデーシヤームは娘の訴えが本当だったことに気付く。一方で、娘が誘拐されたときに彼は何の迷いもなく身代金を用意し、誘拐犯に渡した。それは、彼の娘に対する愛情を証明していた。ラーフルからそれを知らされたリヤーは、父親に対する考えを変える。ランディールから解放されたリヤーは警察署まで迎えに来たラーデーシヤームと抱き合う。この二人の関係改善は、映画の感情的なハイライトだ。
なぜかほとんどの登場人物の名前が「R」から始まっていた。リシ、ローヒニー、ラーフル、ランボー、ラージュー、リヤーなどなどである。ラーフル、ランボー、ラージューは「3R」を自称しており、リヤーを仲間に加えて「4R」になった。その辺りまでは理解できるのだが、その他の登場人物の名前を「R」から始める意味があったのかと問われれば、なかったと答えるしかない。せっかくそういう設定をしたのだから、何かの伏線にしたり、ストーリーに絡めたりすれば面白かった。
「Velle」は、サニー・デーオールの息子カラン・デーオールをローンチするための映画と捉えて間違いないだろう。アバイ・デーオールが起用されたのも、デーオール家の相互扶助であろう。しかしながら、スターの息子が必ずしもスターになれるとは限らないのがインドの映画界である。残念ながらカランは特別容姿に優れているわけでもないし、何か特技があるようにも見えない。今のところ、将来性はないと評せざるをえない。
「Velle」は、立ち上がりこそ弱いものの、中盤に大きな転換点があり、後半からなかなか面白くなる。そのおかげでスリラー映画として見応えがあり、コメディーも秀逸だ。主演カラン・デーオールにスター性があれば言うことなかったのだが、残念ながら彼の貢献は感じられなかった。アバイ・デーオールやその他の脇役陣が何とか支え、成立していた映画である。