The Film Emotional Atyachar

3.0
The Film Emotional Atyachar
「The Film Emotional Atyachar」

 インドが世界に誇る音楽家ARレヘマーンが作曲した、「Slumdog Millionaire」(2008年)の挿入歌「Jai Ho」が世界を席巻しているとき、インドでは新進気鋭の音楽家アミト・トリヴェーディー作曲の、ヒンディー語映画「Dev. D」(2009年)の挿入歌「Emosanal Attyachar」が大ヒットしていた。インドの結婚式にお決まりのブラスバンド・サウンドをうまくモダンなダンスミュージックに仕立て上げたユニークな曲であるだけでなく、その奇妙奇天烈な題名もインド人の壺にはまった。英語の「Emotional(感情的)」の訛った形に、固い印象のあるサンスクリット語からの借用語「Attyachar(虐待)」をくっつけ、何とも言えない不協和音を生み出していたのである。この造語は映画音楽を越えて一人歩きし、「Emotional Atyachar」というタイトルのテレビ番組も登場した。そして今度は同名の映画まで作られることになった。テレビ番組と差別化するために「The Film Emotional Atyachar」となっている。2010年9月3日公開、監督は新人のアクシャイ・シェーレー。キャストの顔ぶれはなかなか面白い。

監督:アクシャイ・シェーレー(新人)
制作:ヴィジャイ・グッテー
音楽:マンゲーシュ・ダードケー、バッピー・ラーヒリー
歌詞:アミターブ・バッチャーチャーリヤ、ヴィラーグ・ミシュラー
出演:カルキ・ケクラン、ラヴィ・キシャン、ランヴィール・シャウリー、ヴィナイ・パータク、アビマンニュ・スィン、モーヒト・アフラーワト、アーナンド・ティワーリー、ナスィール・アブドゥッラー、スネーハル・ダービー、ラージクマール・カノージヤーなど
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。

 深夜のゴア・ムンバイー・ハイウェイ。ヒテーン(アーナンド・ティワーリー)は銃弾を受けて傷だらけの男ヴィクラム・ジャイスワール(モーヒト・アフラーワト)をヒッチハイクする。この男の身に一体何があったのか?徐々に謎が明かされて行く・・・。

 ヴィクラムはムンバイー在住の実業家であった。父親から譲り受けた会社を経営するヴィクラムは、カンナー(ナスィール・アブドゥッラー)という人物から出資を受けて新規事業を始めようとしていた。ところが土壇場になってカンナーは出資を拒否し、ヴィクラムは多額の資金の調達を余儀なくされる。ゴアに住む叔父からの資金調達交渉に成功したヴィクラムであったが、ゴア行きの飛行機に乗り遅れてしまう。交渉をまとめて金を受け取るには、翌日10時までにゴアに着く必要があった。ヴィクラムは仕方なく自動車を走らせ、ゴアへ向かう。

 一方、ゴアでは、悪徳警察官のジョー(ヴィナイ・パータク)とレスリー(ランヴィール・シャウリー)が、カジノのオーナー、ボスコ(アビマンニュ・スィン)から借金の取り立てをしていた。ボスコは3日の猶予を与えられた。レスリーはボスコの恋人ソフィー(カルキ・ケクラン)に恋しており、これを機にソフィーを我が物にすることを狙っていた。ボスコはムンバイーの実業家とカジノのパートナー契約を結び、2億ルピーの資金調達に成功する。ジョーとレスリーがソフィーを人質に取っている間、ボスコはムンバイーに資金を受け取りに行く。

 一方、ムンバイー。小悪党のジュニア・バーイー(ラヴィ・キシャン)は、ムンバイーの某所で2億ルピーの現金受け渡しがあるとの情報を耳にし、2人の仲間ゴーティー(スネーハル・ダービー)とピチュクー(ラージクマール・カノージヤー)と共に強盗を計画する。受け渡しをしていたのはカンナーとボスコであった。三人は殺しはしない予定だったが、手違いで発砲してしまい、カンナーとボスコを殺してしまう。ゴーティーも反撃の銃弾を受けてしまうが、ジュニア・バーイーらは2億ルピーの入ったバッグを持ち去り、ワゴン車に乗ってゴアへ向かって逃亡する。

 その途中、ゴーティーが危篤状態となり、とうとう死んでしまう。ジュニア・バーイーは自動車を止め、ピチュクーと共に死体を森林に捨てる。そして気が動転していたピチュクーも殺す。しかし、この間にヴィクラムがちょうど通りがかり、道端に停めてあったワゴン車の中に20億ルピーの入ったバッグを見つける。迷ったヴィクラムであったが、大金を必要としていたヴィクラムはそれを猫ばばすることに決める。それに気付いたジュニア・バーイーは追いかけようとするが、ワゴン車の鍵が見つからず、走って追いかける。だが自動車に追いつけるはずもなく、途中で力尽きて道の真ん中に倒れてしまう。

 一方、ジョーとレスリーに人質に取られていたソフィーは、自分に気のあるレスリーを何とか手玉に取っていた。現実的なジョーは問答無用でレイプしてしまえばいいと忠告していたのだが、中途半端にロマンティックなレスリーはソフィーの気を引こうとしていたのである。だが、ソフィーは隙を見て逃げ出す。橋から河に飛び込み、森林を走り抜けたソフィーは、道端に自動車を停めてこれからどうしようか迷っていたヴィクラムを見つける。ソフィーはヴィクラムの頭を殴って自動車を奪おうとするが、ヴィクラムは気絶しなかった。ソフィーはヴィクラムに、警察に追われる身であることを明かし、早く自動車を発進させるように促す。自分を攻撃したソフィーのことを不審に思っていたヴィクラムだが、ひとまず彼女の言うことを聞き、車を走らせる。ところがジョーとレスリーに追い付かれてしまい、ヴィクラムは逆さ吊りにされ拷問を受ける。当然2億ルピーの入ったバッグも見つかってしまう。

 この期に及んでもレスリーはソフィーに誘惑されていた。ソフィーは、ボスコのことは忘れて、20億ルピーを山分けにしようと提案する。それを真に受けたレスリーはジョーをだまし討ちする。だが、ヴィクラムには逃げられてしまう。その後しばらくヴィクラムの自動車に乗って一緒に逃げていたソフィーとレスリーであったが、隙を見てソフィーはレスリーを殺し、道端に突き落とす。しばらくソフィーは自動車を運転していたが、道の真ん中に寝転んでいたジュニア・バーイーを轢いてしまい、そのままバランスを崩して路傍の木に激突して死んでしまう。

 ここから現在の時間軸に戻る。ヴィクラムはヒテーンの自動車に乗せてもらい、ムンバイーを目指す。その途中、自分の自動車が道端で事故に遭って止まっているのを見つける。運転席にはソフィーの遺体もあった。後部座席を見ると、20億ルピーの入ったバッグがあった。ヴィクラムはそれを持って再びヒテーンの自動車に乗り、ムンバイーへ連れて行ってもらう。

 ムンバイーに着いたヴィクラムは病院に直行し、治療を受ける。フィアンセのアイシュワリヤーもそこへ駆けつける。ヴィクラムの手元にはしっかり20億ルピー入りのバッグがあった。

 大金や高価な品物が複数の登場人物の間で行ったり来たりするストーリーは、ドタバタコメディー風の「Apna Sapna Money Money…?」(2006年)や、スリラー風の「Sankat City」(2009年)など、味付けはそれぞれ違えど、ヒンディー語映画でも過去にいくつか作られて来た。「The Film Emotional Atyachar」はシニカルな笑いで味付けしたスリラーだと言える。

 「The Film Emotional Atyachar」に特徴的なのは、今やヒンディー語映画でもごく一般的ではあるが、時間軸が「現在」と「過去」を行き来し、事件の全貌が徐々に明らかになって行く手法である。「現在」のシーンは、ゴア・ムンバイー・ハイウェイを舞台に、ヒテーンが銃創を負ったヴィクラムを助け、彼に話しかけることで進行する。「現在」のシーンの冒頭には時刻が表示され、特徴的なハイウェイのシーンが入るため、ある程度映画が進めば「これは『現在』のシーンだな」と判別できるようになっている。過去のシーンではゴア、ムンバイー、そしてゴア・ムンバイー・ハイウェイ上を舞台にし、各登場人物が20億ルピーにどう関わり、どのように20億ルピーが持ち主を変えて行ったのかが断片的に明かされる。20億ルピーに関わるのは主に、カンナー、ボスコ、ジュニア・バーイー、ヴィクラム、ソフィー、ジョー、レスリーの七人である。彼らが連鎖的に関連し合っており、最終的には唯一生き残ったヴィクラムが20億ルピーを手にするというプロットである。ヴィクラムが20億ルピーを手にする正当性は極めて希薄だ。道端で見つけた20億ルピーを猫ばばしており、特に善人でもない。ストーリーに特にメッセージは込められておらず、純粋に緊迫感を楽しむ作品となっている。

 ただ、題名となっている「感情的虐待」とストーリーのつながりはあまりないように思える。確かにこの映画には比較的残虐シーンが多い。登場人物のほとんどが死亡するだけでなく、死に方もホラー映画並にスプラッターなものがいくつかある。しかし、それらはどちらかというと「視覚的虐待」であり、「感情的虐待」とはほど遠い。もし観客に「感情的虐待」を提供することを目的とした映画だったとしたら、この映画は失敗作だと言える。最近の映画でもっとも「感情的虐待」を感じたのは「Aisha」(2010年)だ。

 癖のある俳優たちの共演は面白かった。カルキ・ケクランは「Dev. D」でデビューしたフランス系インド人女優。外見は完全に白人だが、プドゥッチェリー(ポンディシェリー)近郊の実験都市オーロヴィルに定住したフランス人ヒッピー夫婦の間に生まれ、インドで育っており、国籍もインドのようである。「Lagaan」(2001年)以来、ヒンディー語映画には幾ばくかの白人俳優がかなり重要な役で出演して来たが、誰も定着しなかった。だが、カルキだけはインド国籍であることもあり、今後も活躍して行きそうである。アンニュイな雰囲気も独特であるし、何より舞台で研鑽を積んだ彼女の演技力はかなり信頼性が高い。「The Film Emotional Atyachar」は彼女のヒンディー語映画出演第2作となるが、今後も彼女の出演作は続く予定である。

 ラヴィ・キシャンはボージプリー語映画の大スター。曲者俳優としてヒンディー語映画にもちょくちょく顔を出しており、ネットリとした気味悪さを全開させている。普段は得意のボージプリー語(ヒンディー語の一方言)をしゃべりまくるのだが、本作ではムンバイヤー・ヒンディーを流暢に使いこなしており、芸幅の広さを披露している。ランヴィール・シャウリーやヴィナイ・パータクも既にヒンディー語映画ファンにはお馴染みの名優。二人がペアを組んだのはおそらく初めてだろうが、コンビネーションは抜群であった。アビマンニュ・スィンは「Gulaal」(2009年)で注目を集めた骨太の男優。以上に挙げた俳優たちが持ち味を活かした非常に素晴らしい演技をしていた。

 一人、懐かしい顔があった。それはモーヒト・アフラーワト。ラーム・ゴーパール・ヴァルマーの秘蔵っ子として「James」(2005年)や「Shiva」(2006年)で主演したのだが、全く芽が出なかった。まだ俳優業を続けていたことが驚きである。悪くはなかったが、他の曲者俳優の中に入ってしまうとインパクトに欠ける。将来性はあまりないだろう。

 2時間以下の短い映画で、ダンスシーンなどはほとんどなかった。カルキ・ケクランが妖艶な踊りを見せる「Chitka Hua」ぐらいである。しかしBGMなどはとても効果的に入っており、スリルある展開を盛り上げていた。

 「The Film Emotional Atyachar」は、曲者俳優たちの豪華共演と、緊迫感ある展開を楽しむスリラー映画である。残虐シーンが多いので家族向けではないし、時間軸の行き来が激しいので単純なストーリーしか理解できない大衆向けでもないが、多くの登場人物が相互に絡み合っている割には一応スッキリとまとまっており、マルチプレックス向けの佳作だといえる。必ずしも観る必要はないが、観てもつまらないとは感じないだろう。