Leila

4.5
Leila
「Leila」

 2014年の下院総選挙でインド人民党(BJP)が勝利し、3期にわたってグジャラート州の州首相を努めてきたカリスマ政治家ナレーンドラ・モーディーが首相に就任した。当初は、パーキスターンのナワーズ・シャリーフ首相を首相就任式に招いたり、独立記念日スピーチでトイレの不足がインドの教育に多大な悪影響を及ぼしていることを鋭く指摘したりと、評価されることが多かった。

 しかしながら、2016年のウーリー襲撃事件などをきっかけに印パ関係は悪化し、過激な牛保護運動や異宗教間結婚の規制など、イスラーム教徒に対する締付強化と取れる動きが広がった。5年後の2019年に行われた下院総選挙でもBJPは圧勝し、モーディー首相の2期目が始まった。ヒンドゥー教至上主義を掲げるBJP政権が長期化する中で、インド社会にイスラーム教徒に対する不寛容がますます拡大していると各方面から警鐘が鳴らされるようになった。映画業界も例外ではない。モーディー首相やヒンドゥー教を批判するような内容の映画がバッシングを受けるようになり、代わってモーディー首相の政策を礼賛するような内容の映画が目立つようになった。

 そんな中、インドでは「OTT(Over The Top)」と呼ばれる、動画をストリーミング配信するプラットフォームが勢力を拡大した。Netflix、Amazon Prime Video、Hotstarなどが代表である。そして、それらの中からヒット作や話題作も生まれるようになった。インド初のNetflixドラマ「Sacred Games」(2018年~/邦題:聖なる聖戦)がもっとも早い例だ。ポイントとなるのは、映画が中央映画認証局(CBFC)によって検閲を受ける一方で、映画館などを介さずOTTプラットフォームで直接公開される作品についてはCBFCの縛りを受けないという点である。そのため、OTT作品では映画に比べて自由な作品作りの余地が生まれた。映画にしにくいテーマはOTTで試されることになり、結果として現政権批判色の強いOTT作品が目立つようになった。

 BJPが下院総選挙で圧勝した直後の2019年6月14日からNetflixで配信開始された「Leila」も、BJP批判としか受け止められない政治的なネットドラマだ。プラヤーグ・アクバル著の同名小説(2017年)を原作としている。2040年のインドが舞台になっているが、全く明るい未来は提示されていない。BJP政権がこのまま続くとインドがどんな国になるかを暗示した、ディストピア作品である。日本語字幕も付いており、邦題は「レイラ」になっている。

 シーズン1は全6話構成で、第1話と第2話をディーパー・メヘター、第3話と第4話をシャンカル・ラマン、第5話と第6話をパワン・クマールが撮っている。メヘター監督は「Fire」(1996年)、「Earth」(1998年)、「Water」(2007年)のエレメント三部作などで知られるインド系カナダ人女性監督だ。これまでインドの恥部をえぐるような映画を作り、物議を醸してきた。ラマン監督は「Gurgaon」(2017年)で知られている。クマール監督はカンナダ語映画界をベースとする監督だ。

 主演はフマー・クライシー。「Gangs of Wasseypur」シリーズ(2012年/Part 1Part 2)でデビューし注目された女優で、その後もコンスタントに映画に出演している。他に、スィッダールト、スィーマー・ビシュワース、ラーフル・カンナー、サンジャイ・スーリー、アーリフ・ザカーリヤー、ネーハー・マハージャン、アーダルシュ・ゴウラヴ、アシュワト・バット、インドゥ・シャルマー、アーカーシュ・クラーナーなどが出演している。

 舞台となるのは2040年のインドだが、国名は「アーリヤーヴァルタ」に変更されている。これは「アーリヤ人の土地」という意味で、「バーラト」や「ヒンドゥスターン」と同じく、インド亜大陸に成立した国家やその土地について、歴史上で実際に使われていた地名である。架空の国の話ではない。なぜならマハートマー・ガーンディーの肖像やタージマハルが出て来るからである。つまり、インドは2040年までの間に「アーリヤーヴァルタ」と国名変更されたという設定だ。

 アーリヤーヴァルタは地区ごとに高い壁で分断されており、国民の往き来は厳しく制限されている。政治地区、商業地区などの名前が見えた。壁の中に住む人々の手首にはチップ入りのタトゥーが彫られ、それで管理されていた。壁の外にはスラム街が広がっており、「汚れ」と呼ばれる下層民が不衛生な生活をしていた。政府によって水が厳しく管理されており、人々は水を巡って争いを繰り広げていた。

 アーリヤーヴァルタはジョーシージー(サンジャイ・スーリー)というカリスマ政治家によって支配されていた。街の至る所にジョーシージーの肖像画や銅像があり、ジョーシージー批判は御法度だった。右手の人さし指と中指を伸ばして左胸に当て、お互いに「アーリヤーヴァルタ万歳」と言い合うのが人々の定型的な挨拶になっていた。

 主人公はシャーリニー(フマー・クライシー)。アーリヤーヴァルタの壁の中に住んでいる上位クラスの女性であった。アーリヤーヴァルタには身分制度があり、シャーリニーは「カテゴリー5」と呼ばれる身分であった。もちろんカースト制度にもとづいた身分制度であろうが、映画の中で詳細は説明されない。ただ、セリフの端々から察するに、カテゴリー5は高い身分のようであった。

 また、シャーリニーはヒンドゥー教徒であった。シャーリニーが結婚したのはイスラーム教徒のリズワーン(ラーフル・カンナー)で、二人の間にはレイラという娘が生まれていた。このレイラが作品の題名になっている。

 ジョーシージーの全体主義的・純血主義的な政策はどんどん先鋭化していった。彼はタージマハルの破壊まで行うが、その理由もイスラーム教徒為政者によるイスラーム教建築だからだろう。そして遂に異宗教間結婚をした者が排除される法律が可決された。シャーリニーの家は襲撃され、リズワーンは殺され、シャーリニーは更正施設に連行される。そしてレイラは行方不明になる。

 シーズン1は、シャーリニーが一人娘のレイラを探す過程が描かれる。水が高価な時代において、シャーリニーの家庭はプールを所有できるほど裕福だった。しかし、リズワーンが殺され、最愛の娘と引き離され、更正施設に連行されたことで彼女の人生は一気に暗転する。更正施設には他にも「犯罪」を犯した女性たちが収容されていた。レイラは何とか強制収容所を脱出し、様々な出会いを経て、ジョーシージー政権打倒を目指すレジスタンスの一員になる。だが、彼女の目的はレイラを取り戻すこと一点だった。一時はレイラが死亡したという情報を目にし崩れ落ちるるが、後に実はレイラは生きていることが確認された。スラム街住民の大量虐殺につながる「スカイドーム計画」の阻止というレジスタンスの目標と、レイラの奪還というシャーリニー自身の目的が重なり、彼女はスカイドーム落成式でジョーシージーと対峙することになる。

 シャーリニーによるレイラ奪還がひとつの軸なのだが、このドラマが本当に視聴者に見せたいのは、20年後のインド社会の有様だ。まず、未来らしい描写はほとんどない。未来というと、自動車が空を飛んでいたり、ロボットが社会の至る所に浸透して人間の生活を支えていたりと、ワクワクさせられる描写が定番だが、「Leila」が提示する2040年のインド像にはテクノロジーの進化を感じさせる事物がほとんど見当たらない。空中投影のスクリーンと生体認証チップくらいであろうか。空飛ぶ自動車どころか、ガソリン車がまだ現役だった。ロケも例えばデリーのネループレイスをそのまま使って行われており、退廃的ですらある。おそらく、予算が限られていたための苦肉の策なのだろうが、これはかえって、「発展」を旗頭に中央で政権を維持するBJPに対し、疑問を呈する効果を生んでいる。

 発展がほとんど見られない一方で環境汚染は深刻化しており、特に壁の外のスラム街は酷い有様だ。水が希少品かつ高級品になっており、人々は水のために醜い闘争を繰り広げていた。ただし、これも現在のインドとそう変わらない。今でも水道が通っていないスラム街では、人々が給水車に群がり水を奪い合う。雨水はもはや使い物にならなかった。黒い雨になっていたからだ。蛇口をひねっても黒い水が出て来る。このまま環境対策を怠れば、このような暗い未来が待っているということをまざまざと見せつけていた。

 高級地区が高い壁で区切られ、許可のない国民の往き来が制限されているのは、「ゲーテッド・コミュニティー」を揶揄していると思われる。インドの都市部では、郊外に富裕層が住む巨大な高級マンションが建てられ、その敷地は高い壁で囲まれて、ゲートにて部外者の入場が制限されている。これらは「ゲーテッド・コミュニティー」と呼ばれている。ゲートの中にいれば、まるでヨーロッパにでもいるような快適な生活が約束され、ゲートの外にあるインドの現実から逃避することができる。そういう細かく分断された逃避的な社会の行く末が、この「Leila」が描くインドの姿だと受け止められる。

 アーリヤーヴァルタの政治体制については詳しい描写がなかったが、ジョーシージーの個人崇拝的な専制政治が敷かれていることは十分にうかがい知ることができる。もちろん、ナチス・ドイツやアドルフ・ヒトラーからもヒントを得ているだろうが、モーディー首相を連想させる要素もある。シャーリニーの人生に直接関わってくるのは、ジョーシージーが打ち出した異宗教間結婚の禁止と混血児の規制だ。意外にヒンドゥー教に関連するモチーフはたくさん出て来ず、アーリヤーヴァルタがヒンドゥー教至上主義の政権であるという直接の証拠は、タージマハルの破壊などを除けば、ほとんど見られなかったが、各コミュニティーの純血を守るという政策が採られているのは確かだった。そのために、イスラーム教徒男性と結婚したヒンドゥー教徒女性のシャーリニーは違反者となり、彼らの子供は混血児扱いされることになってしまった。

 さらに、混血児は誘拐された後に闇で売買されており、子供のいない夫婦などに引き取られていた。混血児かどうかをチェックする機械まで発明されていた。

 前述の通り、カテゴリー制度については詳しい説明がなく、よく分からない。シャーリニーの旧姓がパータクであることを考えると、彼女はブラーフマンであり、よって彼女の属するカテゴリー5というのはカースト制度でいうブラーフマン階級ということになる。数字が大きいほど身分が高いという設定なのかもしれない。

 「Leila」のようにディストピアを見せることで現代の社会問題などに警鐘を鳴らす手法はインドでは珍しいかもしれない。かつて、女性がいなくなった社会を見せた映画「Matrubhoomi」(2003年)や、男性と女性の立場が入れ替わった社会を見せたネットドラマ「Man’s World」(2015年)があったが、思い付くのはそれくらいだ。

 「Leila」は、ヒンドゥー教過激派やCBFCの影響によって自由な表現がしづらくなっている映画に代わって、BJP政権が長期化する現在のインドの行く末を案じたネットドラマである。そういう意味で、今までインド映画に親しんで来た者にとっても非常に興味深い作品になっている。その内容は当然のことながらヒンドゥー教過激派たちの怒りを買ったが、ネットドラマであるため、映画館の焼き討ちなどの極端な抗議運動には発展しなかった。シーズン1では物語が終わっていないので、今後の展開に期待したい。