The Great Indian Family

4.0
The Great Indian Family
「The Great Indian Family」

 2014年にカリスマ政治家ナレーンドラ・モーディー率いる右派政党インド人民党(BJP)が中央で与党になって以来、インドではヒンドゥー教至上主義にもとづいた政策が採られ、イスラーム教徒が迫害されているといわれている。映画界にもそれが及び、BJPのイデオロギーに反する映画が作りにくくなっているのではないかと懸念する声があちこちから上がっている。しかしながら、2023年9月22日公開の「The Great Indian Family」のような、宗教融和を直球で訴える映画がまだ作られ続けていることは、決してヒンディー語映画界が黎明期以来守り続けてきたリベラルな価値観を捨てていない証明になる。

 この映画を製作したのは、ヒンディー語映画界最大のコングロマリットであるヤシュラージ・フィルムスである。つまり、プロデューサーは1990年代以来、ヒンディー語映画界のトレンドセッターとなってきたアーディティヤ・チョープラーである。監督は「Dhoom: 3」(2013年/チェイス!)のヴィジャイ・クリシュナ・アーチャーリヤ。主演は、「Sanju」(2018年/邦題:SANJU サンジュ)などのヴィッキー・カウシャルと「Samrat Prithviraj」(2022年)でデビューした元ミス・インディアのマーヌシー・チッラルである。他に、マノージ・パーワー、クムド・ミシュラー、ヤシュパール・シャルマー、サディヤー・スィッディーキー、アルカー・アミーン、アースィフ・カーンなどが出演している。

 ウッタル・プラデーシュ州バルラームプルで尊敬を集めるパンディト(僧侶)、スィヤーラーム・トリパーティー(クムド・ミシュラー)の息子として生まれたヴェード・ヴャース・トリパーティー、通称バジャン・クマール(ヴィッキー・カウシャル)は、その天才的な歌唱力から、バジャン(宗教賛歌)の歌い手として地元では引っぱりダコの人気歌手だった。バジャンは、父親、双子の妹グンジャー、叔父バーラクラム(マノージ・バーワー)、叔母ヘーマー(サディヤー・スィッディーキー)などと暮らしていた。近所に住むもう一人のパンディト、ジャガンナート・ミシュラー(ヤシュパール・シャルマー)は金儲け優先で、スィヤーラームをライバル視していた。

 バルラームプルにはヒンドゥー教徒が住んでいた。一方、バルラームプルと隣接するラクシュマンプルという町はイスラーム教徒が住んでいた。バルラームプルのヒンドゥー教徒たちはラクシュマンプルに足を踏み入れようとしなかった。しかしながら、バジャンはラクシュマンプルに住むイスラーム教徒、アブドゥルと仲良くなり、スィク教徒女性のジャスミート・カウル(マーヌシー・チッラル)と恋に落ちる。

 ある日、スィヤーラームが巡礼の旅に出た。巡礼中、スィヤーラームは携帯電話をオフにするため、連絡が付かなかった。バーラクラムが留守を預かったが、そのときスィヤーラーム宛ての手紙を受け取る。そこには、バジャンの出生の秘密が記されていた。バジャンは1992年12月7日に生まれたが、そのとき同じ病院で生まれたイスラーム教徒の子供だというのだ。家族はそれを冗談か何かだと受け止めるが、バジャンはショックを受ける。この話はジャガンナートにも伝わってしまう。早速ジャガンナートはSNSなどを使って言い触らす。バジャンが実はイスラーム教徒の息子だという話は瞬く間にバルラームプル中に広まってしまう。

 バジャンはバーラクラムと喧嘩をし、家を出る。アブドゥルの家に転がり込んだバジャンはイスラーム教徒の服装をし、ウルドゥー語を学び始め、食習慣も変えようと努力する。そして最終的には本当に改宗しようとする。そこへスィヤーラームが帰って来て、家族にバジャンの出生の秘密を詳しく聞かせる。

 1992年12月7日、バルラームプルでは暴動が起こっていた。バジャンはそんな日に生まれたが、同じ病院で暴動の被害にあったイスラーム教徒女性も出産し、命を落とした。スィヤーラームはその赤子も自分の子供として育てる決心をし、生まれたばかりのグンジャーと双子の兄妹ということにしたのだった。

 ジャガンナートは、バジャンがスィヤーラームと血の繋がった子供だということを証明するため、DNA検査を求める。トリパーティー家では、医者を結託して偽の結果を出し、世間の疑いを晴らそうとする。だが、嘘で物事を解決することを潔しとしないバジャンは、公衆の面前で自分の出生の秘密を明かし、それでも自分はトリパーティー家の一員だと訴える。

 映画の冒頭で、ヒンドゥー教徒多住地域であるバルラームプルとイスラーム教徒多住地域であるラクシュマンプルが隣接することが説明される。地元の人々から尊敬を集めるパンディト(僧侶)、スィヤーラームの長男として、また、バジャン(宗教賛歌)の歌い手として、自身の宗教アイデンティティーを全く疑わずに生まれ育ってきた主人公のバジャンは、イスラーム教、イスラーム教徒、そしてラクシュマンプルに強い偏見を持っていた。これは、宗教の分断が進むとされる現在のインドの縮図である。

 だが、実はバジャンがイスラーム教徒の子供だったことが分かり、彼の価値観がガラリと変わってしまう。家族から突き放された腹いせに、彼はイスラーム教徒の真似を始め、最終的には本当に改宗までしようとする。だが、本当に重要なのは、彼の宗教アイデンティティーが揺らいでからの発見である。彼はまず服装を変える。イスラーム教のシンボルカラーである緑色の服を着て、頭にはトルコ帽をかぶる。そして言葉を変えようと努力する。イスラーム教徒が話すとされるウルドゥー語を学び始め、アラビア語・ペルシア語の語彙を混ぜて会話をしようとするがぎこちない。そして食べ方もイスラーム式にしようとするが、ヒンドゥー教徒もイスラーム教徒も食べ方は一緒だった。結局、彼はイスラーム教徒になっても、大して違ったことをするわけではなかった。そこで初めて、彼はヒンドゥー教徒もイスラーム教徒も同じ人間であることに気付く。

 他にも宗教融和につながる要素がちりばめられていた。例えばアブドゥルの兄弟はイスラーム教徒でありながら、毎年ダシャハラー祭の時期に行われる野外劇ラームリーラーでクンバカルナの役を演じていた。バジャンの恋人ジャスミートはスィク教徒であった。さらに、キリスト教徒やゾロアスター教徒の登場人物も出て来る。あらゆる宗教があるからバルラームプルはカラフルで美しい。最後にバジャンが公衆に向かって訴えかけるそのメッセージは、そのままインド全体に当てはめることができる。

 ちなみに、バジャンが生まれた1992年12月7日にバルラームプルで起こっていた暴動というのは、前日にアヨーディヤーのバーブリー・マスジドがヒンドゥー教過激派によって破壊されたことを受けてヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間で起きたものであるのは確実である(参照)。社会が宗教で分断され、お互いに殺し合いをしているときに、彼は両宗教の融和を象徴するメッセンジャーとしてこの世に生を受けたのだった。

 また、ラクシュマンプルに入り込んだバジャンたちは「アンチ・マジュヌー・スクワッド」を自称する。これは、2017年にウッタル・プラデーシュ州にBJP政権が樹立し、ヨーギー・アーディティヤナートが州首相に就任して以来、同州で跋扈している「アンチ・ロミオ・スクワッド(対ロミオ部隊)」のパロディーである。「マジュヌー」とはアラブ地方に伝わる悲恋物語「ライラーとマジュヌーン」のマジュヌーン(マジュヌー)だ。

 アンチ・ロミオ・スクワッドはヨーギー州首相が公約に掲げたもので、女性へのハラスメントを防止するための自警団みたいなものである。だが、その構成員はヒンドゥー教過激派であり、彼らが主にターゲットにしているのは、ヒンドゥー教徒女性をたぶらかそうとするイスラーム教徒男性だ。彼らは、イスラーム教徒がヒンドゥー教徒女性に言い寄り、改宗させて結婚し、イスラーム教徒の人口を増やそうとしていると主張する。俗にいう「ラブ・ジハード」である。彼らはイスラーム教徒の陰謀をくじき、ヒンドゥー教を守るという正義のためにアンチ・ロミオ・スクワッドの業務を行っていると信じているので余計に厄介だ。

 しかしながら、アンチ・マジュヌー・スクワッドを自称したバジャンたちは、ヒロインのジャスミートからこっぴどく叩かれる。これはヨーギー政権のアンチ・ロミオ・スクワッド政策への批判と取ってもいいだろう。

 宗教融和が最大のテーマとして掲げられた映画であったが、もちろん家族の物語でもあった。たとえバジャンがイスラーム教徒の子供だということが分かっても、家族の絆は変わらなかった。同じようなプロットの映画に「Dharm」(2007年)がある。

 トリパーティー家では、重大な事柄は民主主義的に投票で採決が行われていた。これも「世界最大の民主主義国家」を自称するインドと重なる。ただし、トリパーティー家ではスィヤーラームが絶対的な権力を持っていた。家族のメンバーは、自分の意見に従って投票していたわけではなく、スィヤーラームの意向に沿った投票をしていた。これは、何かを恐れて投票を行う民主主義が偽物であることを示している。もちろん、これは現在のインドへの痛烈な風刺と受け止めていいだろう。

 「Masaan」(2015年)、「Sanju」、「Uri: The Surgical Strike」(2019年/邦題:URI サージカル・ストライク)、「Sardar Udham」(2021年)などの成功で順調にキャリアを伸ばし、2021年にはヒンディー語映画界を代表する人気女優カトリーナ・カイフと結婚して、プライベートでも絶好調のヴィッキー・カウシャルは、この映画でもその勢いを見せていた。マーヌシー・チッラルの出番は限られていたものの、アンチ・マジュヌー・スクワッドを一撃で打ち砕いたり、「Sahibaa」で派手に踊ったりと、印象的なシーンがいくつもあった。

 あとはクムド・ミシュラー、マノージ・パーワー、ヤシュパール・シャルマーといったベテラン俳優陣が側面からしっかり支えており、映画の完成度を高めていた。

 「The Great Indian Family」は、1990年代からヒンディー語映画を牽引してきたアーディティヤ・チョープラーが、イスラーム教徒に対する弾圧が強まっているとされる昨今のインドに対して、責任を持って打ち出したヒンディー語映画界からの回答だ。ヒンディー語映画界もBJPの影響下で右傾化しているとされるが、このような宗教融和を訴える映画が引き続き作られていることに安心感を覚える。ただし、この映画は興行的に失敗しており、それが気になるところだ。今の時代に必要な映画であり、しかもヤシュラージ・フィルムスらしい安定した完成度だ。必見の映画である。