Dil Se..

3.5
Dil Se..
「Dil Se..」

 インドで「巨匠」と呼ばれる監督の筆頭であるマニ・ラトナムは日本でも割と知名度の高いインド人映画監督であり、いくつかの映画が日本でも劇場一般公開されている。日本でもっとも早く公開された彼の作品はタミル語映画「Bombay」(1995年/邦題:ボンベイ)であり、公開日は1998年7月25日だ。この年は、第一次インド映画ブームを巻き起こした伝説のタミル語映画「Muthu」(1995年/邦題:ムトゥ 踊るマハラジャ)が公開された年でもあるが、「Muthu」の公開日が1998年6月13日であることを考えると、「Bombay」が決して「Muthu」の人気にあやかって配給されたわけではないことが分かる。たまたま「Muhtu」と同じ年に「Bombay」も公開されたのだった。

 「Dil Se..」もマニ・ラトナム監督の映画である。インドでは1998年8月21日に公開された。マニ・ラトナムは基本的にタミル語映画界で活躍する映画監督だが、「Dil Se..」についてはヒンディー語映画界のスターを起用したヒンディー語映画である。「Muthu」の大ヒットによりインド映画がブームになっていた日本でも公開が決定し、「ディル・セ 心から」という邦題と共に2000年8月5日に公開された。このレビューは公開から四半世紀後の2023年3月9日に書いており、過去を振り返ってのものになる。

 「Dil Se..」の主演はシャールク・カーンとマニーシャー・コーイラーラー。シャールクはこのとき既にスーパースターになっており、「Bombay」でマニ・ラトナム監督と仕事をしたマニーシャーもトップ女優の一人であった。この二人の共演はこれが初である。さらに、後にトップ女優の仲間入りするプリーティ・ズィンターがサブヒロインとして初々しいデビューを飾っている上に、マラーイカー・アローラーが名曲「Chhaiya Chhaiya」でアイテムガール出演している。

 脇役陣に目を転じてみても玄人好みの曲者揃いだ。ラグビール・ヤーダヴ、ゾーラー・セヘガル、サビヤサーチー・チャクラバルティー、サンジャイ・ミシュラー、ピーユーシュ・ミシュラー、ガジラージ・ラーオ、ティグマーンシュ・ドゥーリヤー、シャード・アリー、シーバー・チャッダーなどが出演している。

 また、音楽監督はARレヘマーンである。この「Dil Se..」は、「Roja」(1992年)、「Bombay」と並んで「テロ三部作」と呼ばれているが、これら3作でARレヘマーンは一貫して音楽を担当している。「Roja」はレヘマーンにとって出世作であり、彼はマニ・ラトナム監督に対して多大な尊敬を払っていることで知られる。

 時はインド独立後50周年の1997年。オール・インディア・ラジオ(AIR)のアマルカーント・ヴァルマー(シャールク・カーン)はアッサム州の祭りを取材しに訪れる。その途中、彼は駅で謎の美女(マニーシャー・コーイラーラー)と出会い、恋に落ちるが、まともに会話を交わすこともできず別れることになる。アマルはアッサム州の人々に独立50周年の感想をインタビューする一環で、森林地帯に隠れ住むゲリラも取材する。アマルはアッサム州でも謎の美女を見掛けるが、やはり名前すら聞き出せないで終わる。代わりにアマルはその女性の取り巻きをしていた男性たちによって暴行を受けるが、救出される。

 次にアマルはラダックの祭りを取材する。そこでも彼は同じ謎の美女を見掛け、追いかける。アマルはその女性と同じバスに乗るが、そのバスが故障して事故に遭ったため、砂漠を一緒に歩くことになる。その中で彼はその女性からメーグナーという名前を聞く。ただし、その名前も偽名だという前提だったが、アマルは彼女をメーグナーと呼び出す。

 メーグナーは再び忽然と姿を消し、アマルは家族の住むデリーに戻る。アマルの家族は彼のお見合いを勝手に進めており、彼はプリーティ(プリーティ・ズィンター)という女性とお見合いをすることになる。アマルはプリーティとデートを重ねる内に彼女に好意を抱くようになり、結婚も承諾する。だが、プリーティと一緒にバスに乗っているときに、アッサム州で自分を暴行した男を見掛け、追いかける。その男を捕まえることはできなかったが、逃亡した男は警察に捕まり、毒を飲んで自殺した。中央捜査局(CBI)のアルン・カシヤプ(ピーユーシュ・ミシュラー)たちはその男をテロリストと断定し、捜査を開始する。

 実はメーグナーはインド政府に歯向かうテロリストの一員であり、1月26日の共和国記念日パレードで自爆テロをするために送り込まれていた。アマルとプリーティの婚約式が行われている最中にメーグナーは彼の家を訪れ、AIRでの仕事の斡旋と住む場所の提供を求める。アマルはそれを受け入れる。だが、アマルはCBIに尋問されたことでメーグナーの素性を疑うようになる。メーグナーはまた姿を消すが、アマルは彼女を見つけ出す。メーグナーは、軍人からレイプされ、村を焼かれたためにテロリストになって復讐しようとしていると明かす。また、彼女の本名はモーイナーだった。

 アマルは警察に逮捕されたため、またモーイナーと引き離される。彼はテロリストの一団によって釈放され拉致されるが、そこから逃げ出す。今度はCBIにも捕まるが、やはり脱出し、モーイナーを探す。そのときモーイナーは爆弾ジャケットを着て自爆テロの現場へ向かおうとしていた。アマルは彼女を止め、彼女と一緒に爆死する。

 四半世紀後の視点から観ると、まず、シャールク・カーン演じるアマルのストーカー振りが気持ち悪い映画であった。アマルはただ単に、マニーシャー・コーイラーラー演じるモーイナーの美貌に一目惚れし、彼女を地の果てまで追い掛ける。女性側からしたら、見知らぬ男に追いかけ回されるので恐怖でしかない。ただ、ストーカーまがいの行為から始まる恋愛というのは残念ながらこの頃のインド映画の常套であった。それを言ってしまっては元も子もないので、そういう時代だったということで批評を進めていく。

 「Dil Se..」は頻繁に舞台を転換しながら進行していく物語である。それらロケーションの選び方はさすがマニ・ラトナム監督だ。まず物語はアッサム州から始まる。当時、アッサム州ではボド解放の虎(BLT)が分離独立を求めてテロ活動をしていたが、それをモデルにしたようなゲリラ組織が登場する。公共ラジオ局オール・インディア・ラジオ(AIR)に務めるアマルは密林に入り込んでゲリラと接触する。アッサム州が舞台になるヒンディー語映画というのは稀である。実際にアッサム州で撮影されたシーンもあるようだが、全てではないようだ。映画撮影時のアッサム州は決して治安のいい場所ではなかった。

 その後、一気に舞台はラダック地方に移る。当時、ラダック地方はジャンムー&カシュミール州の一部であり、騒乱状態にあったカシュミール地方からテロリストが流入したという設定になっていたと思われる。ここではアマルはテロリストが軍人に撃ち殺される現場を目撃する。実際にレー、ティクセ・ゴンパ、バスゴ・ゴンパなど、ラダック地方各地で撮影が行われているし、パンゴン湖でのロケは「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと・うまくいく)よりも10年以上早い。

 特にラダック地方の圧倒的な自然美が、撮影監督サントーシュ・シヴァンによって美しく描き出されている。

 どうもモーイナーは、アッサム州やラダック地方のテロリストたちと連絡を取り合っていたようである。ただ、モーイナー自身がどこの出身なのかは不明だ。国境地帯の抑圧された村であることは分かるのだが、映画の中で特定はされていなかったはずである。

 そして終盤の舞台はデリーになる。デリーの名所旧跡も効果的にロケ地に使われていた。インド門や大統領官邸、ラール・キラーやハウズ・カース、そしてクライマックスはプラーナー・キラーなどでロケが行われたことが分かる。ダンスシーンの中には、タミル・ナードゥ州やケーララ州で撮影されたものもある。有名な「Chhaiya Chhaiya」は、ニールギリ鉄道で撮影が行われた。

 序盤のアマルがひたすらモーイナーを追いかける場面はあまりアップダウンがなく退屈であるが、舞台がデリーに移り、モーイナーがテロリストであることが分かると、物語は俄然緊迫感を増す。そして、プリーティの登場により三角関係が生まれ、恋愛にも動きが出る。終わり方については賛否があるだろう。あまりに唐突で、誰にとっても救いがない終わり方であった。続けるのが面倒になって無理矢理終わらせてしまったようにも見える。そのため、「Dil Se..」はマニ・ラトナム監督作の中では決して最高傑作に数えられないだろう。それでも、シャールク・カーン、マニーシャー・コーイラーラー、プリーティ・ズィンターなど、キャスティングに話題性があり、インド各地でロケが行われているためにビジュアルに多様性があって、映画としての楽しみはある作品だ。

 登場人物の内面描写を映像で特に効果的に表現していると感じたのは、ラジオ局でアマルとモーイナーが会話をするシーンだ。アマルは、AIRで働きたいと言うモーイナーに対し、なぜ働きたいのか、なぜラダックで自分を置いて去ってしまったのか問いつめる。そのとき、近くのドアが開閉し光が二人の顔を様々に照らす。その陰影が二人の動揺する心情をうまく表現していた。

 アマルは一途にモーイナーを愛し続けたが、モーイナーのアマルに対する感情は複雑だ。ストーカーと化したアマルをモーイナーは疎んじていたが、テロに利用できると思い付いてからは彼に接近する。しかも、アマルの家に居候までする。単純な見方をすれば、モーイナーは目的遂行のためにアマルの心を弄んだのであり、その目的というのも罪のない人々を無差別に殺す自爆テロという最悪のものだ。ただ、最後に二人で爆死をしたのは、彼女の心にアマルに対する恋愛が芽生えたと受け止めて欲しいのだと感じる。本来ならば二人が生きて結ばれる終わり方が一番安心するのだが、マニ・ラトナム監督は敢えて物議を醸すエンディングを持って来て、ハッピーエンドが定型の娯楽映画に対抗したのだと思われる。

 ARレヘマーンによる音楽は素晴らしく、「Dil Se..」のサントラCDは大ヒットした。ただ、グルザール作詞による歌詞は難解なものが多いと感じる。また、ダンスシーンの入り方も唐突で、ストーリーとの親和性も低いし、ファラー・カーンによる振り付けも奇妙奇天烈だ。

 「Dil Se..」は、巨匠マニ・ラトナム監督によるテロリスト三部作の第3部となる作品で、シャールク・カーン、マニーシャー・コーイラーラー、プリーティ・ズィンターなどのスターが起用されている。インド各地でロケが行われ、サントーシュ・シヴァンによって撮影された映像の数々も飛び抜けて美しいし、ARレヘマーン作曲の楽曲も印象的だ。しかし、歌詞は難解で、ダンスシーンもストーリーと調和していない。終わり方が気に入らない人も多いだろう。日本でも劇場一般公開された作品であり、比較的入手しやすく、鑑賞して損はない作品だが、決してマニ・ラトナム監督の最高傑作ではない。