現代の科学ではまだタイムマシンなどの時を移動する技術は確立されておらず、時間は不可逆的なものとして扱われている。だが、もし過去に戻って変更を加えることができるならば、それが現在もしくは未来にどんな影響を与えるのかは、古今東西のSF創作者が盛んに考察を加えてきた。大きく分けると下記の3つのパターンになるだろう。
- 過去が変わることで、現在や未来がリアルタイムに変わっていく。
- 過去が変わることで、もうひとつの現在や未来であるパラレルワールドが発生する。
- 過去を変えても自動的に再修正が加えられ、現在や未来は変わらない。
米国映画でいえば、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズや「ターミネーター」シリーズがタイムトラベル映画としては有名だ。前者は1の典型例、後者は2の典型例だといえる。ヒンディー語映画でも若干のタイムトラベルが作られており、「Love Story 2050」(2008年)や「Action Replayy」(2010年)が挙げられる。
2022年8月19日公開の「Dobaaraa」は、一種のタイムトラベル映画である。ただ、人間が時間旅行をするのではなく、1996年と2021年がTVやビデオカメラを通じてつながり、交信ができるようになるというものである。2021年の人間が1996年の人間に影響を与えて過去を変えることで、現在に影響が出る。どちらかといえば1に近い設定の物語だ。題名の「Dobaaraa」には、「2度目」という意味と「2時12分」という意味が掛けてある。
この映画は、スペイン映画「Mirage」(2018年)の公式リメイクである。監督はヒンディー語映画界の風雲児アヌラーグ・カシヤプ。主演は独立独歩の女優タープスィー・パンヌー。彼女は最近カシヤプ関係の作品によく出演しており、「Manmarziyaan」(2018年)、「Saand Ki Aankh」(2019年)に続き3作目になる。また、タープスィーはすっかり主演を張れる女優として確立しており、彼女の主演作が続いている。ヴィディヤー・バーラン、カンガナー・ラーナーウトに続き、映画の顔になれる女優として定着している。
その他のキャストは、パヴァイル・グラーティー、ナーサル、ラーフル・バット、ヒマーンシー・チャウダリー、シャーシュワタ・チャタルジー、メーディニー・ケーラーマーネー、ヴィドゥシー・メヘター、ニディ・スィンなどである。パヴァイル・グラーティーは「Thappad」(2020年)でタープスィーと共演していた男優である。
1996年、マハーラーシュトラ州プネーの高級住宅街ヒンジェーワーディー。12歳の少年アナイは、ドバイで出稼ぎをする父親からもらったビデオカメラをTVにつなぎ、父親と撮影したビデオ映像をよく観ていた。ある嵐の夜、アナイは、ラージャー・ゴーシュ(シャーシュワタ・チャタルジー)と妻ルジュター(メーディニー・ケーラーマーネー)が住む隣家で喧嘩のような物音を聞く。彼が様子を見に行くと、そこにはルジュターの遺体が横たわっていた。ラージャーに見つかったために急いで家を飛び出したところ、消防車に轢かれ死んでしまう。それは夜中の2時12分であった。これがきっかけでラージャーは逮捕され、犯行を自白し、有罪判決を受けた。 2021年、かつてアナイが住んでいた家に看護師アンタラー・アワスティー(タープスィー・パンヌー)と夫ヴィカース(ラーフル・バット)が引っ越してくる。二人の間にはアヴァンティーという幼い娘がいた。彼らは、倉庫にしまわれていたTVやビデオカメラを見つけ、再生する。そこにはアナイの姿が映っていた。アンタラーは、大学時代の友人であり、近所に住むアビシェークから、25年前に起こったことを聞かされていた。ある嵐の晩、彼女がそのTVとビデオカメラを付けてみると、25年前のアナイと交信できることに気付く。しかも、ちょうど隣家で喧嘩が起きているタイミングだった。アンタラーはアナイに、絶対に隣家に行ってはならないと警告する。 翌日アンタラーが目を覚ますと、異変を感じ取る。まず、視力が落ちており、眼鏡をしないと目が見えなかった。勤め先の病院へ行くと、彼女は看護師ではなく外科医になっていた。娘のアヴァンティーは存在せず、ヴィカースも夫ではなかった。ヒンジェーワーディーの住宅街の様子も一変していた。アンタラーが住んでいた家は、ヴィカースとバーヴナー(ニディ・スィン)が結婚して住んでいた。バーヴナーはアビシェークの妻だったはずだった。また、ヴィカースが勤務先の部下サラと不倫していることも発見してしまう。さらに、ラージャーの家は廃墟だったはずだが、ラージャーと共にシーラー(ヒマーンシー・チャウダリー)が住んでいた。シーラーはアビシェークの母親であった。 次第にアンタラーは、自分が25年前のアナイの命を助けたため、現在が変わってしまったのだと気づき始める。周囲の人々はアンタラーの頭がおかしくなってしまったと考えるが、アーナンド警部補(パヴァイル・グラーティー)はアンタラーの話を熱心に聞き、彼女を助ける。アンタラーは、自分の発言の正しさを証明するため、ラージャーが殺したルジュターの遺体が埋められた場所を言い当てる。ラージャーとシーラーは警察に連行され、そこでルジュターの死について自白する。その後、アンタラーは、生き残ったはずのアナイを探し出そうと必死になる。 最終的にアンタラーは、アーナンド警部補こそがアナイであることを突き止める。アナイは、TVでアンタラーに会ったときから、ずっとアンタラーを待ち続けていた。そして、彼女が病院に勤めるようになると、彼女に近付き、恋仲になり、結婚していた。だが、アナイは彼女の記憶が25年前の自分に会った後のものに戻るのを待ち続けていた。 しかしながら、アンタラーにとってはアヴァンティーが全てだった。アヴァンティーのいない現在を彼女は受け入れられない。アーナンド警部補がアナイであると知った直後、彼女は交通事故に遭ってしまう。アナイは急いでTVとビデオカメラを取り出し、25年前の自分と交信する。そして、絶対にアンタラーを待ち続けないように言い聞かせる。 アンタラーが目を覚ますと、そこはほぼ前の世界と同じで、アヴァンティカーもいた。アンタラーは、ヴィカースにサラとの不倫を突き付け、家を出て行ってもらう。隣家にはラージャーがそのままいるのを見て、まだ彼が逮捕されていないことを知ったアンタラーは、警察に通報し、ルジュターの遺体が埋められている場所を教える。そしてアナイと再会する。
現代科学ではまだ時間を操作する技術は実現できておらず、タイムトラベルやタイムループなどの要素が含まれた映画はもれなくフィクションということになる。ただ、いくらフィクションとはいえ、一定の論理的な説明がないと説得力に欠けることになる。インド映画では「Baar Baar Dekho」(2016年)のように神秘的な力によって時間旅行や時間の巻き戻しのような体験が可能になるという設定も見られるが、他国の映画同様に、今のところは科学で説明しようとすることの方が多い。
「Dobaaraa」でそれがどのように表現されていたかというと、一応は科学の範疇に入るといえる。この映画は1996年と2021年の2つの時間軸が交互に進行する形式になっているが、それらの時間軸をつなぐ道具が、古いブラウン管TVとビデオカメラになっている。おそらく何の変哲もない機器のはずである。また、強い嵐という気象条件や、夜中の2時12分という時間も、現在と過去を結ぶ鍵として提示されている。しかしながら、なぜ2021年に生きている人間が1996年に生きている人間とリアルタイムに交信できたのか、詳しい説明はなかった。そういうものとして自分を納得させて鑑賞する必要がある。
単に過去と交信できただけならばそれだけで終わっただろうが、主人公のアンタラーはつい1996年に12歳の少年だったアナイの人生に干渉してしまう。アナイはその交信の直後に死ぬ運命にあったのだが、アンタラーの警告を受けて死を免れた。アンタラーとアナイは全く無関係の存在だったが、アナイが助かったことで、アンタラーの人生にも大きな変化が訪れる。看護師だったはずのアンタラーは医師になっており、ヴィカースと結婚してアヴァンティーという娘を授かっていたはずなのにヴィカースは別の女性と結婚していた。
過去のある時点での出来事を変えたことで、その出来事を起点として成立していたはずの現在や未来に変化が訪れるというのは、何となく理解できることだ。「Dobaaraa」で面白かったのは、アンタラーとは直接関係ない人の人生を変えたことで、アンタラー自身の人生が変わってしまったことである。「風が吹けば桶屋が儲かる」的な連鎖反応であろうか。
タイムトラベル映画は深く突っ込んでいくと必ず矛盾点が見つかるものだが、この「Dobaaraa」もおかしな点が多かった。もっとも疑問に思ったのは、アンタラーの人生に訪れたこの間接的な変化である。アンタラーの干渉によってアナイの人生が変わったのはよく分かる。アナイはアンタラーを待ち続け、医者として病院に赴任してきた彼女を発見する。だが、それまでアンタラーはアナイとは無関係の人生を歩んできたはずで、アナイの人生が変わったことでアンタラーの職業が看護師から医者に変わったことの論理的な説明はなかった。
むしろ面白かったのは、ヒンジェーワーディー住宅街の様相の変化である。死ぬはずだったアナイが死ななかったことで、近所の人間関係はだいぶ変わってしまっていた。元の現在では、ラージャーは妻ルジュター殺害の罪で逮捕・投獄され、彼の家は廃墟となっており、シーラーの息子アビシェークはバーヴナーと結婚していた。アンタラーからの警告を守ったアナイが生き残ったことに伴って形成された現在では、ラージャーは逮捕されておらず、シーラーと再婚していた。そしてヴィカースの結婚相手はアンタラーではなくバーヴナーになっていた。ここで、ルジュターの死にシーラーが関与していたことが示唆される。そして、2021年のアナイからの警告を守ったアナイによって形成された現在では、やはりラージャーは逮捕されておらず、シーラーとの再婚にも変化がなかったものの、ヴィカースの結婚相手はアンタラーに戻っており、二人の間にはアヴァンティーも生まれていた。アビシェークとバーヴナーがどうなったのかは不明である。
タイムトラベル要素によってルジュターの死の真相が分かるという点は、SFとサスペンスの融合と評価することができ、この辺りをもっと発展させた方が面白い映画になったのではないかと感じた。アンタラーとアナイのロマンス映画と受け止めることも可能ではあるが、アンタラーはあくまでヴィカースとの間に生まれたアヴァンティーを最優先で考えており、男女のロマンスという要素も希薄であった。ただ、アンタラーは、一連のタイムトラベル要素によって、ヴィカースが自分と結婚しようがバーヴナーと結婚しようが不倫をしていたという事実を知ることができていた。これは、アンタラーにとってはプライドを傷付けられずに済んだということになりそうだ。アンタラーは自分からヴィカースに離婚を切り出し、むしろ送り出すように彼を不倫相手のところへ向かわせた。
女性のキャリア選択という面ももう少し掘り下げて良かったのではないかと思う。過去が変わったことでアンタラーの職業が看護師から医師になったが、そのきっかけは何だったのだろうか。それに伴ってアンタラーの結婚相手がヴィカースからアナイに変わっていたが、医師になったアンタラーは独身を謳歌しているという設定にしても面白かった。看護師をして結婚し、子供をもうけていた方が幸せなのか、医師としてキャリアを追求し、結婚せずにいた方が幸せなのか、比較することができた。
タープスィー・パンヌーは映画の看板を背負って自信に溢れた演技をしており、ますます勢いづいているのを感じた。残念ながら「Dobaaraa」は興行的に失敗に終わってしまっており、稼げる女優としての地位はまだ築けていないが、その内ヒット作が出るのではないかと思う。アナイ役を演じたパヴァイル・グラーティーについては、まだあまり顔の知られていない俳優という状況がうまく活かされていたと感じた。彼こそがアンタラーの探し求めるアナイであるという事実は最後まで伏せられており、意外性があったが、その意外性が担保されていたのは、アナイ役に有名なスターを起用しなかったという理由が大きい。
また、南インド映画界のベテラン俳優であるナーサルが、出番は少ないものの重みのある役で出演していたことも特筆すべきである。ナーサルは各言語の映画によく顔を出しており、そのフットワークの軽さによく驚かされる。ラージャーを演じたシャーシュワタ・チャタルジーもいい俳優である。「Kahaani」(2012年/邦題:女神は二度微笑む)で殺し屋ボブ・ビシュワースを演じ、ヒンディー語映画界でも注目を集めた個性派男優である。
「Dobaaraa」は、タイムトラベル要素を盛り込んだスリラー映画で、いかにもアヌラーグ・カシヤプ監督らしい、映画愛好家向けの凝った作品である。主演タープスィー・パンヌーの演技も素晴らしい。スペイン映画の忠実なリメイクであるが、いろいろな可能性を秘めた物語であり、もっと自由に主題を発展させてもよかったのではないかと感じた。いくつかの矛盾があるのは、タイムトラベル映画に固有の問題であり、どうしようもなかっただろう。