一般に「インド人」といった場合、人々の脳裏には褐色で目鼻立ちがくっきりした容姿の人種が浮かぶであろう。北インド人の方が比較的長身かつ色白で、南インド人の方が丸っこくて色黒のイメージだが、どちらも一般的な「インド人」の範疇に収まる。だが、インドにはモンゴロイドやネグロイドの人種も住んでおり、彼らもインド人には違いない。日本人と同じような顔立ちをしたモンゴロイドのインド人は、ヒマーラヤ山脈からインド東北部にかけて住んでいる。しかしながら、彼らはメインランドのインド人から「チンキー(中国人の蔑称)」と呼ばれ、差別を受けることが多い。
2022年5月27日公開のヒンディー語映画「Anek」は、インド東北部のノースイースト問題を扱った野心的なスパイアクション映画である。題名の「Anek」とは「ひとつではない」、つまり「多様な」という意味だが、その内の「NE」はノースイーストを示している。
監督はアヌバヴ・スィナー。近年、「Mulk」(2018年)、「Article 15」(2019年)、「Thappad」(2020年)と、社会問題に切り込んだシリアスな映画を精力的に作り続けている注目の映画監督だ。主演はアーユシュマーン・クラーナー。他に、JDチャクラヴァルティー、アンドレア・ケヴィチュサ、マノージ・パーワー、クムド・ミシュラなどが出演している。
国内の諜報活動を行うジョシュア(アーユシュマーン・クラーナー)は、ノースイーストに送り込まれ、最大勢力を誇る分離主義グループの首領タイガー・サンガとの平和協定を締結する工作に従事する。ジョシュアは現地で、インド代表として国際試合で金メダルの獲得を夢見る女子ボクサー、アイド(アンドレア・ケヴィチュサ)と出会い、恋に落ちる。 ジョシュアはタイガー・サンガを交渉のテーブルに引きずり出すために、ジョンソンという架空の人物が率いる過激派グループを作り出した。ところが、何者かがジョンソンの名前をかたって反政府活動を始め、村人たちの支持を集めるようになる。ジョシュアは、それがアイドの父親ワンナオであることを突き止める。 タイガー・サンガはデリーへ行って首相(クムド・ミシュラー)と交渉し、平和協定の締結に乗り気になる。しかし、ノースイーストではジョンソンによる破壊活動が活発化し、治安維持部隊も攻勢を強めざるを得なかった。ワンナオはミャンマーに亡命する。一方、アイドはボクシングのインド代表を決める試合に出場するためにデリーへ向かう。 ジョシュアは特殊部隊と共にミャンマー国境を越え、ワンナオを追う。だが、タイガー・サンガの部下たちもワンナオの命を狙っており、特殊部隊が急襲する前にワンナオのグループとタイガー・サンガのグループの間で銃撃戦が起こる。ジョシュアはワンナオを生け捕りにするために介入し、彼を捕まえ、インドに連れ帰る。そのときデリーではアイドがハリヤーナー州代表のゴーパーを下し、インド代表の座を獲得した。
表向きはスパイアクション映画である。ノースイーストに送り込まれた主人公のスパイ、ジョシュアが、現地で正体を隠しながらネットワークを構築し、インド独立時から独立を求めて闘争を繰り広げてきた分離主義グループの首領タイガー・サンガを平和協定の交渉のテーブルに付かせようと工作活動を行う。それと平行して、インド代表を目指す若い女子ボクサー、アイドのひたむきな姿が描かれ、スポ根映画的な要素も加わっている。
しかしながらこの映画の本当のテーマは、「インド人とは何か」という根本的な問いである。インドで多数派を占める、いわゆる「インド人」は、自国の特徴を「多様性」だと主張するが、いざインドの現実の多様性に直面すると、それを受け入れようとしない。「Anek」では特に、ノースイースト人に対する差別が赤裸々に映し出されていた。
インド東北部のセブンシスターズと呼ばれる州に住む人々の大半はモンゴロイド系の人種である。メインランドのインド人とは文化や言語が異なる上に外見が違うため、一般のインド人からは「外人」扱いされることが多い。インド人から「チンキー」という侮蔑語で呼ばれることさえある。また、彼らは十把一絡げに「犬を食べる」人々だと蔑視されている。スポーツ競技のインド代表選考の場においても、「インド人らしくない」ということでノースイースト人が却下されることもあるようである。
このように一般のインド人から別扱いされるノースイースト人が、アッサム州より先のメインランドを「インド」と呼び、自分たちはインド人ではないと考えるのも無理はない。また、これらの州では中央予備警察部隊(CRPF)が治安維持に当たっており、地元民はまるで中央政府の支配下に置かれたような状態になっている。「Anek」は、ノースイースト人が抱える問題をかなりストレートに映し出しており、メインランドのインド人に意識改革を求める内容になっている。ただし、アイドの存在が、ノースイースト人の中にも自身をインド人と認識し、インドのために貢献しようとする人がいることを雄弁に語っていた。映画の中の唯一の勝者は彼女であった。
また、この状況はノースイーストに限らない。カシュミール地方でも同様の状況があり、映画の中でも言及されていた。2019年にジャンムー&カシュミール州の特別な地位を規定した憲法第370条が無効化され、同地域は完全にインドの一部となったが、実は憲法第371条にはノースイースト各州について限定的な自治権を認める規定があり、まだ効力がある状態になっている。第370条が無効化された今、現政権は第371条にも手を入れるのではないかと十分示唆する内容であった。全体的に、モーディー政権に批判的なトーンが目立った映画であった。
「Anek」の舞台になっていたのは架空のノースイーストの州であるように見えた。劇中で明示がなくても、車両のナンバーから州が分かることが多いのだが、この映画では「NE」になっていた。このような記号の州は存在しない。また、インド独立時から分離主義運動を行っている高齢の革命家タイガー・サンガのモデルになっているのは、長年にわたってナガランド独立運動を主導してきたティンガレン・ムイヴァだと思われる。
ノースイーストが題材のヒンディー語映画は非常に珍しいのだが、過去にはデリー在住のノースイースト人たちを主人公にした「Axone」(2020年)という映画があった。また、「Rock On 2」(2016年)ではメーガーラヤ州が舞台になっていた。もちろん、マニプル州出身の女子ボクサー、メリー・コムの伝記映画「Mary Kom」(2014年)もあった。ここのところ徐々にヒンディー語映画界がノースイーストに目を向け始めているのかもしれない。
「Mary Kom」では、マニプル人のメリー・コムをプリヤンカー・チョープラーが演じ、そのキャスティングに批判が出たものだが、最近ではヒンディー語映画にノースイースト人の俳優が起用されることもチラホラ出て来た。「Badhaai Do」(2022年)ではアルナーチャル・プラデーシュ州出身の女優チャム・ダラングがメインキャストを務めていたが、この「Anek」ではナガランド州出身の女優アンドレア・ケヴィチュサが女子ボクサーのアイドを演じていた。
挑戦派の男優アーユシュマーン・クラーナーが今回選んだのはスパイ役であった。極度に高度な演技力を求められる場面は少なかったが、いつになくハードボイルドな演技を見せていた。ジョシュアの上司役を演じたマノージ・パーワー、首相役を演じたクムド・ミシュラー、そしてジョシュアの相棒役を演じたJDチャクラヴァルティーも好演していた。
「Anek」は、ノースイーストを舞台にした変わり種のスパイアクション映画で、一部、女子ボクシングを取り上げたスポーツ映画の要素も含まれているが、映画が訴えるメッセージは明確であり、インド人同士がお互いにレッテル貼りをして分断を助長している状況に痛烈な警告が発せられている。特にスポットライトが当てられていたのはノースイースト人に対する差別だ。映画自体は冗長に感じる部分もあったのだが、その社会的なメッセージは現在のインド社会にとって有意義なものだと評価できる。