2022年5月6日からNetflixで配信開始された「Thar」は、印パ国境に広がる広大なタール砂漠を舞台にしたネオウェスタン映画である。アニル・カプールとその息子ハルシュヴァルダン・カプールがプロデュースし、出演もしている。「Mirzya」(2016年)でのデビュー以来、あまり上昇気流に乗れていないハルシュヴァルダンのためにアニルが一肌脱いだような作品だ。
監督は「Shaadisthan」(2021年)のラージ・スィン・チャウダリー。ハルシュヴァルダン・カプールとアニル・カプールが主役級のキャラを演じる他、ファーティマー・サナー・シェークがヒロインを務めている。他に、サティーシュ・カウシク、ジテーンドラ・ジョーシー、ムクティ・モーハン、ラーフル・スィンなどが出演している。
他に特筆すべきは、アヌラーグ・カシヤプが台詞を書いていることだ。アニル・カプールとアヌラーグ・カシヤプは「AK vs AK」(2020年)で共演しており、その縁でこの作品が作られた背景を予想することができる。
時は1985年、ラージャスターン州のタール砂漠。パーキスターンとの国境の町ムナーバーオで勤務する警察官スレーカー・スィン警部補(アニル・カプール)は、部下のブレー(サティーシュ・カウシク)と共に、特に大きな事件もない退屈な毎日を過ごしていた。 あるとき、6人組の強盗に夫婦が殺される事件が起きる。スレーカー警部補は、パーキスターンから密輸されてくる阿片絡みの事件だと直感し、棟梁ハニーフ・カーン(ラーフル・スィン)率いる強盗団を追跡する。手下を半分殺されたハニーフ・カーンは砂漠に潜伏し、復讐の機会をうかがっていた。 また、スワーという男が惨殺される事件も発生し、スレーカー警部補は捜査をし出す。彼が目を付けたのは、スィッダールト(ハルシュヴァルダン・ラーネー)という余所者だった。スィッダールトは古物商で、アンティークの買い付けにやって来ているとのことだった。 スィッダールトは、パンナーとカンワルという村人を、都会で仕事があると言って連れ出し、国境近くにある廃墟ターラーガルで拘束して拷問する。また、パンナーの家に居候するようになり、妻のチェートナー(ファーティマー・サナー・シェーク)と親密になる。やがてダンナーという男もスィッダールトが連れ去ってしまう。 スィッダールトは、強盗に殺された妻シェリル(マンダナー・カリーミー)の復讐のためにやって来ていた。パンナー、カンワル、スワー、ダンナーらはシェリルを殺した張本人だった。スィッダールトはチェートナーをターラーガルに連れ出して、瀕死の状態のパンナーに会わせ、彼に罪を告白させる。スィッダールトはパンナーを焼き殺す。そこへ、ハニーフ・カーンの襲撃を命からがら撃退したスレーカー警部補がやって来る。チェートナーはスィッダールトを撃ち殺す。半年後、チェートナーはスィッダールトの子供を身籠もっていた。
渇いた大地で繰り広げられるハードボイルドなストーリーで、確かに西部劇を思わせるような作りだった。舞台となるムナーバーオは実在するパーキスターン国境の町である。ここから国境を越えることは通常の旅行者には無理だが、巡礼など、特別な目的を持った人に対しては時々開かれることがある。映画の時間軸となっている1985年頃にはもっと自由に往き来できたのではないかと思われる。また、パーキスターンから密輸されてくる阿片も映画の小道具になっていた。
ただ、ストーリーがあまり大きく発展しない。退屈な国境の町で突然、殺人事件が立て続けに起こり、スレーカー警部補が事件の捜査に当たるわけだが、犯人として浮上するのは2組。ひとつはハニーフ・カーン率いる強盗団、もうひとつは怪しげな古物商スィッダールトである。もう少し潜在的な容疑者を増やして引っ張ればサスペンス性が出たかもしれないが、映画の中盤にはスィッダールトが事件に大きく関わっていることが観客に明らかにされるため、その後はなぜスィッダールトがそんなことをするのかがサスペンスの焦点になる。それも終盤に明かされるが、観客の想像の範囲内であり、予想通りの着地点に着地したという実感しか沸かない。
男女関係の側面からいえば、スィッダールトとチェートナーの関係が興味深いものになっている。スィッダールトはパンナーを復讐のターゲットに定めるが、チェートナーはパンナーの妻であった。スィッダールトはパンナーを幽閉すると同時に彼の家に居候し始めるが、チェートナーとは親密になり、遂には身体関係に至る。スィッダールトは復讐を終えて立ち去ろうとするが、彼に心を奪われたチェートナーは彼に付いていこうとする。スィッダールトはチェートナーを瀕死の状態のパンナーに引き合わせ、彼が自分の妻にしたことを伝える。そして、パンナーを焼き殺す。チェートナーが何をしたかといえば、スィッダールトを撃ち殺してしまった。パンナーはチェートナーに暴力を奮っており、彼らの仲は良好ではなかったはずである。そして、チェートナーはスィッダールトに心と体を許していた。それでも、目の前で夫を殺されたチェートナーは躊躇なくスィッダールトを殺す。それを見ていたスレーカー警部補は、復讐は復讐を呼び、皆が死ぬまで終わらないと語る。
また、チェートナーは近所の人々から「石女」と呼ばれていた。パンナーとの間に子供が生まれなかったからだ。だが、スィッダールトとセックスしたことで身籠もる。自分の夫を殺し、自分が殺した相手の子供を身籠もる感情というのは想像もつかないが、ラストで見る彼女の表情はどちらかといえば明るいもののように見えた。
「Thar」はハルシュヴァルダン・カプールを再ローンチするために作られた映画であろうが、素がそうなのであろう、無口かつ無表情な役ばかりを演じるため、我々は彼の実力を知る機会を得られていない。よって、なかなか彼に感情移入することができない。父親のアニル・カプールは渋い演技を見せていたが、それに釣り合うような演技ができていなかったのが実情だ。
ファーティマー・サナー・シェークは元々うまい女優であるし、今回もラージャスターン州の田舎女役を、派手さをそぎ落として演じ切っていた。それに比べたら、ダンナーの妻ガウリー役を演じたムクティ・モーハンはモデルっぽいオーラが抜け切れておらず、場違いな印象を受けた。
「Thar」は、アニル・カプールが息子のハルシュヴァルダン・カプールを売り出すために作ったような映画だ。ハードボイルドなネオウェスタン映画に仕上がっているが、ストーリーに目新しさは感じないし、ハルシュヴァルダンからも過去の出演作を超えるような輝きを感じなかった。悪い映画ではないが、後に残るものがあまりない映画で終わってしまっていた。