お祭りシーズンの影響か、最近やたらとたくさんの映画が公開される。だが、質と量の関係がしばしば反比例するように、名作と呼べる作品が少ないのが気になっていた。だが、今日、PVRアヌパム4で2006年9月22日から公開の新作ヒンディー語映画「Khosla Ka Ghosla!」を観て、やっとその玉石混交の中から玉を見つけた思いであった。
「Khosla Ka Ghosla!」を意訳すれば、「コースラー家のマイホーム大作戦」みたいな意味。中産階級の夢であるマイホームを巡った珍騒動を描いた映画である。監督は新人のディバーカル・バナルジー、脚本は「Company」(2002年)や「Bunty Aur Babli」(2005年)などで脚本やダイアログを担当したジャイディープ・サーハニー。キャストは、アヌパム・ケール、ボーマン・イーラーニー、パルヴィーン・ダバース、ランヴィール・シャウリー、キラン・ジューネージャー・スィッピー、ターラー・シャルマー、ヴィナイ・パータクなど。
デリー在住の典型的な中産階級のカマル・キショール・コースラー(アヌパム・ケール)は、定年退職を前に、今までの人生の中でコツコツと貯めたお金300万ルピーをはたいてマイホームのための土地を郊外に購入した。ところが、地鎮祭のためにその土地へ行ってみたところ、クラーナーという人物によって占領されており、周囲には壁が張り巡らされていた。そして人相の悪い見張りが見張っていた。この取引を行った不動産屋は、150万ルピーを出せば何とかなると言い出す。警察、弁護士、政治家なども、この問題を解決するために、120~130万ルピーの報酬を要求して来た。最後にコースラーは、キシャン・クラーナー(ボーマン・イーラーニー)に会いに行くが、豪華な屋敷に複数の手下と共に住む恐ろしげな男で、脅されて帰って来る。 コースラーの長男チローンジーラール(パルヴィーン・ダバス)は多国籍企業で働くコンピューター・エンジニアであったが、家族や恋人のメーグナー(ターラー・シャルマー)に黙って、米国の本社に転勤しようとしていた。彼は家族に溶け込んでおらず、父親が建てようとしているマイホームも苦痛であった。ある日、チローンジーラールは父親に米国へ移住しようとしていることを打ち明ける。父親や家族は驚くものの、米国に行く前までは家族となるべく一緒にいるように頼む。チローンジーラールは、ヴィザ取得代行業者のアースィフ・イクバール(ヴィナイ・パータク)に頼んで米国ヴィザの申請を行っていたが、父親の困難を見て、次第に米国行きを迷うようになって来る。 コースラーの次男バンティー(ランヴィール・シャウリー)は、長男と違って勉強嫌いでノラリクラリの生活を送っていた。バンティーは、ペヘルワーン(力士)の一団を呼んで、夜中に父親の土地を取り囲んでいる壁を破壊する。だが次の日、コースラーは警察に逮捕されてしまう。クラーナーによってコースラーは釈放される。クラーナーはコースラーに、特別価格として120万ルピーを払えば土地を引き渡すと提案する。意気消沈したコースラーは、もう土地もマイホームお必要ないと言い出す。 それを見たチローンジーラールは、アースィフに相談する。アースィフはかつてクラーナーと手を組んで悪徳不動産業をしていたが、彼の土地もクラーナーに奪われ、以後、小さなビジネスを営んでいた。アースィフは、クラーナーを騙して金を奪い返すことを提案する。チローンジーラールは、メーグナーが所属していた劇団の長パップーを、ドバイに住むNRI(在外インド人)の大富豪に仕立てあげることに決める。周到な準備により、クラーナーはまんまと騙され、コースラーは大金を手に入れる。こうしてコースラーはクラーナーから土地を買い戻し、マイホームを建てたのだった。また、この一件により家族との絆を取り戻したチローンジーラールは、米国に移住するのをやめ、メーグナーと結婚して新しいコースラーの家に住むことになった。
インドの社会で現実に起こっている問題を取り上げ、それをコメディータッチに味付けし、しかも感動的にまとめることに成功した傑作。アヌパム・ケールやボーマン・イーラーニーという演技派男優の演技もさることながら、パルヴィーン・ダバースという比較的名の知れていない男優の名演を見ることができたことも収穫だった。
題名「Khosla Ka Ghosla!」の中の「Khosla」とはパンジャーブ系の名字、「Ka」は「~の」という意味で、「Ghosla (Ghonsla)」の原義は「巣」、転じて「小さな家」みたいな意味である。もちろん、「コースラー」と「ゴースラー」の音をかけた駄洒落であるが、直訳すると「コースラーの小さな家」、映画を観ると、それがマイホームを巡った騒動を象徴した題名であることが分かる。コースラー家は、デリー南部のシャープル・ジャートにある小さな家に住む中産階級の家庭であったが、カマル・キショール・コースラーは定年を前に長年の夢であったマイホームを実現するために思い切って行動を始める。だが、悪徳不動産屋の罠にはまり、コースラーが購入した土地は何者かに占領され、それを取り戻すためには購入金額の半分をさらに支払わなければならない状態に置かれてしまった。
不動産を巡るこのような詐欺は、インドでは珍しくないようだ。ちゃんと金を払い、ちゃんと正式な権利書も手に入れたのに、購入したはずの土地は誰かのものになっており、その人の手元にも権利書がある。もちろん、その権利書は偽物であるのだが、偽物であっても本物同然の効力を持っている。そして、それを取り返すには購入金額の半分を上乗せして支払わなければならない。警察、弁護士、政治家も、金なしには動いてくれない。クラーナーから150万ルピーを要求されたことを知ると、彼らはそれよりも数十万ルピー低い値段を提案し、これだけくれたら解決してあげようと申し出る。コースラーは自分の土地を取り返そうと、ペヘルワーン(力士)の団体を雇って土地を囲む壁を取り壊すのだが、警察には「不法侵入」やら「器物破損」の容疑で逮捕されてしまう。インドのシステム全体の不健全さが、クラーナーのような詐欺師をのさばらせ、コースラーのような真面目な人間を搾取している様がまざまざと描写されていた。
最終的にコースラーの一家が取った手段は、騙されたら騙し返すというあまりインド的でない解決法であった。かつてマハートマー・ガーンディーは、正しい目的を達成するためには、その手段も正しくなくてはならないと説いた。インドの道徳は、このガーンディーの考え方に大きく影響されているように見える。だから、「Khosla Ka Ghosla!」における解決法は必ずしも褒められたものではなかった。現に、カマル・キショール・クラーナー自身は、長男チローンジーラールが中心になって立案したその作戦に反対であった。だが、クラーナーを騙すプロセスは、バラバラになりかけていた家族の結束を基盤に、笑いと緊張感溢れる絶妙なタッチで描かれていたので、観客もそれほど不快には思わなかっただろう。あらすじ中にはその手口を詳述しなかったが、それは見てのお楽しみということにしておく。
この映画でもうひとつ重要なテーマだったのは、インド人中産階級の海外移民である。インド人は次々と米国などに移民しており、あたかもインド人は全員インドを捨ててどこか海外に移住したいのかと思えてしまうほどだが、実際はそれほど単純なものではないということがこの映画によって示されていたと思う。チローンジーラールは、自身のキャリアアップと家族の将来の安泰のために、米国本社への転勤を決める。だが、デリー郊外にマイホームを建設し、家族みんなで一緒に住もうと夢見ていた父親をはじめ、家族はあまり賛成ではない。だが、反対もしなかった。弟や妹は、夜にそっとチローンジーラールの部屋を訪れ、「休みが取れたら帰って来てくれるよね?」「米国に行っても俺たちを忘れやしないよな?」と問い掛ける。チローンジーラールは母親に、米国での生活が安定したら移住するように勧めるが、母親は「こんな年になって別の国に住む気なんてしない」とため息をつく。結局、マイホーム騒動が終わると、チローンジーラールは家族の絆の大切さを知り、米国行きをやめて家族で一緒に住むことに決める。何かホッとする温かい終わり方であった。
このように、この映画ではチローンジーラールを演じたパルヴィーン・ダバースがかなり重要な役を演じており、しかも彼は自己中心的な現代人から家族愛に目覚めた長男への変身をパーフェクトに演じ切っていた。コースラーを演じたアヌパム・ケールと、クラーナーを演じたボーマン・イーラーニーも素晴らしかったのだが、彼らの演技力は既に何年も前に証明されているので、ここで繰り返しても仕方ないだろう。
最近飛ぶ鳥を落とす勢いなのがランヴィール・シャウリーである。先日見た「Pyaar Ka Side/Effects」(2006年)にも出演していた。おちゃらけた自堕落男の役が非常にうまい。インド映画に新しいタイプの笑いを持ち込んでいることも評価できる。これからも活躍してくれるだろう。
ターラー・シャルマーは、「Page 3」(2005年)の女優の卵の役が印象的で、何だか子供っぽいイメージがあったのだが、「Khosla Ka Ghosla!」では少し大人っぽくなっていて、女優としてスタートラインに立ったように思える。
デリーが舞台になっていたので、何となく見慣れた風景が出て来たが、インド門やクトゥブ・ミーナールのような典型的なランドマークはひとつも出て来なかった。シャープル・ジャートは実在の住所だが、コースラーのマイホームが建った土地は実在かどうか分からない。
「Khosla Ka Ghosla!」は、都市中産階級を主にターゲットにした良作である。急速に発展する一方で、伝統的なダーダーギーリー(ヤクザ稼業)が根強く残るインドの社会の現実を鋭くかつ面白おかしく描いた映画だ。