米国の人類学者ルース・ベネディクトは日本と欧米の文化を比較し、日本を「恥の文化」、欧米を「罪の文化」とした。ではインドはどうかといえば、インドは「名誉の文化」ということができるかもしれない。
名誉の問題
インド人の一般的な考え方はこうだ。インド人には、富める者から貧しい者まで、あらかじめ分相応の「名誉」が備わっている。また、個人のみならず、家族、カースト、宗教など、インド人のアイデンティティーを決定する組織にも「名誉」が備わっており、平常時は維持されている。それが、何らかの行為や出来事によって毀損される可能性があり、インド人は全力でそれを防ごうとする。この考え方が、インド文化の根幹を形成している。
インド人もしくは特定のコミュニティーが保持する「名誉」は、個人または所属員が成し遂げた業績によって増大する一方、何らかの失敗により簡単に傷ついてしまう脆弱なものだ。特に女性の「名誉」とは、日本でいう「貞操」と等しい。そして、家族や集団の「名誉」は、それに所属する女性の「名誉」、つまり女性の「貞操」と密接に結び付いていると考えられている。女性に関する文脈でいう「名誉」は、未婚の女性の場合は処女性であり、既婚の女性の場合は夫以外の男性と接点を持たないことである。
「名誉」はヒンディー語で一般に「इज़्ज़त」というが、「इज़्ज़त का सवाल(名誉の問題)」というフレーズはヒンディー語映画でもよく耳にする言葉である。
伝説的名作「Sholay」(1975年)でヘーマー・マーリニー演じる女御者バサンティーが、悪漢に襲われ、馬車に乗って逃げるときに馬車馬に放った以下の台詞は、名台詞の多い同作の中でも人気のフレーズである。
चल धन्नो, आज तेरी बसंती के इज़्ज़त का सवाल है!
行け、ダンノー、今日、お前のバサンティーの名誉が危機にあるわ!
名誉殺人
一部のインド人にとって、家族やコミュニティーの名誉は個人の命に勝る。それが如実に表れているのが、インド各地で相次ぐ名誉殺人である。
インド人にとって、家族が保持する名誉がもっとも岐路に立たされるのは、子供の結婚である。家族の年長者が決定し、社会的慣習に従って、同宗教、同カーストの者同士が結び付く結婚を成就させることが家族の名誉を増大させるが、それが適わない場合、つまり、子供が、異宗教や異カースト同士の結婚、駆け落ち結婚や恋愛結婚を選択した場合、家族の名誉は地に墜ちる。
インドでは、駆け落ち結婚をした若い男女が、両親に殺されたり、所属するカーストのパンチャーヤトで死刑を宣告されたり自殺を強要されたりする事件が相次いでいる。これが名誉殺人である。結婚以外の場面でも名誉殺人は起こり得るが、もっとも多いのが駆け落ち結婚に起因するケースだ。家族の名誉が傷つくくらいならば、今まで手塩に掛けて育ててきた子供ですらも殺してしまう。パンジャーブ州、ウッタル・プラデーシュ州、ハリヤーナー州、ラージャスターン州などの北西インドで特に名誉殺人が多いとされるが、西インドや南インドなど、広範な地域で同様の殺人事件が報告されている。表沙汰になっているものだけでも、1年間で100件はあるとされている。
異宗教、異カーストの結婚なら日本人にも分かりやすいのだが、同ゴートラの者同士が結婚したことで名誉殺人の被害に遭うというのは分かりにくいだろう。ゴートラというのは氏族のようなもので、ひとつのカーストの中に複数のゴートラが存在する。同じゴートラの者は家族扱いとなり、家族内での結婚を避けるために、同ゴートラの結婚がタブー視されている。そのタブーを破ったことで名誉殺人の対象となるのである。
当然、殺人は犯罪であるが、殺人までいかないにしても、法定年齢以上の男女が本人の意思で同意して成立した結婚に干渉することは、たとえ育ての親だとしても許されない。裁判所は度々名誉殺人に対する警告を行ってきているが、その数が急減したという報告は残念ながらない。
名誉殺人が社会問題となる中、ヒンディー語映画界でも名誉殺人を取り上げた作品が作られるようになった。もっとも早い例は「Love Sex Aur Dhokha」(2010年)や「Aakrosh」(2010年)だったが、それ以降も、「Khap」(2011年)、「Heropanti」(2014年)、「NH10」(2015年)、「Dhadak」(2018年)など、様々な映画で名誉殺人が取り上げられている。
セーフハウス
両親の意思に反して結婚し、命の危険にさらされた男女を救うための手立ても取られている。面白いのは、駆け落ち結婚をした男女を匿うためのセーフハウスを政府が用意している州があることだ。「Love Hostel」(2022年)は、ハリヤーナー州のセーフハウスを部分的に題材にした映画であった。