今日は、ディーワーリーの翌日の2005年11月2日から公開された3本の新作ヒンディー語映画のひとつ、「Shaadi No.1」をPVRアヌパム4で観た。ヒンディー語映画には、「Coolie No.1」(1995年)、「Hero No.1」(1997年)、「Biwi No.1」(1999年)、「Jodi No.1」(2001年)など、「~No.1」という題名の一連の名作コメディー映画があるが、この映画もそれらの例に漏れず、ヴァーシュ・バグナーニー制作、デーヴィッド・ダワン監督の映画である。
「Shaadi No.1」とは、直訳すれば「結婚No.1」という意味。監督は前述の通り、ヒンディー語映画界の「コメディーの帝王」、デーヴィッド・ダワン。「Kyon Ki…」のプリヤダルシャン監督も「コメディーの帝王」の称号を持っており、今年のディーワーリーはコメディーの帝王同士の直接対決になったとも言える。音楽監督はアヌ・マリク。キャストは、サンジャイ・ダット、ファルディーン・カーン、ザイド・カーン、シャルマン・ジョーシー、アーイシャー・タキヤー、イーシャー・デーオール、ソーハー・アリー・カーン、リヤー・セーン、ソフィー・チャウダリー、アールティー・チャブリヤー、サティーシュ・シャー、ラージパール・ヤーダヴなど。
ラージ(ファルディーン・カーン)、ヴィール(ザイド・カーン)、アーリヤン(シャルマン・ジョーシー)は、それぞれバーヴナー(アーイシャー・タキヤー)、ディヤー(イーシャー・デーオール)、ソニア(ソーハー・アリー・カーン)の三姉妹と結婚していたが、妻たちから蔑ろにされていた。気が滅入った三人は自殺を計るが、そのとき、ビジネスがうまく行かずに同じく自殺しようとしていたコーターリー社長(サティーシュ・シャー)を助け、それがきっかけとなって三人はコーターリーの会社で働き出す。 ところが、コーターリー社長には別の問題があった。それは彼の三人の娘のことだった。コーターリー社長は既に娘たちの結婚相手を決めていたが、フランスに住む娘たちは恋愛結婚しかしないと言い張っているのだった。そこでラージたちは、コーターリーの三人の娘と恋愛してこっぴどく振り、恋愛に失望させる任務を負うことになる。 フランスに渡ったラージはレーカー(アールティー・チャブリヤー)と、ヴィールはディンプル(ソフィー・チャウドリー)と、アーリヤンはマードゥリー(リヤー・セーン)と出会い、首尾よく付き合うようになるが、演技のつもりで恋愛をしていたラージたちは本当に彼女たちを愛するようになってしまう。コーターリーの三人娘たちは、インドに帰ったラージたちを追ってインドに来てしまう。 インドに帰ったラージたちは、家におかしな男が来ているのに気付く。ラクヴィンダル・スィン、通称ラッキー(サンジャイ・ダット)。妻たちの遠い親戚だという。ラージたちはコーターリーの三人娘たちと外で浮気をするが、それをラッキーに見られてしまう。ラッキーは三姉妹にそのことを知らせるが、彼女たちは自分の夫を信じ、ラッキーの言うことを聞かなかった。また、コーターリーはラージたちに騙されたことを知って怒る。 ラッキーの妨害やコーターリーの密告のせいで、やがてラージたちが浮気をしていたことがばれてしまう。ラージたちはコーターリーの三人娘と無理に結婚しようとするが、三人娘にもラージたちが実は既婚者であったことがばれてしまう。一度に妻とガールフレンドを失ってしまった三人は、飛び降り自殺しようとする。それを助けようとした妻たちも落ちそうになってしまうが、ラッキーの活躍により妻たちは無傷で済み、ラージたちも重傷を負ったものの生きながらえる。こうしてラージたち三人の家庭はラッキーの活躍のおかげで何とか元通りになった。
ヒンディー語映画界では2004年の「Masti」あたりから不倫コメディー映画が流行しているようだ。最近では「No Entry」(2005年)が秀逸だった。「Shaadi No.1」も不倫がテーマの爆笑コメディー映画である。上記の3つの不倫コメディー映画は、偶然か故意か、3人の男性たちが不倫や浮気の道に足を踏み入れてしまったために繰り広げられるしっちゃかめっちゃかのドタバタ劇という点で共通している。ただ、「Shaadi No.1」が特殊だったのは、サンジャイ・ダット演じるラッカーが重要な役割を果たしていることだ。だが、最後のクライマックスは稚拙過ぎて興醒めであった。
サンジャイ・ダットは、泣く子も黙るマフィア役を演じさせると世界最強なのだが、実はコメディーの才能もけっこうある。デーヴィッド・ダワン監督の「Ek Aur Ek Gyarah」(2003年)を観たときはサンジャイ・ダットにコメディーは似合わないのではないかと思っていたが、「Munna Bhai M.B.B.S.」(2003年)を観た瞬間にその考えが180度変わった。サンジャイ・ダットは優れたコメディアンでもある。「Musafir」(2004年)でサンジャイ・ダットが演じたビッラーは、マフィアとコメディアンの見事な融合と言っても過言ではなく、彼にしかできない役だろう。「Shaadi No.1」でもサンジャイ・ダットは遺憾なくコメディーの才能を発揮している。サンジャイ・ダットは、その強面でマッチョな外見に騙されがちだが、実はかなり多才で繊細な俳優だと最近思っている。何しろ彼もサラブレッドの一人だ(父は大俳優スニール・ダット、母は大女優ナルギス)。
サンジャイ・ダット、ファルディーン・カーン、その他の脇役俳優を除けば、この映画に出演している俳優は若手ばかりである。ヒンディー語映画界の世代交代を促進させる意味でも、若い才能を発掘する意味でも、この試みは歓迎したい。しかし、いかんせん登場人物が多すぎて、一人一人の俳優の活躍の場は限られていた。特に女優は一気に6人登場。イーシャー・デーオールくらいは何とか認知度がそこそこあるだろうし、リヤー・セーンもまあ少しは名の知られた女優と言っていいだろうが、アーイシャー・タキヤー、ソーハー・アリー・カーン(サイフ・アリー・カーンの妹)などはまだデビューしたてであるし、アールティー・チャブリヤーやソフィー・チャウドリーに至っては、ヒンディー語映画をマメに観ている僕でも知らなかったくらいだ。あまりインド映画を観ない人がこの映画を観たら、女優の顔がみんな同じに見えて混乱することは避けられないと思われる。
僕は常々「インド映画の真髄はコメディー映画にあり」と公言しているが、この映画もいかにもインド人が好きそうなコメディー映画であった。コメディー映画と一口に言ってもその面白さの種類はいくつもあるが、この映画で最も優れていたのはセリフ回しであった。セリフのひとつひとつに韻が踏まれていたり、掛け言葉が巧妙に織り込まれていたり、珍妙な例えがポンポン飛び出したりした。特にラッキー兄貴がしつこく繰り返すおかしな「ミサール(諺)」は爆笑ポイントである。この映画でインド人と同じタイミングで笑える人は、ヒンディー語がネイティヴレベルに達したと自負していいだろう。ちなみに映画の最後にラッキー兄貴が観客に向かって言うミサールは、「スィーター・ラームやラーダー・クリシュナの話は神様のもの、人間の話になったら『Shaadi No.1』のことを出しな」というものだった。文末の「bhagwaan ki」と、「Shaadi No.1 ki」で韻が踏まれていた。ヴァ!ヴァ!このマザー(面白さ)はヒンディー語が分からないと味わえないだろう。
この映画は既婚男性の不倫が主なテーマになっていたが、もうひとつ重要なテーマは、「お見合い結婚か、恋愛結婚か」であった。バーヴナー、ディヤー、ソニアの三人と、マードゥリー、ディンプル、レーカーの三人が、それについて議論をするシーンは面白い。既に結婚しているバーヴナーたちはお見合い結婚派で、「恋愛は結婚してからするもの」というインドの伝統的価値観を主張する。一方、マードゥリーたちは断然恋愛結婚派で、「服を買うときは必ず試着をするように、結婚前に恋愛をすることは必須」と主張する。だが、結局この議論の結論は映画中では出されておらず、どちらかというとお見合い結婚の方に軍配が上がった形でエンディングとなっていた。ちなみに、ラージたち三人の不倫相手、マードゥリー、ディンプル、レーカーは、ヒンディー語映画界の有名女優、マードゥリー・ディークシト、ディンプル・カパーリヤー、レーカーから来ていることは明らかである。
前述の通り、この映画はセリフを吟味すると面白いが、その中で気になった単語は「ラクシュマンレーカー」であった。「ラクシュマン」とは、ラーム王子の弟のことで、「レーカー」とは「線」という意味だ。インドに生活している人の間で「ラクシュマンレーカー」と言ったら、蟻やゴキブリを部屋の中に入って来なくするための薬品が思い浮かぶだろう。一応その語源は、中世バクティ詩人トゥルスィーダースがアワディー方言で著した「ラームチャリトマーナス」(現在インドで広く読まれているラーム王子の物語は、実はサンスクリット語の「ラーマーヤナ」ではなく、この「ラームチャリトマーナス」である)において、森林に隠棲中、ラクシュマンがスィーターに対し「この線を越えて外に出てはいけません」と言って引いた線のことである。スィーターはうっかりその線を越えて外に出てしまったため、ラーヴァンに誘拐されてしまった。この神話から、ラクシュマン・レーカーとは、「既婚の男女が越えてはいけない一線」、つまり「貞節と不倫の間の線」という意味を持っているようだ。
アヌ・マリクの音楽はピンキリであるが、「Shaadi No.1」もそんな感じであった。「Hello Madam, Hello Madam, I am your Adam」という親父ギャグ的歌詞が面白い「Hello Madam」や、「艶かしい」という意味の単語「Aiyashi」が繰り返される「Aiyashi, Aiyashi」が優れていたと思う。ダイアログと同様、歌の歌詞もよく聞くといろいろ際どいことを歌っている。
「Dhoom」(2004年)の大ヒット以来、ヒンディー語映画ではバイクが流行しているが、この映画ではヒーロー・ホンダ社Karizmaの改造車が登場する。どこかのバイク屋でカスタムしてもらえるようで、最近デリーでも改造されたKarizmaが走っているのをよく見る。
「Shaadi No.1」は人を選ぶ映画だと思う。サンジャイ・ダットが好きな人、コメディー映画をセリフで笑えるくらいヒンディー語が分かる人、ちょっと卑猥な映画が好きな人にはオススメだと言えるだろう。登場人物が多すぎる上に知名度の低い若手俳優が大量出演するため、ヒンディー語映画初心者にはちょっとつらい。夫婦やカップル向けの映画ではない。あまりの卑猥さに途中で退席してしまう観客がチラホラいた。気の置けない男友達と観に行きたい映画である。