
2026年10月2日からZee5で配信開始された「Pooja Meri Jaan(愛しのプージャー)」は、愛しの女性にプロポーズを拒絶された男性が自殺したことから起こる騒動を描いた法廷劇である。中心的な議題になっているのは「女性の拒絶を受け入れられない男性」の問題だ。
プロデューサーはディネーシュ・ヴィジャーン。監督は「Jai Mummy Di」(2020年)のナヴジョート・グラーティー。音楽はヴィシャール・ミシュラー。
主演はムルナール・タークル。他に、フマー・クライシー、ヴィクラム・スィン・チャウハーン、ヴィジャイ・ラーズ、ラージェーシュ・ジャイス、リトゥラージ・スィン、スニーター・ラージワール、プリヤーンシュ・ジョーラー、ヴィジャイ・ヴィクラム・スィンなどが出演している。なお、リトゥラージは2024年2月20日に亡くなっており、本作は彼にとって遺作となった。
舞台はデリー。プージャー・ドーグラー(ムルナール・タークル)とアニケート・シュリーワースタヴ(ヴィクラム・スィン・チャウハーン)は舞台劇俳優で、二人は「ロミオとジュリエット」でジュリエット役とロミオ役を演じた。劇の終了後、観客の面前でアニケートはプージャーにプロポーズをし、彼女に婚約リングを渡す。その場ではリングを受け取ったプージャーであったが、楽屋でアニケートにリングを返し、プロポーズを拒絶する。その晩、アニケートは自殺する。
アニケートの遺族はプージャーを訴え、彼女は逮捕される。プージャーは、劇団長アサド・メヘフーズ(リトゥラージ・スィン)の娘で友人のサナー(フマー・クライシー)に弁護を頼む。検察側の弁護士は、女性の権利が過剰に守られていることを批判するジャティン・トリヴェーディー(ヴィジャイ・ラーズ)であった。サナーは弁護を引き受けたものの、まだ気持ちを整理できておらず、初公判ではまともに反論できずにプージャーの保釈を勝ち取れなかった。プージャーは司法勾留となり、刑務所でしばらく過ごすことになる。
プージャーにはヴィクラム・マロートラー(プリヤーンシュ・ジョーラー)という恋人がおり、彼はプージャーを支えようとするが、プージャーが彼と一時別れることを提案し、疎遠になる。プージャーにはヴィクラム以外にも過去に多くの男性との交際があり、世間はプージャーがアニケートの心を弄んだという評価をしていた。また、プージャーは起業しようとしており、アニケートは自殺の直前に彼女の口座に100万ルピーを振り込んでいた。これもプージャーの心証を悪くした。
だが、サナーはアニケートがプージャーにしつこく付きまとってきた経緯を明かすと同時に、心の変化は誰にも責められないと主張する。確かにプージャーは一時的にアニケートと付き合ったことはあったが、それが彼を自殺に追いやったとは言い切れなかった。そして、もし愛の告白や結婚のプロポーズを拒絶したことが罪になるならば、世の中の多くの女性たちが裁かれなければならなくなると警鐘を鳴らす。サナーはプージャーの保釈を勝ち取る。
最終的に裁判長(ヴィジャイ・ヴィクラム・スィン)はプージャーを無罪とし、アニケートを自殺罪で有罪とした。ただ、世間はまだプージャーに冷たかった。再び「ロミオとジュリエット」の舞台にジュリエット役で立ったプージャーは、彼女を揶揄する観客に対し、「ジュリエットは弱かったから自殺した」と答える。
家父長制が色濃いインド社会において男性は常に強くあることを求められている。インド映画も強い男性を礼賛し、恋愛の場面でも、意中の女性に諦めずアタックし続けることを教える。それはしばしば、日本人の目にはストーカーを養成しているように映る。ただ、少なくともヒンディー語映画界では、2012年のデリー集団強姦事件などをきっかけに揺り戻しがあり、「有害な男性性」を抑制する方向に向かい始めた。映画の中で盛んにレイプやアシッドアタックが取り上げられ、女性の安全問題は女性だけの問題ではなく、それ以上に男性の問題であることが主張された。ただ、刑法の改正により女性に強力な権限が与えられたため、今度は男女間の問題が発生したときに女性側が法律を悪用し、男性側が冤罪の被害者になるケースも目立つようになった。
「Pooja Meri Jaan」は、そんな新しい時代の実情を背景にして作られた映画だ。主人公プージャーは、同じ劇団の俳優アニケートに公衆の面前で結婚をプロポーズされ、いったんはそれを受け入れたものの、後から拒絶した。その後、アニケートは自殺してしまう。プージャーには、恋人を取っ替え引っ替えしてきた過去があり、それが彼女の心証を悪くした。プージャーの行動は悪意をもって一般化され、「プージャーのような女性」がいたいけな男性の心を弄び、最悪の場合は自殺に追いやっている現状が問題視された。つまり、何かと女性がレイプやアシッドアタックの被害者として「チヤホヤ」されていた2010年代とは一転し、今度は男性が社会の弱者として浮上し、代わりに法律で過度に守られた強者である女性が世間の悪役に成り下がったのである。そして彼女は悪女の代表として批判の矢面に立たされ、アニケートの自殺の責任を負わされて逮捕されてしまう。彼女に掛けられた容疑はIPC(旧インド刑法)の第304条A(過失殺人)と第306条(自殺教唆)であった。ちなみにIPCは既に廃止され2024年にBNS(新インド刑法)が施行されたため、「Pooja Meri Jaan」はそれ以前の物語であることが分かる。
序盤ではプージャーにあまり肩入れできないような作りになっている。プージャーがアニケートのプロポーズを一方的に拒絶したことしか提示されないし、彼女が恋多き女性であることも示唆されるため、アニケートの方に同情が集まりやすい。ただ、意中の人に振られたからといって自殺する彼の行為にも手放しで同意できないため、心をどこに置いたらいいのか戸惑うというのが正直な感想だ。だが、おそらくこれはナヴジョート・グラーティー監督が故意に仕掛けたものだと思われる。観客の心を、プージャー批判に傾く世論となるべく一体化させようとしていたのだ。
プージャーの弁護人を担当した弁護士サナーの活躍もあって、プージャーの視点から事件を再認識する機会が作られる。アニケートはプージャーのことが好きでたまらず、彼女のためにどんなことでもしていたのはいい。ただ、プージャーの気持ちを考えたことがあっただろうか。多くの場面でプージャーはアニケートの猛烈なアプローチに迷惑していた。ただ、彼女が恋人と別れて落ち込んでいるときなどにはアニケートに一時的に心を許すこともあった。だが、だからといって彼女がアニケートを終生のパートナーと認めたわけではなかった。心が変わるのは誰にでもあることで、それを責められる筋合いはない。
サナーは、今回の事件の根源をインド社会の病巣にまで広げてみせた。インド社会には、男性が常に強くあることを求められるあまり、女性からの拒絶をすんなり受け入れようとしない土壌ができあがってしまっている。インド人男性たちは、映画などの影響で、意中の女性にアタックし続ければいつかは「イエス」と言ってくれると信じ込んでしまっている。女性の「ノー」は「イエス」だという男性に都合のいい言説も普及しており、「Pink」(2016年)はそれを明確に否定した。では、女性からはっきりと「ノー」を突き付けられた男性はどうしたらいいのか。インド社会は女性から拒絶された男性を「負け犬」と呼ぶ傾向にあるため、我慢ならない男性は、その女性をレイプしたり、顔に酸を掛けて彼女の人生を台無しにしたりしていた。これらも決して許されないことであると映画を含むさまざまな形で教育が施された結果、男性は自殺するしかなくなってしまった。「Pooja Meri Jaan」は、これらの諸問題がひとつの原因に起因すると見抜き、解決策を提示している。それは、男性が女性の拒絶を寛大に受けいれることだ。男性に愛を表現する権利があるのと同等に、女性にもそれを拒絶する権利がある。そして、女性に拒絶されたからといってそれがその男性の価値を低めることはないということも知るべきである。男性が家父長制社会の束縛から逃れられない限り、レイプ、アシッドアタック、そして自殺の問題は解決しない。「Pooja Meri Jaan」は、そのような重要なメッセージをインド社会に投げ掛ける極めて有意義な作品だった。
「ロミオとジュリエット」の演技や、プージャーとアニケートのゴタゴタなど、どこか気が抜けていて序盤は駄作の匂いがプンプンしていたが、舞台が法廷に移ることで物語にグリップ力が出てきて、非常に重要な問題について議論が行われるようになり、グッと面白くなる。ムルナール・タークル、フマー・クライシー、ヴィジャイ・ラーズなどの演技も素晴らしく、映画を盛り上げていた。
「Pooja Meri Jaan」は、女性からプロポーズを拒絶された男性の自殺を巡る法廷劇で、一見すると地味な作品だが、映画が訴えようとしている問題は、インド社会のもっとも大きな病巣に触れており、非常に意義のあるものである。2010年代から映画を通して盛んに取り上げられてきた女性の安全問題に関する議論をさらに推し進め核心に迫る内容だ。俳優たちの演技も素晴らしく、2026年のOTT作品の中では必見の部類に入る。
