Dorothy (Tamil)

4.5
Dorothy
「Dorothy」

 2026年9月11日にトロント国際映画祭でプレミア上映され、インドでは同年9月25日に劇場一般公開されたタミル語映画「Dorothy」は、「Jigarthanda DoubleX」(2023年/邦題:ジガルタンダ・ダブルX)などで知られ、現在インドでもっとも優れたストーリーテラーであるカールティク・スッバラージ監督の最新作である。

 プロデューサーは、アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞を受賞した「The Elephant Whisperers」(2022年)などで知られるグニート・モーンガーなど。主演は、「Mahaan」(2022年)などに出演のサナーント、「Made in Korea」(2026年/邦題:マイ・ソウル・ダイアリー)などに出演のリシカーント、そして「Baby John」(2024年)などに出演のキールティ・スレーシュ。

 他に、ラーマチャンドラン・ドゥライラージ、ムトゥパーンディ、ソウンダララージャ、ムタラギ、ジーヴァ・スブラマニヤム、ムトゥクマール、ラージェーシュワリーなどが出演している。

 時代は1980年代。転校生のカールティは、いじめられていたところを、ブルース・リー好きなわんぱく少年スッブに救われ、二人は大の親友になる。スッブの父親ホイッスル・ヴィーライヤー(ムトゥクマール)は典型的な家父長で、高利貸しをして村人たちから金品を巻き上げるギャングでもあり、人々から恐れられていた。スッブにはヴェール(ムトゥパーンディ)とカライ(ソウンダララージャ)という年の離れた兄が2人いた。母や姉は死んでおり、彼の家には女性が一人もいなかった。一方、カールティの父親は既に亡く、パニヤラムを売って生計を立てる母親(ラージェーシュワリー)に育てられていた。

 成長したカールティ(リシカーント)とスッブ(サナーント)はヴィーライヤーの下で働く刺客になっていた。ある日、ヴェールがドロシー(キールティ・スレーシュ)という女性と結婚し家に連れて来る。スッブはドロシーに惹かれ、彼女と多くの時間を過ごすようになる。だが、ヴィーライヤーはドロシーの存在を快く思っていなかった。スッブの留守中にドロシーは首つり自殺した姿で見つかった。スッブは、家族が母や姉を殺したことを知っており、ドロシーも彼らに殺されたのだと考える。

 ドロシーの死以来、スッブはふさぎ込むようになる。スッブは幼馴染みのダナムに相談に行くが、彼女の兄に見つかってしまう。スッブはダナムの兄に謝罪するが、ダナムは彼を殺そうとする。カールティが助けに入り、ダナムの兄を殺してしまう。スッブの命を救ったことでヴィーライヤーはカールティに一目置くようになる。ほとぼりが冷めるまで村から出されたカールティはトラック運転手をして暮らしていた。

 あるとき、カールティはヴィーライヤーから呼び出され、スッブを見つけ出し暗殺するように命令を受ける。突然スッブが女装をして家を飛び出してしまったというのだ。男性性を重視するヴィーライヤーは、息子が女性化してしまったことを恥に思い、秘密裏に抹殺することにしたのである。

 スッブから連絡があったため、カールティは彼と合流できた。カールティは女装したスッブの姿を見て虫唾が走った。スッブは、ヒジュラーの聖地であるグジャラート州のバフチャラー女神寺院に行きたいと言う。カールティは彼をトラックに乗せてグジャラート州まで連れて行くことにするが、道中で隙を見て殺そうとしていた。ところが、カールティはスッブを殺せず、彼の死を偽装しヴィーライヤーに連絡する。

 カールティは、兄貴分のヴァディドゥ(ラーマチャンドラン・ドゥライラージ)から、実はスッブに恋しているのではないかと見透かされる。カールティはバフチャラー女神寺院まで行き、ニルヴァーナの儀式によって女性となったスッブと再会する。彼は「ドロシー」という名前を与えられていた。カールティとドロシーはキスをする。

 見事な大どんでん返しで知られるカールティク・スッバラージ監督だが、この「Dorothy」でも大きなサプライズを仕込んでいた。彼ほど映画という媒体の長所をよく理解している監督は他にいないかもしれない。

 物語は、転校生カールティと、ブルース・リーの大ファンであるスッブの出会いから始まる。少年時代の二人は、どちらかといえばカールティの方が大人しく、スッブの方がやんちゃだった。スッブはカールティに「男たる者どうあるべきか」ということをしきりに講釈し、彼を真の男に育て上げようとする。スッブに感化されたカールティはしっかり乱暴者に成長する。彼らは、スッブの父親ヴィーライヤーの刺客として犯罪に手を染めるようになる。

 ここまでは、インドによくあるバディー映画のノリだった。固い友情で結ばれた2人のならず者たちが問題解決をするという展開の映画は、「Sholay」(1975年)や「Gunday」(2014年)など、枚挙に暇がない。古今東西の映画を栄養にしてきたスッバラージ監督は、意図的にそういうパターン化した始め方をして観客にその後の展開を予想させ、後の大どんでん返しの準備をしていたといえる。

 驚きの展開は後半から始まるが、その前に一応いくつかヒントはあった。たとえば、カールティとスッブの性格が少年時代とは正反対になっているのに気付いた観客は多いだろう。カールティの方が血気盛んな青年になり、殺しにも躊躇しなくなる。一方でスッブは優しい性格になり、食後の食器を洗ったりして家庭的になる。

 スッブの人生にとって大きな転機になったのはドロシーとの出会いである。スッブにとっては兄嫁になる。インドにおいて兄嫁と義弟の関係はしばしば性的なニュアンスを含むほどファンタジー化されている。ここにもスッバラージ監督の大きな罠が仕掛けられていた。観客は、きっとスッブはドロシーに禁断の恋をしてしまったのだと思い込む。だが、これも蓋を開けてみれば的外れな予想であった。

 「Dorothy」のプロットにおいて最大の核心になっているのがスッブの性自認だ。少年時代はブルース・リーの真似をして暴れ回っていたスッブであったが、成長するにつれて自分の男性性に疑問を抱くようになり、ついに彼は自分が女性であると自認する。時代はまだLGBTQという言葉が存在しなかった1990年代頃であり、彼は身体と精神のズレに一人思い悩むことになる。その秘密は親友のカールティにも明かせなかった。ドロシーは、彼が初めて自分の性自認が女性であることを打ち明けた相手であり、彼女もスッブのその悩みに真摯に向き合ってくれた。よき理解者であるドロシーが死んだことで彼は拠り所をなくし、とうとう自暴自棄になって、家族の前で堂々と女装し家を飛び出していったのである。

 インドにはヒジュラーというコミュニティーがある。表向きは両性具有者のコミュニティーだが、実質的には性転換者が大半を占めるとされる。スッブはドロシーから、グジャラート州にヒジュラーたちが集まるバフチャラー女神寺院があり、そこで毎年12月に大きな祭りが行われていると聞く。スッブはドロシーと共にバフチャラー女神寺院へ行って「ニルヴァーナ」と呼ばれる性転換手術を受けようとしていたが、ドロシーが死んでしまったため、途方に暮れてしまっていた。カールティはスッブをバフチャラー女神寺院まで連れて行くことになる。ただし、彼にはヴィーライヤーからスッブ暗殺の命令が下されていた。

 「Dorothy」は、カールティがスッブを殺したことをヴィーライヤーに電話で報告するシーンから始まる。これは「現在」のシーンであるが、一般的なセオリーに反し、白黒で描かれる。スッブとカールティの少年時代や、ヴィーライヤーの刺客として活躍する青年時代は、実際には過去の回想シーンである。既にスッブが死んでいることを知らされている観客は、映画の後半で、カールティがどのようにスッブを殺したのかを固唾を呑んで見守ることになる。

 ただ、勘の鋭い観客なら大方予想していたように、カールティは実際にはスッブを殺していなかった。女性化したスッブを当初カールティは毛嫌いしていたが、彼と話す内に、彼の苦しみや悟りを理解するようになる。そして、彼の命を助け、スッブとよく似た乞食の遺体を病院からもらい受けて、スッブの死を偽装したのだった。スッブは、ヒジュラーの一団と共にバフチャラー女神寺院へ向かう。

 これで終わっても良かったと思うのだが、スッバラージ監督はさらにもうひとつサプライズを用意していた。最後の最後で、カールティと、女性化して「ドロシー」を名乗るようになったスッブを、「バディー」ではなく「カップル」として結びつけて見せたのである。しかも、カールティ役のリシカーントとスッブ役のサナーントがリップロックのキスを見せる。LGBTQの人々にとって理想的なエンディングといっていいのだろうか。驚きの展開、そして驚きの結末の映画であった。

 バフチャラー女神寺院は実在する寺院である。バフチャラー女神女神を祀る。当地には訪れたことがあるので、映画の撮影が実際にはバフチャラー女神寺院では行われていなかったことは分かった。バフチャラー女神の乗り物は雄鶏であり、祭りのシーンでは雄鶏の絵が使われていた。そういえば映画の中ではやたらと闘鶏のシーンがあったし、スッブが雄鶏を大事にそうに抱える姿も見られた。それもこの結末につながる伏線だったのである。もちろん、雄鶏は男性性の象徴でもあり、それを乗りこなすバフチャラー女神は男性性のコントローラーでもある。

 「Dorothy」はLGBTQ映画であるが、実際には性自認が女性の男性から女性全体の声が代弁されている構造になっていると解釈できる。女性全体の声とは詰まるところ家父長制批判である。男性性を信奉し、その喪失を恐れるあまり、家族をも殺める。それは女性にとっても生きにくい社会だが、男性にとっても窮屈ではなかろうか。「Dorothy」には、キールティ・スレーシュ演じるドロシーも含めて、女性キャラの出番がほとんどないのだが、性転換したスッブを通して、女性寄りのメッセージが発信されているユニークな作品になっていた。

 サナーントはスッブからドロシーへの転換を見事に演じ切った。リシカーントも、後半になってスッブを殺すべきかという葛藤に悩む姿をよく表現できていた。サナーントとリシカーントはキスもしていて、身体を張った演技だった。

 スッブラージ監督は独特のカメラ回しでも有名だが、「Dorothy」でもエッジの効いたカメラワークをいくつも見せていた。特に見ものだったのは、ドロシー自殺の前後だ。長回しによってスッブの狼狽振りを長時間追い、突然起こった異常事態を臨場感たっぷりに見せていた。また、食事のシーンも印象的だ。「Dorothy」では特にパローターが重要な小道具として取り上げられていた。パローターとは南インド料理のひとつで、パンの一種である。カールティとスッブは、パローターを通して友情を深め、パロータを通して友情を再確認し合ったのだった。

 「Dorothy」は、一級のストーリーテラーであるカールティク・スッバラージ監督がまたも送り出した傑作だ。彼の持ち味である大どんでん返しが今回も炸裂しているが、それがあまりに見事であるがゆえに、映画の内容を詳しく語って他人に勧めようとするとどうしてもネタバレになってしまうという歯痒さもある。LGBTQ映画と呼びたいが、そう呼んだら核心に触れてしまう。そういう悩みはあるものの、見事な映画だった。