
2026年5月15日公開の「Pati Patni Aur Woh Do」は、不倫を題材にしたラブコメ映画「Pati Patni Aur Woh」(2019年)の続編である。前作とはストーリー、キャラクター、俳優に関するつながりが全くなく、テーマだけが共通している。題名は「Pati Patni Aur Woh 2」という意味になる。「Pati Patni Aur Woh」とは「夫、妻、そして彼女」という意味だ。今回は「彼女」にあたる人物が2人いるため、「続編」を示す「2」を「2人」と解釈して、「夫、妻、そして2人の彼女」とすることも可能である。
プロデューサーは複数おり、前作と共通している。Tシリーズのブーシャン・クマールや、レーヌ・ラヴィ・チョープラーなどである。レーヌは、「Naya Daur」(1957年)などで知られる著名な監督BRチョープラーの娘であり、また、TVドラマ「Mahabharat」(1988-90年)で知られるラヴィ・チョープラー監督の妻である。BRチョープラーは「Pati Patni Aur Woh」の元ネタになる同名映画(1978年)を撮っており、権利の関係からプロデューサーの一人になっているのだと思われる。
監督はは前作に引き続きムダッサル・アズィーズ。キャストは、アーユシュマーン・クラーナー、サーラー・アリー・カーン、ワーミカー・ガッビー、ラクル・プリート・スィン、ヴィジャイ・ラーズ、ティグマーンシュ・ドゥーリヤー、ヴィシャール・ヴァシシュタ、グニート・スィン・ソーディー、ドゥルゲーシュ・クマール、アーイシャー・ラザー・ミシュラー、シリーシュ・クマール・シャルマー、ディーピカー・アミーンなどである。前作から総入れ替えといっていい。
プラヤーグラージ在住の森林局局員プラジャーパティ・パーンデーイ(アーユシュマーン・クラーナー)は、TVリポーターのアパルナー(ワーミカー・ガッビー)と共に暮らしていた。近所に住むニーローファル・カーン(ラクル・プリート・スィン)も森林局で獣医として勤務していた。アパルナーとニーローファルは親友だった。
ある日、プラジャーパティの大学時代の後輩チャンチャル・クマーリー(サーラー・アリー・カーン)が彼を訪ねてくる。ヴァーラーナスィー在住のチャンチャルは、地元の有力政治家ガジラージ・ティワーリー(ティグマーンシュ・ドゥーリヤー)の息子スダーンシュ、通称サニー(ヴィシャール・ヴァシシュタ)と恋仲にあった。だが、ガジラージとチャンチャルが一緒にいる場面をパパラッチに激写されてしまう。だが、チャンチャルはそのときブルカーを着ていたため、顔は見られていなかった。ガジラージは息子の相手を血眼になって探していた。もし見つかったら殺されてしまう可能性があった。そこでチャンチャルはプラジャーパティに助けを求めに来たのだった。サニーはチャンチャルを連れてカナダへ高飛びする準備をしていたが、2週間ほどの時間が掛かりそうだった。それまでに時間稼ぎをしなければならなかった。幸い、サニーの恋人候補は複数おり、まだチャンチャルは特定されていなかった。それでも、ガジラージの部下、スリンダル(グニート・スィン・ソーディー)とマヒンダル(ドゥルゲーシュ・クマール)の二人組がチャンチャルを執拗に尾行していた。
プラジャーパティは、自分が彼女の恋人の振りをして疑いを晴らせばいいと提案する。一応妻の許可を得ておこうと、帰宅後にその話を切り出そうとするが、アパルナーはガジラージから依頼され、サニーの恋人を見つけ出そうとしていた。もし恋人の正体を突き止めることができたら、ガジラージはアパルナーに彼女の番組を用意すると約束していた。自分の番組を持つことはアパルナーの悲願だった。プラジャーパティはチャンチャルのことを言い出せず、内緒で彼女を助けることになる。
プラジャーパティは妻に「カーンプルへ行く」と嘘を付き、実際にはヴァーラーナスィーへ行って、スリンダルとマヒンダルに見えるように公共の場でわざとらしくいちゃつく。スリンダルとマヒンダルは早速それをガジラージに報告するが、疑いはなかなか晴れなかった。茶番劇が行き過ぎて、二人はホテルで未婚のカップルの取り締まりをして賄賂を稼ぐ悪徳警察官ダラムヴィール・スィン(ヴィジャイ・ラーズ)に捕まってしまうが、ニーローファルの助け船によって釈放される。取材を進める中でアパルナーもヴァーラーナスィーに来てしまい、プラジャーパティとニーローファルが抱き合っているところを見掛ける。アパルナーの母親バーヴナー(ディーピカー・アミーン)は家庭裁判所の弁護士であり、娘から相談を受けると、すぐには離婚を突き付けず、証拠集めのために平常を装うように助言する。よって、プラジャーパティの自宅では見せかけの平穏が保たれる。また、チャンチャルの叔母(アーイシャー・ラザー・ミシュラー)がプラジャーパティを婿だと決め付け、事あるごとに場をかき乱す。
ところで、サニーは手紙によってチャンチャルと連絡を取り合っていた。だが、チャンチャルがプラジャーパティと婚約しようとしていると聞いて気が気でなくなり、殺し屋を雇ってプラジャーパティを誘拐させる。プラジャーパティはチャンチャルに電話をし、サニーの誤解を解く。サニーはプラジャーパティに感謝し彼を抱きしめるが、その様子をスリンダルとマヒンダルが撮影していた。報告を受けたガジラージは、サニーが同性愛者になってしまったと勘違いする。しかも、プラジャーパティがアパルナーの夫であることを知り、裏切られたと感じる。
カナダ行きの準備が整い、チャンチャルはサニーと空港で落ち合う予定だった。ところがプラジャーパティとチャンチャルはガジラージに拉致され、アパルナーやニーローファルも捕まった。そこへチャンチャルの叔母などもやって来て混乱する。一時は森林局のレンジャーが救出に入るが、オオカミが現れ大混乱になる。その隙にプラジャーパティはチャンチャルを連れて空港まで送り届ける。アパルナーの誤解は解け、駆けつけたガジラージも息子が同性愛者ではなかったことを知って安心する。
細かい部分を見ていくと非現実的ではない設定がある。たとえばチャンチャルは恋人サニーとと駆け落ちしてカナダへ高飛びする計画をしていたが、準備が整うまで助けてほしいとプラジャーパティに相談に来る。プラジャーパティとチャンチャルは大学時代の先輩後輩の仲らしく、長いこと顔を合わせていなかったという。つまり、それほど深い仲ではなかったはずだ。それなのに人生最大の危機を迎えたチャンチャルが頼ったのがプラジャーパティというのは変な話ではなかろうか。
チャンチャルは、サニーの父親ガジラージが決して結婚を認めてくれないと決め付けて逃げ回っていた。もし見つかったら殺される危険性もあると恐れていた。サニーの家系は「ティワーリー」姓からブラーフマンということが分かるが(参照)、チャンチャルのカーストは明示されない。ブラーフマンより低いようだが、不可触民ほど低くはないはずだ。結婚を認めてもらえない最大の理由はそのカースト格差のようだった。だが、結婚の障害のためにカースト格差を持ち出すのも陳腐にしか感じない。
チャンチャルを救うためにプラジャーパティが提案したのは、自分が彼女の恋人の振りをするというものだった。それがうまく行かないことは容易に予想でき、それがトラブルを引き起こして笑いの種になる展開も想定の範囲内だ。コメディを演出するためには必要な設定だったかもしれないが、冷静に考えてみればこれも回りくどい方法だ。妻のアパルナーがサニーの恋人の正体を突き止めようとしていたのは、彼が正攻法を使えなかった正当な理由になっていたが、もっとマシな方法があったのではないかと思ってしまう。
笑えるシーンはある。だが、各種の設定に納得がいかないため、気持ちよく笑うことができなかった。
チャンチャルを巡るドタバタと平行して風刺されているのは、ウッタル・プラデーシュ州で特に強化されているとされるカップル取り締まりだ。同州警察には「アンチ・ロミオ部隊」が創設され、セクハラ防止や女性の安全確保を目的として見回りを行っている。だが、これが過激化し、公園などでいちゃついているカップルが次々に逮捕されているのである。「Pati Patni Aur Woh Do」では、モラル警察が市民の私生活に過度に介入する窮屈な社会がコメディータッチで風刺されていた。この風刺はサイドストーリー的な扱いだったが、社会的な意義という観点では、こちらの方がむしろメインではなかろうか。
アーユシュマーン・クラーナーは、一般的なスター俳優があまり演じたがらない役柄を演じることで独自の地位を築いてきた人物だ。彼の出演作からは何らかの新規性や社会的メッセージを期待してしまう。だが、「Pati Patni Aur Woh Do」で彼が演じた役柄は、チープなコメディー映画にありがちな薄っぺらいキャラであった。演技力は抜群だが、いつもの彼を期待するファンには物足りないだろう。
トリプルヒロインの映画であり、サーラー・アリー・カーン、ワーミカー・ガッビー、そしてラクル・プリート・スィンが共演している。スター性ではサーラー、キャリアではラクル、勢いではワーミカーという三者三様の女優たちだが、どうしてもそれぞれの出番は3分の1になってしまい、彼女たちの良さが十分に引き出されていたとはいいがたい。それぞれのキャラに現実感もなく、ストーリーの都合で極端に味付けされていると感じたのも残念だった。
映画を盛り上げるためにいくつかのダンスシーンが用意されていたが、エンドクレジット曲の「Humne Wahin Lagaya Dil」は完全にストーリーから切り離されていたし、劇中に挿入される「Angdayi」などのダンスシーンもストーリーとの関連性は低かった。一番印象に残ったのは、なぜか途中で何度か使われていた「Tere Naam」(2003年)の「Kyun Kisi Ko」だった。ウディト・ナーラーヤンの歌う懐メロだがいい曲だ。
「Pati Patni Aur Woh Do」は、一定の笑いが約束されたラブコメ映画だが、「Pati Patni Aur Woh」の続編としても、アーユシュマーン・クラーナーの主演作としても、期待外れの出来だ。興行的にはそこそこのヒットをしており、かろうじて製作費を回収できた。あまり期待せずに観るくらいがちょうどいいだろう。
