
2025年12月にインドで「Dhurandhar」(2025年)を観て以来、ずっと酔いのような状態にあった。A認証(18歳未満閲覧禁止)でありながらヒンディー語映画として過去最大のコレクション(国内興行収入)を稼ぎ出し、テルグ語映画「Pushpa 2: The Rule」(2024年/邦題:プシュパ 君臨)のヒンディー語吹替版を王座から引きずり下ろして、南インドから波状的に押し寄せるパワフルな大作の数々を単身跳ね返したこの作品は、1999年から2000年代にかけてインドが悩まされ続けてきたテロ事件を「ドゥランダル作戦」という空想の作戦を持ち込んでひとつの一貫した物語に再構成し、この時代を生きたインド人に「自分事」として捉えられるような現実感を感じさせることに成功した。それは、この時代にインドに住んだ筆者をも深く魅了した。だが、この映画は2部構成であり、「Dhurandhar」を観ただけではその物語世界の全貌を把握することはできなかった。第1部の最後には続編の公開日は2026年3月19日とアナウンスされていた。ちょうど休暇を取ってインドを再訪できるタイミングであった。「Dhurandhar」が歴史を作ったように、続編の「Dhurandhar: The Revenge」もそれ以上の歴史を作ることは目に見えていた。心は決まった。「Dhurandhar: The Revenge」を観るためにインドを再訪しよう。とはいってもインド映画の公開日は流動的で変わりやすい。予告通り公開されるか注視していたが、やはり超話題作とあってライバルが3月19日公開を避けるようになり、「Dhurandhar: The Revenge」は不動であった。
イラン情勢など、不安要素もあったのだがインド行きを決行することにした。また、続編が盛大にこけるという可能性も十分にあった。嫌な予感がしたのは上映時間の長さだ。229分、つまり4時間近くある。こんな長いインド映画は久しぶりである。過激な暴力描写から、もちろんA認証だ。それでも「Dhurandhar: The Revenge」は公開されるや否や期待通り爆発的なヒットとなり、数々の記録を打ち立てている。もはや不安はない。デリーに到着した2026年3月23日、早速コンノートプレイスにあるオデオンINOXにて念願だった「Dhurandhar: The Revenge」を鑑賞した。夕方の回で、もちろん満席である。満席の映画館でインド映画を鑑賞したのは久々だった。やはりインド人観客とインド映画を観ると、どこでどういう反応をすべきなのか分かって面白い。CMやインターミッションを含めると4時間半の映画体験になったが、インド人観客は食い入るようにスクリーンに没入していた。
「Dhurandhar」シリーズは元々一本の映画として構想されていたということもあって、監督やキャストなどに前作から変更はない。監督はアーディティヤ・ダル、音楽はシャーシュワト・サチデーヴ、主演はランヴィール・スィン、ヒロインはサーラー・アルジュンなど。サンジャイ・ダット、アルジュン・ラームパール、ラーケーシュ・ベーディー、Rマーダヴァンなども健在だ。ただ、前作の主要キャラだったレヘマーン・ダコイト役を演じたアクシャイ・カンナーは、前作でキャラが死んでいるため、クレジットだけで今回はほとんど出番がなかった。また、続編にのみ出番があるキャラを演じた俳優たちがキャストに新たに加わっている。ラージ・ズトシーや、ダル監督の妻で女優のヤーミー・ガウタムなどである。
なお、前作から音楽配給権と提携OTTプラットフォームが変わっている。前作の音楽配給権はSaregama India社が持っていたが、本作の音楽配給権を持っているのはT-Series社である。また、前作はNetflixで配信された(日本を除く)が、本作はJioHotstarで配信される予定である。
「Dhurandhar: The Revenge」は以下の7章に分かれている。
- A Burnt Memory(燃やされた記憶)
- Lucifer(ルシファー)
- Ghosts from the Past(過去からの亡霊たち)
- Trial by Fire(炎の審判)
- Unknown Men(謎の男たち)
- The Revenge(復讐)
- Dhurandhar(偉丈夫)
この内、第1章だけは過去の回想であり、主人公ハムザーがパーキスターン潜入の使命を受けたスパイになった経緯が語られる。第2章以降は前作からの続きである。その際、映画の中の時間は想像していた通り2010年代に入る。2014年のナレーンドラ・モーディー首相就任、2016年のウリー襲撃事件と高額紙幣廃止など、この時代にインドで起こった大きな事件が参照されストーリーに編み込まれるため、「Dhurandhar: The Revenge」をフルで楽しみたかったら、インド時事ネタの理解は必須だ。
以下のあらすじはネタバレを含むので、閲覧には注意していただきたい。可能ならば、鑑賞後に読むことを強くおすすめする。
時代は2002年にさかのぼる。パンジャーブ州の軍人一家に生まれたジャスキーラト・スィン・ラーンギー(ランヴィール・スィン)は、成績優秀で、士官学校で訓練を受け、自身も軍人の道を歩んでいた。ところが故郷では、土地の所有権争いがこじれたことが原因で地元州議会議員スクウィンダル・スィンに父親を惨殺され、姉妹の内一人が強姦殺人され、もう一人ハルリーンが誘拐された。ラーンギーは親友グルバーズと共にウッタル・プラデーシュ州のマフィア兼政治家アーティフ・アハマドから武器を調達し、スクウィンダルの自宅を一人で襲撃する。ジャスキーラトは12人を殺害し、ハルリーンを救出するが、逮捕される。ジャスキーラトの死刑は免れなかったが、移送中に彼を乗せた警察の車列が何者かに襲われ、ジャスキーラトは誘拐される。ジャスキーラトが連れて行かれた先にはIB(諜報局)のアジャイ・サーンニャール局長(Rマーダヴァン)が待っていた。サーンニャール局長はジャスキーラトをドゥランダル作戦の実行者に選び、彼をスパイとして養成する。ジャスキーラトの家族にはジャスキーラトの死が伝えられ、その代わり彼らにはインド政府から毎月補償金が送られることになった。
話は2009年に戻る。ハムザー・アリー・マザーリー(ランヴィール・スィン)はレヘマーン・ダコイト(アクシャイ・カンナー)暗殺に成功したが、リヤーリーではライバルギャングのアルシャド・パップー(アシュウィン・ダル)が勢力を盛り返しつつあった。ハムザーはレヘマーンの弟ウザイル(ダーニシュ・パンドール)に、レヘマーンの死の原因となったのはアルシャドだと吹き込み、彼を復讐に走らせる。アルシャドはリヤーリータウンに潜伏するが、ウザイルは街中に火を付け彼をあぶり出そうとする。そしてアルシャドを白昼で斬首する。ウザイルは反テロ法の下に指名手配され、ドバイに高飛びする。だが、ハムザーは手を回し、ドバイで彼が逮捕されるようにする。こうしてハムザーはリヤーリー・タウンの支配者になった。また、連邦政府で政権交代があることを察知し、義父の政治家ジャミール・ジャマーリー(ラーケーシュ・ベーディー)には所属政党の変更を提案する。その策は見事にはまり、ジャミールは政権交代があった後も引き続きリヤーリー・タウンの国会議員になる。連邦政府ではナワーブ・シャリークがパーキスターンの首相に就任する。ハムザーの存在は、カラーチーのアンダーワールドで「バレー・サーブ(大旦那)」と呼ばれていたダーウード・イブラーヒームの目に留まる。諜報機関ISIのイクバール少佐(アルジュン・ラームパール)はハムザーをダーウードの邸宅「ホワイトハウス」に連れて行く。ハムザーはそこで、1993年のボンベイ同時爆破テロを首謀したダーウードの姿を見る。既に年老い、病床に就いていたが、その影響力は健在だった。この頃、インドではナレーンドラ・モーディーが首相に就任し、パーキスターンでは激震が走っていた。
ダーウードの指示もあって、ハムザーはインドのパンジャーブ州からやって来た麻薬密輸マフィアを空港で迎えることになる。その内の一人は、かつての親友グルバーズであった。彼は「ピンダー」と呼ばれていた。グルバーズはカラーチーで大量の麻薬を買い付けていた。ハムザーはグルバーズに身元がばれていないと感じていたが、グルバーズは気付いていた。ハムザーの自宅で開かれたパーティーでグルバーズがそれを暴露しようとし、トイレの中でハムザーと乱闘になる。その混乱の中でグルバーズは死んでしまう。パーティーでケータリングをしていた先輩スパイのアーラム(ガウラヴ・ゲーラー)が全てをかぶる。アーラムがインドのスパイであることが分かると、ハムザーは怒りの演技をしてアーラムを撃ち殺す。だが、このときの出来事がきっかけでチャウダリー・アスラム警視(サンジャイ・ダット)はハムザーを怪しむことになる。アスラム警視はその件を部下のオマル・ハイダル警部と相談するが、ハムザーの妻ヤリーナー(サーラー・アルジュン)はそれを盗み聞きする。ヤリーナーはハムザーの持ち物を漁り、決定的な証拠を見つける。ヤリーナーはハムザーに銃を向け問いただす。ハムザーは正直に答える。ヤリーナーは悩むが、息子のザーインに危害が加わらない限り誰にも言わないことを約束する。
ヤリーナーから、アスラム警視が自分を疑っていることを聞いたハムザーは即座に行動に出る。ドバイからウザイルが移送されるタイミングでハムザーはアスラム警視を罠に掛け、バローチ人による自爆テロの犠牲になったと見せかけて殺す。だが、オマルは引き続きハムザーの正体を探っていた。ドバイでサーンニャール局長と出会い、フリーハンドを与えられたハムザーは、インドの脅威となるテロリストたちを次から次へと始末していく。また、ダーウードの指示により、ウッタル・プラデーシュ州の選挙を操作するために6,000億ルピーの偽札がネパールから密輸入されようとしていた。ハムザーから情報を得たサーンニャール局長は首相に働き掛け、高額紙幣の廃止を実現させる。大量の使えない偽札を抱えてしまった実業家ジャーヴェード・カーナーニーはハムザーに泣きつくが、ハムザーは彼を抹殺する。
ダーウードは再びインドに対して大規模テロを計画し、ハムザーはムドリケーに武器を届ける仕事を与えられた。ハムザーの留守中にオマルは彼の自宅を急襲し、ザーインを人質に取ってヤリーナーにハムザーの正体を問い詰める。ヤリーナーはハムザーがインド人スパイであることを認める。オマルから連絡を受けたイクバール少佐は、ムドリケーでハムザーを待ち構える。だが、ハムザーもあらかじめバローチスターン統一軍(BUF)のシーラーニーと連絡を取っており、BUFをムドリケーに呼び寄せていた。ハムザーとイクバール少佐が死闘を繰り広げる中、ムドリケーの市街地ではBUFとムジャーヒディーンの間で激しい銃撃戦が繰り広げられた。最終的にハムザーはイクバール少佐を爆殺するが、オマルに逮捕される。
ハムザーは拷問を受けるが、シャムシャード・カーン中将(ラージ・ズトシー)はサーンニャール局長から警告を受け、ハムザーを釈放せざるをえなくなる。ハムザーを脱出ポイントまで送り届けたのはジャミールだった。なんと彼もインドのスパイだったのである。ハムザーはインドに帰国する。彼はサーンニャール局長の目を盗んで故郷に帰り、母と妹の無事な姿を遠くから見る。
「Dhurandhar」が214分、そしてこの「Dhurandhar: The Revenge」が229分。合計すると7時間半に及ぶこの長大なドラマは、本来ならば3部作にすると各部がちょうどよくなるボリュームだっただろう。だが、決して飽きる瞬間がない。ずっとスクリーンに釘付けになる。仮に「Dhurandhar」と「Dhurandhar: The Revenge」を続けて観たとしても、トイレなどの生理現象を除けば、集中が途切れないのではないか。それほど見事な出来だった。
ただ、スパイとしてパーキスターンに潜入し、ギャングの一員になって頭角を現していく前作の方が手に汗握るスリルがあった。このスリルがあったからこそ「Dhurandhar」は格別に面白かった。それに比べて「Dhurandhar: The Revenge」では、主人公ハムザーは既にギャングのトップに居座っており、むしろ相手に恐怖を与える存在だった。ウザイルを無力化し、サーンニャール局長からフリーハンドを与えられてからは、その無双状態に拍車が掛かる。インドの脅威となってきたテロリストやその協力者たちが次々に葬られるシークエンスは、インド人観客に爽快感を与えるだろう。だが、それでも、「Dhurandhar」にあったあの緊張感が少し恋しくなった。そういう意味で、映画としての面白味は前作の方が勝っているのではないかと感じた。とはいっても「Dhurandhar」を観たら「Dhurandhar: The Revenge」を観ないという選択肢は残されていない。逆にいえば、「Dhurandhar: The Revenge」は単体では存在価値がない。あくまで「Dhurandhar」で提示された謎の答え合わせとして価値があるといえる。
「Dhurandha: The Revenge」でもっとも緊張感が高まるのは、グルバーズが再登場する中盤である。ハムザーの幼馴染みグルバーズは、今では大物ドラッグ密輸王になっており、カラーチーのアンダーワールドともつながっていた。グルバーズがハムザーの正体を明かしたら、彼のこれまでの努力は水の泡となる。だが、グルバーズは自身もドラッグでラリっており、ハムザーの顔を見ても気付いていない様子だった。この辺りの緊張感は前作にあったスリルを思い出させるものだった。インターミッションもこの前後で戦略的に入る。アーデイティや・ダル監督はインターミッションの使い方を完全に心得ている。
完全に観客を手玉に取ったのはジャミールだ。前作ではアクシャイ・カンナー演じるレヘマーン・ダコイトに注目が集まり、陰の主役ともてはやされたが、「Dhurandhar: The Revenge」まで観てみて、「Dhurandhar」シリーズの真の主役はジャミールではないかと感じた。彼ほど憎まれ、愛され、そして最後に評価が一変する人物はいない。「Dhurandhar」シリーズに仕掛けられたサプライズ爆弾だといえる。
前作で「バレー・サーブ(大旦那)」と呼ばれていた人物の正体がダーウード・イブラーヒームであることは予想されたサプライズであった。1980年代のボンベイのアンダーワールドを支配し、1993年のボンベイ同時爆破テロの首謀者でもあるダーウードは、パーキスターンの諜報機関ISIによってカラーチーにかくまわれているのではないかと噂されている。ダーウードが生きているとしたら、「Dhurandhar: The Revenge」の時代には60代のはずだ。病気のためか、60代にしては老けている。それも結局はジャミールのサプライズと関連した伏線であり、最後にはやはりジャミールが持って行ってしまう。全く憎い存在である。
「Dhurandhar: The Revenge」はなかなか終わらない。終わったと思ったらまだ続く。そんなエンディングだった。最終的に、物語は家族との再会ならぬ帰郷で締められている。これが純粋なアクション映画ならば、イクバール少佐の爆死でもって締めてもよかったと思うが、アーディティヤ・ダル監督の思惑は異なっていたようだ。パーキスターンに潜入し、インドの脅威を一網打尽にしたハムザー、つまりジャスキーラトは、家族にとって既に死んだ存在であった。平穏に暮らす母、妹、そして甥っ子や姪っ子の姿を見て、ジャスキーラトは悩んだ挙げ句、このままでいいと考え、涙する。こういうエモーショナルな終わり方を用意しているのもインド映画らしさを感じた。
ただ、ヤリーナーとザーインのその後については全く言及がなく、かわいそうだった。もしかしたら彼らはカナダへ渡り、そこで幸せに暮らすのかもしれない。だが、カナダならばジャスキーラトも会いに行けるのではないだろうか。ジャスキーラトがヤリーナーとザーインを捨てなければならない理由は正直いってよく分からなかった。
「Dhurandhar: The Revenge」は、前作に輪を掛けて「プロパガンダ映画」という批判も受けることになっている。その理由は、ナレーンドラ・モーディー首相を英雄として描いているからだ。前作で既にモーディー政権の対テロ強硬政策を支持する婉曲的なメッセージが読み取れたが、本作では時代がモーディー政権時代に移ることもあって、モーディー首相の実際の記録映像も使われ、彼がパーキスターンを着実に追いつめている姿が明確に称賛される。2016年にモーディー首相が断行した高額紙幣廃止も、経済学者からは酷評を受けることが多いのだが、映画の中では、テロ撲滅に大きく貢献したことが既成事実化され正当化されている。「Dhurandhar: The Revenge」の内容をそのまま信じてしまう人は、モーディー首相はすごい政治家だと素直に受け止めてしまうだろう。この映画が現実のインド社会に与えるインパクトは今後注視していきたい。
主演ランヴィール・スィンは、「Dhurandhar」シリーズでもって完全に大スターの仲間入りを果たしたと見なしていいだろう。もちろん2010年代から彼の勢いはあったが、このシリーズは彼を大スターに押し上げた代表作として今後語り継がれることになるのは確実だ。ジャスキーラトからハムザーへの変身、そしてハムザーでありながら内にジャスキーラトを秘めた演技。ファッションも独特で、カリスマ的なオーラを身にまとっている。3カーンの後にはリティク・ローシャンがいて、リティク・ローシャンの後にはランヴィール・スィンがいる。ヒンディー語映画史において、そんな史観の確立を告げるシリーズとなった。
だが、「Dhurandhar」シリーズは主役ばかりにスポットライトが当たっていたわけではなかった。それぞれのキャラクターが生きており、それぞれに魅力があった。ラーケーシュ・ベーディーについては既に言及済みだが、サンジャイ・ダットとアルジュン・ラームパールもキャリアベストといっていい演技を見せていた。まるでスクリーンの中で本当に生きているかのような演技だった。
前作では脆弱さが目立ったサーラー・アルジュンであったが、本作では見せ場もあり、強さも見せ、女優として一段と安定性を増していた。本作でいきなり登場したヤーミー・ガウタムは、取って付けたような役を宛がわれており、カメオ出演の域を出ない。アーディティヤ・ダル監督が妻をこの大ヒットシリーズの一員にしようと、後から彼女に役を追加しただけのように感じた。
前作ではシャーシュワト・サチデーヴによる音楽も話題になった。本作でも音楽の使い方は相変わらず上手で、ストーリー進行の邪魔になっていないばかりか、大いに盛り上げていた。ただ、本作ではシリアスなシークエンスが多く、ダンスを差し挟む余地が少なくて、結果的に前作と比べて歌と踊りへの依存度は低かった。これも、あくまで「Dhurandhar」の方が純粋に面白かった理由になるだろう。
「Dhurandhar: The Revenge」は、ヒンディー語映画の歴史を変えた大ヒット作「Dhurandhar」の続編であり、期待通りの大ヒットになっている。前作を観た人なら絶対に外せない映画だ。ただ、前作の答え合わせ的な立ち位置であり、単品としては成立せず、前作がなければ存在価値はない。あくまでひとつの映画が2つに分割されただけだと考えた方がいい。本作を楽しむ上で前作の鑑賞は必須である。もう少しコンパクトにしても良かったとは思うのだが、前作と合わせて、新しいインド映画の完成形を見せてくれる傑作であることには変わりがない。
