
「Vadh 2」は、2025年11月23日にインド国際映画祭(IFFI)でプレミア上映され、2026年2月6日に劇場一般公開された映画だ。題名の通り、「Vadh」(2022年)の続編である。ただ、ストーリー上のつながりはなく、キャラクターだけが共通している。「Vadh」でサンジャイ・ミシュラーが演じたシャンブナートとニーナー・グプターが演じたマンジュがそのままの役名で登場する。だが、「Vadh 2」のシャンブナートとマンジュは「Vadh」のシャンブナートとマンジュとは独立したキャラクターであることには注意が必要だ。逆にいえば、「Vadh」を観ずに「Vadh 2」を観たとしても理解に全く支障はない。
前作「Vadh」は、正当化できる殺人を描いたスリラー映画だった。「Vadh」は「殺人」という意味だが、映画の中ではこれは単なる殺人とは区別されており、「処刑」だと再定義されていた。つまり、正義の鉄槌である。「Vadh 2」でもこの精神は受け継がれており、社会には罪に問われるべきではない殺人があるのではないかという命題が観客に突き付けられている。
監督は前作と同じジャスパール・スィン・サンドゥー。プロデューサーも前作から引き続きラヴ・ランジャンが務めている。サンジャイ・ミシュラーとニーナー・グプター以外のキャストは入れ替わっており、クムド・ミシュラー、アミト・K・スィン、ヨーギター・ビハーニー、アクシャイ・ドーグラー、シルパー・シュクラーなどが出演している。
マディヤ・プラデーシュ州シヴプリーの刑務所の女性区画では、2人の若者の殺人事件で有罪判決を受け終身刑となり服役していたマンジュ・スィン(ニーナー・グプター)が30年近くの長きにわたる刑期を終え、釈放の日を待っていた。この刑務所で看守をするシャンブナート・ミシュラー(サンジャイ・ミシュラー)は密かにマンジュと心を通わせていた。シャンブナートは、一人息子の教育のために多額の借金をし、今でもその返済をしていた。シャンブナートは小遣い稼ぎをするため、刑務所内の畑から野菜を盗み出し、市場で売っていた。
刑務所の新しい看守長としてプラカーシュ・スィン(クムド・ミシュラー)が赴任してきた。プラカーシュ看守長は厳格な人間で、不規律を許さなかった。この刑務所には、州議会議員の弟ケーシャヴ、通称ブーレー(アクシャイ・ドーグラー)が収監されており、特別待遇を受けていた。プラカーシュ看守長はそれを許そうとしなかったが、州議会議員の圧力により手出しができずにいた。
ブーレーは、新たに収監された若いナイナー・クマーリー(ヨーギター・ビハーニー)に目を付けていた。ナイナーは勤めていた銀行の不祥事で上司の身代わりになって有罪判決を受け、保釈を待っている状態だった。ブーレーはナイナーの保釈を止めさせ、機会をうかがっていた。女性区画の管理者ラジニー・シャルマー(シルパー・シュクラー)もブーレーから嫌がらせを受けていた。
ある晩、ブーレーは電話でプラカーシュ看守長を侮辱する。憤ったプラカーシュ看守長は夜中に自宅から刑務所に駆けつけ、ブーレーを殴打し、去って行った。
翌日、ブーレーが行方不明になった。事件の捜査をするため、アティート・スィン警部補(アミト・K・スィン)がやって来る。アティート警部補は、プラカーシュ看守長、当直だったナディーム・カーン、そしてシャンブナートなどに聴き取りをする。ブーレーが行方不明になった夜、プラカーシュ看守長がブーレーに暴行を加えた事実はすぐに把握したが、その後のことは分からなかった。囚人に暴力を振るったプラカーシュ看守長は異動となるが、ブーレーの行方は分からないままアティート警部補は立ち去ることになる。
11ヶ月後、看守長の宿舎裏の地中から遺体が発見され、DNA鑑定の結果ブーレーのものであることが分かる。捜査が再開され、アティート警部補は上司から3日以内の解決を厳命されてシヴプリーにやって来る。アティート警部補は、ナディームに再度聴き取りをし、あの晩、プラカーシュ看守長がブーレーに暴行を加えた後、ブーレーを一時的に解放した事実を突き止める。その後の彼の足取りはラジニーから明らかにされる。暴行を受けた後、ブーレーはラジニーに電話をし、ナイナーを診療室に連れて来るように命令した。そしてナディームに錠を開けさせ、診療室に行ったのである。ラジニーはナイナーを診療室に押し込み、しばらく後に戻ってきて、彼女を連れ帰った。
アティート警部補はナイナーを探し始める。ナイナーは既に釈放されており、宝飾品店で働いていた。ナイナーは、診療所でブーレーに襲われそうになったが、たまたま通りがかったマンジュに助けられたと明かす。マンジュは看守のチャールラターと親しく、たまに部屋から出させてもらっていたのだった。マンジュも既に刑期を終えて自由の身になっていた。
アティート警部補は、マンジュがヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムシャーラーにいることを突き止める。マンジュはシャンブナートと共にカフェを経営していた。アティート警部補は彼らを訪ね、真実を聞き出す。あの晩、レイプされそうになっていたナイナーを助けたマンジュはブーレーを刺殺し、シャンブナートに連絡した。シャンブナートはブーレーを野菜と共に刑務所外に運び出し、とりあえず自宅に保管していた。その後、彼は遺体をプラカーシュの宿舎の裏に埋めた。その際、プラカーシュの指輪も一緒に埋めた。
アティート警部補はシャンブナートとマンジュを逮捕しようとする。だが、シャンブナートはもうひとつの事実を明かす。約30年前、マンジュが経営していたゲストハウスにかくまわれていた若いカップルを殺し、その罪をマンジュになすりつけたのは若き日のプラカーシュだった。マンジュはプラカーシュの罪を償った。今度はプラカーシュがマンジュの罪を償う番ではないか。そう問われたアティート警部補は、プラカーシュをブーレー殺しの犯人だと断定する。
普通なら、殺人を犯した者は法律に従って裁かれるべきである。そうでなければ殺人犯がのさばってしまう。そんな社会はまっぴら御免だ。だが、世の中はそう単純にはできていない。杓子定規に法律を適用することだけが本当に正義なのだろうか。「許してもいい殺人」もあるのではないか。「Vadh」に続き「Vadh 2」も、観客に複雑な状況を提示し、そんな命題を考えるきっかけを与えてくれる。司法に人情を持ち込み、余地を生み出そうとする試みからはインドらしさを感じる。
舞台となるシヴプリーの刑務所は、インドらしいルーズさで満たされていた。州議会議員の弟ブーレーはVIP待遇を受けていたし、30年近く服役し刑務所の「主」となっていたマンジュもかなりの自由を与えられていた。シャンブナートは刑務所内の畑から野菜を盗み出し、外の市場で売って小銭を稼いでいた。こういう状態を完全に是とするわけではない。だが、新しく赴任してきたプラカーシュ看守長が行おうとしたような、厳格なルールの適用も決して是としていたわけではなかった。強固な壁の一部に空いた小さな抜け穴のようなものをインド社会は黙認していこうとする。
「Vadh」でもレイプ未遂が事件の発端になっていたが、「Vadh 2」でもやはりレイプ未遂が全ての起点であった。ブーレーは若い収監者ナイナーに目を付け、息の掛かった看守ラジニーを操って彼女を手込めにしようとしたのである。ラジニーもまたブーレーによる脅迫や性的搾取の被害を受けていた。病気がちだった亡き夫の治療のためにブーレーから資金援助を受けたことがあったし、ブーレーは彼女の娘にも目を付けていて、ラジニーは娘を守るために仕方なくナイナーを差し出したのだった。ナイナーはブーレーにレイプされそうになるが、たまたま通りがかったマンジュに救われる。マンジュはまずブーレーを絞殺しようとした。それでもブーレーが死なずに襲い掛かってきたため、彼女は鋭利な金属でブーレーの首を刺し、息の根を止める。
マンジュと親しかった老看守シャンブナートは、連絡を受けて、すぐに後始末に動き出す。ブーレーの遺体を野菜と一緒に刑務所から運び出す。日頃から彼が行っていた野菜泥棒稼業が役に立った。その後、彼は遺体を自宅の大型冷蔵庫に入れて保管する。この冷蔵庫もかつて親しくなった虜囚から譲り受けたものだった。ブーレー行方不明事件の捜査を担当することになったアティート警部補がシャンブナートの自宅を訪ねてくる場面があった。このとき実は冷蔵庫の中にブーレーの遺体があったわけだが、シャンブナートは冷静を装い、疑われないように慎重に受け答えをした。
その後、シャンブナートは頃合を見計らって遺体をプラカーシュ看守長の宿舎の裏に埋める。しかも、プラカーシュ看守長の指輪を一緒に埋め、容疑が彼に行くように仕掛けた。
もちろん、一般的には罪のない人に罪を着せるのは許されることではない。だが、「Vadh 2」は、これも正当化するための別のエピソードを用意していた。実はマンジュは約30年前にプラカーシュから濡れ衣を着せられて服役していたのだった。無実のマンジュが受けた罰を今度はプラカーシュに受けさせようとしたのである。あまりに出来すぎな展開だが、カルマ論や因果応報論の立場ではごく当然の帰結だ。
また、プラカーシュ看守長はルールに厳格な人間だったが、それに加えて過激なカースト主義者でもあった。彼は相手のカーストを非常に気にしていた。約30年前に殺人を犯したのも、姪が異カースト間結婚をしようとしたからだった。カーストで人を判断することも、ルールを厳格に守ることと同じ土俵に載せられ、批判的に描写されていた。
事件の全容解明に成功したアティート警部補の前には2つの選択肢があった。ひとつは法律を厳格に適用し、ブーレーを殺害したマンジュと、遺体遺棄などを幇助したシャンブナートを逮捕すること、もうひとつは、マンジュの事情を理解し、二人の罪を黙認して、プラカーシュに濡れ衣を着せることだった。ふたつめの選択肢は、法の順守を求められる警察官が本来ならば採ってはいけないものだ。だが、物語を一通り観た後は、こちらの方に正しさを感じる観客がほとんどであろう。
ちなみに、アティート警部補のカーストは分からなかったが、低カースト出身の可能性はある。そう判断した方が、結末の爽快感が上がる。カースト差別を行ってきた者が、見下していた者から罰を受けるのである。
サンジャイ・ミシュラー、ニーナー・グプター、クムド・ミシュラーなど、実力派のベテラン俳優たちが揃い、重厚な演技を見せていた。アティート警部補を演じたアミト・K・スィンはまだほとんど無名の俳優ながら、ベテランに負けない演技をしていた。今後注目したい。
「Vadh 2」は、法律通りに裁くことが必ずしも社会に正義をもたらさない例外的なケースを前作「Vadh」に続いて再度提示し、その命題を深めることに成功した作品である。ただ、逆にいえば、前作の焼き直しともいえ、新規性には乏しい。前作も興行的には「フロップ」の評価であるが、本作も同様に振るわなかった。とはいえ、一考に値するテーマを扱っており、観て損はない映画だ。
