120 Bahadur

3.0
120 Bahadur
「120 Bahadur」

 インド映画がもっとも題材として取り上げる戦争は1971年の第三次印パ戦争である(参照)。なぜならバングラデシュ独立を達成したこの戦争はインドの完全勝利に終わったためで、愛国心の高揚に最適だからである。そんな中、2025年11月21日公開の「120 Bahadur(120人の戦士)」は、1962年の中印国境紛争を題材にした戦争映画だ。第三次印パ戦争と異なり中印国境紛争はインドが敗北して領土を失った戦争であり、本来ならばインドの立場からしたら映画化しにくい。しかし、局所的な戦闘を取り上げることで愛国映画に仕立て上げることは可能だ。「120 Bahadur」はまさにそのような戦争映画であった。

 監督は「Dhaakad」(2022年)などのラジニーシュ・ガイー。音楽はアミト・トリヴェーディーとサリーム=スライマーン。主演は、プロデューサーも務めるファルハーン・アクタル。戦争映画なのでヒロインの影は薄いが、一応ファルハーンの相手役を「Yodha」(2024年)などのラーシー・カンナーが務めている。

 他に、スパルシュ・ワーリヤー、アンキト・スィワーチ、ヴィヴァーン・バテーナー、ダンヴィール・スィン、サーヒブ・ヴァルマー、アジンキヤ・デーオ、イジャーズ・カーン、アーシュトーシュ・シュクラー、アトゥル・スィン、ブリジェーシュ・カランワール、アジー・バグリヤー、デーヴェーンドラ・アヒールワール、ディグヴィジャイ・プラタープなどが出演している。

 「120 Bahadur」が題材にしているのは、ラダック地方のレザン峠にて、インド陸軍と中華人民共和国人民解放軍の間で1962年11月17-18日に起こったレザン峠の戦いである。中印国境紛争は1962年10月20日から勃発した。両国は3,400km以上の長さの国境線を共有しているが、この紛争における戦線は主に西部のラダック地方と東部のアッサム地方にあった。西部戦線では人民解放軍はジャンムー&カシュミール州を手中に収めるため、パンゴン湖近くにあるチュスル飛行場を占領し制空権を確保しようとしていた。レザン峠は中国領からチュスル飛行場につながる要衝であった。この要衝を守ったのが第13クマーウーン連隊のチャーリー・カンパニーであった。チャーリー・カンパニーは主に平地で酪農業を営むアヒール(酪農家カースト)の兵士たち120名で構成されていた。現在のハリヤーナー州出身者が多かった。このチャーリー・カンパニーを率いることになったのがラージプートの家系に生まれた歴戦の勇者シャイターン・スィン・バーティー少佐であった。「シャイターン」とは「悪魔」という意味で、その勇猛さは軍隊の中で一目置かれていた。主演ファルハーン・アクタルの演じるのがこのシャイターン少佐である。チャーリー・カンパニーは、吹雪に紛れて侵攻してきた3,000人以上の人民解放軍に勇敢に立ち向かい、1,300人以上を死傷させ、戦線を押し戻すことに成功したとされる。「120 Bahadur」は、その知られざる戦功を讃える映画である。

 1962年10月20日、中印国境紛争が勃発し、通信兵ラームチャンダル・ヤーダヴ(スパルシュ・ワーリヤー)は西部戦線の最前線に駐屯するチャーリー中隊に配属される。チャーリー中隊を率いていたのが、シャイターン・スィン・バーティー少佐(ファルハーン・アクタル)であった。シャイターン少佐はレザン峠の防御を任される。ただ、上官であるTNライナー准将(アジンキヤ・デーオ)やHSディングラー中佐(イジャーズ・カーン)はレザン峠を軽視しており、防御に当たったのはシャイターン少佐指揮下の120名の兵士のみだった。

 中華人民共和国人民解放軍はチュスル飛行場を占領するためレザン峠に押し寄せる。その数は3,000人以上だった。シャイターン少佐は中隊を3分割しレザン峠の防衛に当たる。多勢に無勢であったが、チャーリー中隊の兵士たちは勇敢に戦い、多くの中国人兵士たちを殺す。

 シャイターン少佐は最期まで戦うが力尽きる。死ぬ間際に彼はラームチャンダルをチュスル飛行場に向かわせる。ラームチャンダルは救助され陸軍病院で治療を受ける。回復したラームチャンダルはレザン峠に何があったかを証言する。証拠がなく、上層部はそれを信じることができなかったが、それからしばらくして雪の下からシャイターン少佐などの遺体が発見され、ラームチャンダルの証言が正しかったことが分かる。シャイターン少佐と120名の兵士たちのおかげで人民解放軍はそれ以上の進軍を諦め、ジャンムー&カシュミール州が占領されずに済んだのだった。

 歴史的な実話を題材にしながら、少数の兵士が圧倒的多数の敵に勇敢に立ち向かう戦いを描いた映画としては、米国の「300<スリーハンドレッド>」(2006年)やインドの「Kesari」(2019年/邦題:KESARI ケサリ 21人の勇者たち)などが過去にあった。「120 Bahadur」も、120人のインド陸軍兵士が3,000人以上の中国人民解放軍に立ち向かった史実をもとにした戦争映画だ。中印国境紛争はインドの敗北に終わったし、このレザン峠の戦いもインドの勝利とはいいがたいが、命を犠牲にして領土を守り抜いた兵士たちを英雄に祭り上げ、その戦績がなければジャンムー&カシュミール州が失われていたかもしれないという可能性を示唆することで、愛国心を高揚させる映画に仕上げられていた。

 しかしながら、戦争シーンが絶望的に退屈であった。戦争シーンがつまらない戦争映画は致命的だ。素人目で見ても、こんな戦い方をしていていいのか疑問に感じたくらいだった。たとえば人民解放軍を迎え撃つインド陸軍兵士たちは横一列になって塹壕から銃撃していたが、ただでさえ数で圧倒されているのに、その少ない兵力を単純に横一列に並べただけでは、すぐに敵に居場所が知れてしまい、集中攻撃を受けてしまう。どんな戦術を用いて圧倒的多数の敵に立ち向かったのか興味が沸いたが、これでは正攻法すぎて数の力で負けるのは時間の問題だと感じた。ただ、要所要所で長回しを使った「魅せる戦闘」に挑戦しており、カメラワークの工夫はあった。

 前線に駐屯する兵士たちが、束の間の休息時に故郷に残してきた家族を思うのは、インドの戦争映画では定番になっている表現だ。たとえば「Border」(1997年)の「Sandese Aate Hai(手紙が来る)」はヒンディー語史に残る名シーンとして記憶されている。「120 Bahadur」でもソングシーン「Yaad Aate Hain(思い出す)」で兵士たちの望郷心が感動的に演出されていた。確かにこの映画の中でもっとも感傷的な場面である。ただ、定番すぎて新規性に乏しく、「またいつもの戦争映画か」とガッカリもした。

 中国人の描き方は単なる悪役以上のものではない。中国人役で起用された俳優たちは一応ちゃんとした中国語を話しているように聞こえたが、得体の知れない間抜けな敵でしかなかった。彼らの攻撃にもやはり戦術らしきものは見受けられず、ただ多勢に頼って突撃するのみであった。一応、チャーリー中隊を全滅させるものの、被害は甚大で、最後にはわずか120人で3,000人以上の敵と勇敢に戦ったインド人兵士たちに脱帽し、あっけなく退却を決めていた。中国側の公式見解では、レザン峠の戦いでインド側以上の人的被害があったことは認められておらず、この映画の内容は中国としては受け入れがたいだろう。

 インドの敗北で終わった中印国境紛争を美化しようと工夫したあまり、映画はレザン峠の戦いの戦いに集中し、戦争の全体像の描写は避けられていた。レザン峠の戦い直後に停戦となったが、その辺りの描写は意識を失ったラームチャンダルに焦点を移すことで曖昧にされていた。

 戦争映画であるため、多数の男優たちが起用されていた。だが、主演ファルハーン・アクタルを除けば、ほぼ無名の俳優たちばかりだ。顔が似ている上に服装の区別もないため、正直いって誰が誰だか分からなくなることが何度もあった。その中でも、準主役的な立ち位置にいた通信兵ラームチャンダルを演じたスパルシュ・ワーリヤーは新人だが個性を出せていた。

 「120 Bahadur」は、中印国境紛争を題材にした珍しい戦争映画だ。西部戦線と東部戦線で1ヶ月以上にわたって戦われた戦争だが、その全体ではなく、120人の兵士が3,000人以上の敵と対峙したレザン峠の戦いに絞って映像化していた。その構成は間違っていなかったが、戦闘シーンがあまりに単純すぎた。興行的にも大失敗に終わっている。娯楽を第一の目的とした映画というよりも、国のために戦って命を落とした兵士たちを追悼し、知られざる戦功にスポットライトを当てる目的で作られた準記録映画だと評せられる。