The Girlfriend (Telugu)

4.5
The Girlfriend
「The Girlfriend」

 マラヤーラム語映画「The Great Indian Kitchen」(2021年/邦題:グレート・インディアン・キッチン)は、インドの日常生活で家父長制がいかに女性の人権を自然な形で抑圧しているのかが赤裸々に描き出された傑作であった。もし「The Great Indian Kitchen」が扱っているのが、結婚後の女性が直面する家父長制であるとしたら、2025年11月7日公開のテルグ語映画「The Girlfriend」は、結婚前の前途洋々たる若い女性を父親と恋人の両面から蝕んでいく家父長制の恐ろしさを取り上げた映画だといえる。

 監督は「Shyam Singha Roy」(2021年)や「Jigra」(2024年)などのラーフル・ラヴィンドラン。主にタミル語とテルグ語の映画を撮っている監督であるが、特筆すべきは彼が過去に「The Great Indian Kitchen」のタミル語公式リメイク(同名/2023年)を作っていることだ。同作から多大な影響を受けているのは確実である。

 主演はラシュミカー・マンダーナー。他に、ディークシト・シェッティー、アヌ・エマニュエル、ラーオ・ラメーシュ、ローヒニーなどが出演している。また、ラヴィンドラン監督も重要な役でカメオ出演している。

 劇場公開時はテルグ語オリジナル版のみだったが、Netflixでの配信時にはヒンディー語、タミル語、カンナダ語、マラヤーラム語の吹替版も用意された。鑑賞したのはヒンディー語版である。

 ブーマー・デーヴィー(ラシュミカー・マンダーナー)の母親は彼女の出産時に死に、父親(ラーオ・ラメーシュ)に育てられてきた。大学の学士課程を卒業したブーマーは、ラーマリンガイヤー文理大学の文学修士課程に入学し、そこで情報科学修士課程所属のヴィクラム(ディークシト・シェッティー)と出会う。ヴィクラムは、ドゥルガーというセクシーな女性から言い寄られていたが、ブーマーの方に魅力を感じ、彼女にアプローチする。ブーマーも満更でなく、二人は恋仲になる。すぐに大学で二人の仲は噂になった。

 ブーマーは2年生になった。大学演劇を通してブーマーはドゥルガーと仲良くなる。ドゥルガーはブーマーに、ヴィクラムのような男性と結婚すると不幸になると忠告する。ある日、ヴィクラムはブーマーをバッラーリにある実家に連れていく。ブーマーはヴィクラムの母親(ローヒニー)と会う。彼女はとても優しい人物だったが、奇妙なことにブーマーの前で一言もしゃべらなかった。ヴィクラムの言によると、夫の暴力によりそうなったとのことだった。ブーマーは自分の将来を案じるようになる。

 ブーマーはヴィクラムに別れたいと言おうとするが、言い出せなかった。あるときブーマーの父親が突然寮にやって来て、ブーマーの部屋にヴィクラムがいるのを見つけ激昂する。父親はヴィクラムを殴り、ブーマーを連れて帰ろうとするが、もうすぐ最終試験を控えていたブーマーは泣いて懇願する。父親は、学科長のスディール教授(ラーフル・ラヴィンドラン)を怒鳴り散らし、ブーマーを置いて大学を出て行く。

 ブーマーの父親との一件が頭から離れないヴィクラムは、ブーマーを呼び出し、彼女の同意なしに彼女と結婚して実家に連れて行こうとする。とうとうブーマーは我慢できなくなり、ヴィクラムに別れると告げる。それからヴィクラムによる嫌がらせが始まった。ブーマーは売春婦呼ばわりされる。困惑したブーマーは父親に電話するが、彼もブーマーに冷たかった。ドゥルガーに助けられたブーマーは気を持ち直し、お別れパーティーで沸くステージに上って、ヴィクラムにどんなに妨害されようとも幸せになると宣言する。そしてヴィクラムに殴りかかる振りをして去って行く。

 その後、ブーマーは最終試験を受け、修士号を取得し、製薬会社に就職して活躍していた。その後、ロンドンに移住し、作家デビューも果たした。

 まずは主演ラシュミカー・マンダーナーに祝意を送りたい。ラシュミカーはここ数年間、「Pushpa: The Rise」(2021年/邦題:プシュパ 覚醒)、「Animal」(2023年)、「Pushpa 2: The Rule」(2024年/邦題:プシュパ 君臨)、「Chhaava」(2025年)など、テルグ語映画界とヒンディー語映画界をまたいでいくつもの大ヒット作に恵まれており、2020年代を代表する「汎インド女優」に上り詰めた。彼女の成功を疑う者はいない。ただ、それらはどれも男優中心映画だったこともあり、その成功はラシュミカー自身の実力なのか、それとも単に運が良かっただけなのか、いまいち判定しにくいところがあった。むしろ、男性に従属的な役柄を演じることが多い女優で、そういう批判を受けてもいた。しかも、率直にいえば、ラシュミカーの容姿は、現代インドにおいて美のトレンドのど真ん中を行っているわけでもない。果たして彼女を時代の中心に置いていいのか、不確定だったのである。

 だが、「The Girlfriend」は正真正銘、女性中心映画であり、主演を担うのはラシュミカー・マンダーナーである。一人の内気で自己有用感の低い文学少女が、父親と恋人の両面から迫ってきて自己決定権を当然のように奪おうとする家父長制の圧力をはねのけ、自立した大人の女性に脱皮するまでを堂々と演じ切っており、初めて彼女の底力や主体的な信念を目の当たりにした気がした。ラシュミカーのキャリアにとって非常に重要な作品である。

 ラシュミカーが演じたブーマーは、ラーマリンガイヤー文理大学という架空の大学に通う修士課程の学生であった。この大学には文系と理系のコースがあり、ブーマーは英文学を専攻していた。一方、ブーマーが付き合うことになったのがヴィクラムで、彼は情報科学を専攻していた。

 インドの教育制度に疎い人にとってはよく分からないことかもしれないが、まずこれだけの情報で二人の力関係が推測される。インドの普通教育課程は10年生のときから3つの系統に分かれる。理系(Science)、商系(Commerce)、文系(Arts)である。そして、この順でヒエラルキーが構成されている。つまり、基本的には、もっとも優秀な学生が理系に進み、そこそこ秀でた学生が商系に進み、成績の悪い生徒が文系に進む。もちろん、個人の興味もあるので、必ずしもその通りではないのだが、基本的には理系の学生が文系の学生に対して優越感を感じ、文系の学生が理系の学生に対して劣等感を感じることになるのである。

 ヴィクラムは、自信に満ちスタイリッシュで、かつ彼に主体的に好意を寄せるドゥルガーではなく、あえてブーマーを恋人に選んだ。当初、彼は外見ではなく内面を見てブーマーを選んだように見える。ここだけを切り出せば、人見知りする女性に白馬の王子様が現れたような、少女漫画チックなロマンス映画のように映る。「The Great Indian Kitchen」が何の変哲もないファミリードラマの体裁で始まったのとよく似ている。だが、物語が進行するにつれて、なぜ彼がブーマーを選んだのかが徐々に分かってくる。彼は、何があっても歯向かおうとしない従属的な女性が好みだったのだ。元々ブーマーは献身的な女性であり、しかも文系ということで、自分よりも下のカテゴリーに属する女性だ。ヴィクラムにとって、エゴを満たし、身の回りの世話を何も言わずともしてくれる便利な女性がブーマーだったのである。

 ヴィクラムはブーマーを気に入った理由として「母親に似ている」という発言をしたことがあった。そして実際に彼はブーマーを母親に紹介する。ヴィクラムのような男尊女卑的価値観を持った男性が育った家庭がどのようなものなのか、それは想像に難くない。やはり父親が独裁者として振る舞ってきた家庭であり、母親は家庭内暴力を受けながら調教され、今では人前で言葉を発することもできないほど自分を失った女性になってしまっていた。ブーマーはヴィクラムの母親に自分の将来を重ね、恐怖を感じる。

 また、実はブーマー自身の家庭も家父長制と無縁でなかった。ブーマーは父親に男手ひとつで育てられてきた。ブーマーが生まれるときに母親は死んでしまったのだ。基本的にブーマーは父親を慕っていたが、過去の回想シーンを見る限り、決して父親から愛情いっぱいに育てられたわけでもなさそうだった。父親が機嫌を損ねると夕食を出してもらえず、水を飲んで飢えをしのぐこともあったようだ。ブーマーが引っ込み思案な性格になってしまったのも、専制的な父親の影響だと考えられる。そして、そんなブーマーが引き寄せてしまうのも、ヴィクラムのような独善的な男性だったのである。

 ただ、ブーマーの周囲には助けてくれる人もいた。救世主ともいえるのが、英語の授業を担当し、学科長も務めるスディール教授だ。ブーマーに英作家ヴァージニア・ウルフの「A Room of One’s Own」(1929年)を勧め、女性が創作や自己実現をするためには「経済的独立」と「自分の部屋」が必要であることを暗に教えた。ブーマーの父親が怒鳴り込んできて彼女の転学を要求したときも、ブーマーは成人であり、転学の決断は彼女自身がすると毅然とした態度を示し、ブーマーの学業続行を支援した。ブーマーは最後に覚醒するが、その理念的な下地を築いたのはスディール教授だったといえるだろう。また、当初は恋敵かと思われたドゥルガーも途中から彼女の頼もしい味方になり、ヴィクラムから嫌がらせを受けて打ちひしがれていたブーマーを支える。

 「The Girlfriend」は、インドの女性たちに対して、人生の重要な事項は自分で決断することを強く促す映画だ。そもそもブーマーがヴィクラムと付き合い出したのもなし崩し的な展開によってであった。ヴィクラムがブーマーにキスをし、それを大学中に言い触らしたおかげで二人は公認カップルとなり、ブーマーはそれを嬉しいことと認識して過ごすようになった。だが、冷静になって考えてみると、彼女はヴィクラムに恋愛感情を抱いていたわけでもなく、彼の「ガールフレンド」になったことも、ちっとも嬉しくなかった。ヴィクラムや周囲から嬉しいことのように思わされていただけだった。主体性がなかったブーマーは、恋愛にも自己決定権を持っていなかったのである。さらに、ヴィクラムは結婚までもブーマーとの相談なしに決行しようとしていた。そしてそれを拒絶されると、「オレの感情はどうなる?」という意味不明の非難を浴びることになる。

 学業についても彼女は常に父親の心変わりを恐れていた。インドでは、修士過程まで通わせてもらえる女性は幸運な方である。そこにはブーマー自身のたっての希望があったものだと思われる。だが、父親はブーマーが大学でヴィクラムと付き合っていることを知ると、詳細を知ろうともせずに感情に任せて娘を大学から引っ張りだそうとする。もちろん、学費は父親に出してもらっていただろうが、学業成績が悪かったわけでもなく、恋人がいるというだけで父親から学業を中断させられようとしていたのである。

 抑圧的な父親の娘として生まれてしまった女性たちにとっては、成人すれば全て自分で決定する権利があることを教え、独占欲の強い恋人に捕まってしまった女性たちには、すぐに別れるように必死に警告を発しているのがこの「The Girlfriend」である。ブーマーは最後に、ありのままの自分を認めてくれない男性を見つけられなかったら結婚せず、結婚しない人生でも幸せだと宣言する。これらは家父長制社会に生きる女性にとって非常に意義のあるメッセージであり、このような映画に主演したことで、ラシュミカー・マンダーナーは一気に現代女性のアイコンに浮上したといっていい。

 ただ、エピローグで語られたブーマーの「現在」は説明不足で理想主義的過ぎたように感じた。ブーマーは学位を取得し、製薬会社に就職して経済的に自立し、世界中を旅行して、現在はロンドン在住とのことだった。まるで家父長制から自己解放したことであらゆる問題が一気に解消されたような論調だった。もちろん、どんな困難があったとしても学位を取得し自分の価値を高めることは大切だろうが、生き方を変えたところで人生そんなにうまくいくものでもない。もう少し含みを持たせた終わり方でも良かったのではなかろうか。

 「The Girlfriend」は、「The Great Indian Kitchen」の問題意識とスタイルを継承し、今度は未婚女性が直面する家父長制の抑圧を一般的なロマンス映画に擬態した導入から徐々に浮かび上がらせた傑作である。主演ラシュミカー・マンダーナーにも、「Pushpa」シリーズなどとは異なった次元での業績をもたらす作品だ。必見の映画である。