Laalo: Krishna Sada Sahaayate (Gujarati)

4.0
Laalo: Krishna Sada Sahaayate
「Laalo: Krishna Sada Sahaayate」

 2025年10月10日公開のグジャラーティー語映画「Laalo: Krishna Sada Sahaayate」は、インド神話のスーパーアイドル、クリシュナが主人公の前に現れ、危機から脱するヒントをくれるという筋書きの映画である。宗教映画、神様映画、信心映画などのジャンルに含めることができる。題名の「ラーロー」は主人公の名前で、副題はサンスクリット語で「クリシュナがいつも助けてくれる」という意味だ。グジャラート州では当初小規模な公開態勢だったにもかかわらず、クチコミがクチコミを呼んで大ヒットに化け、グジャラーティー語映画としては初めて興行収入が10億(100カロール)ルピーを突破した記念すべき作品にまでなった。この人気を受けてヒンディー語吹替版も作られ、2026年1月9日に公開された。鑑賞したのはヒンディー語吹替版である。

 監督はアンキト・サーキヤー。音楽はスミト・ジャイ。キャストは、カラン・ジョーシー、シュルハド・ゴースワーミー、リーヴァー・ラーチ、アンシュ・ジョーシー、キンナル・ナーヤク、パールル・ラージャグル、ジャイディープ・ティマーニヤーなど。

 ラールジー・ダンスク・パルマル、通称ラーロー(カラン・ジョーシー)は、6年前にトゥルスィー(リーヴァー・ラーチ)と駆け落ちしてジュナーガルに流れ着き、オートリクシャー運転手をして生計を立てていた。二人の間にはクシーという女の子が生まれた。だが、クシーが交通事故に遭い、その治療をするためにラーローは多額の借金をし、以来、酒に溺れ、借金で首が回らなくなっていた。毎晩トゥルスィーとはケンカが絶えなかった。

 あるときラーローは、同じラーロー(シュルハド・ゴースワーミー)という名前の旅行者と出会い、ジュナーガルを案内して回る。その晩、ラーローはトゥルスィーと大げんかし、家を飛び出す。ラーローが拾った訳ありの乗客が金目の物が入ったバッグを抱えているのを見て、乗客を降ろした後も彼を追いかける。男はバックを抱えて郊外にある邸宅へ入っていく。ラーローは後を付けて中に入るが、足を滑らせて気絶してしまう。男はラーローに気付かずに鍵を掛けてどこかへ行ってしまう。

 目を覚ましたラーローはバッグを確認すると、中には多額の現金が入っていた。そのバッグを持って逃げようとするが、その邸宅は四方を電流の流れる鉄格子で囲まれ、玄関の錠に触れると感電した。ラーローはその邸宅に閉じこめられてしまった。家の中に食料はなく、水も底を突いてしまった。ラーローは次第に衰弱し始める。

 ラーローが数日経っても帰宅しなかったため、トゥルスィーは警察に捜索願を出しに行くが、まともに取り合ってもらえなかった。借金取りがやって来て家から追い出されそうにもなる。駆け落ちしたため、両親や義父からも助けてもらえなかった。仕方なくトゥルスィーは仕事を探し始める。

 何日間も水を飲めなかったため、ついにラーローは倒れてしまう。だが、そのとき雨が降ってきて、ラーローは雨水を溜めることができた。さらに、ラーローが気付くと、外に旅行者ラーローが立っていた。彼は邸宅の持ち主の友人だという。だが、錠の開け方は知らなかった。彼は自分のことをクリシュナ神だと名乗る。最初は冗談かと思ったラーローだったが、彼に常人離れした力があることに気付き、「神様」と呼び始める。

 ラーローは、クリシュナに示された通り、壁を破壊し出す。時々クリシュナが食べ物を持ってきてくれたため、食いつなぐことができた。ラーローは苦労して壁に穴を開け、外に這い出すことができる。ただ、あまりに疲れ切ってしまっており、脱出すると同時に寝ころんで眠ってしまった。そうこうしている内に、バッグを持ち込んだ男がやって来てラーローを見つける。だが、そのとき捜査中だった警察もやって来て彼を発見する。

 実はこの邸宅には、近隣の寺院から盗まれた神像が隠されており、警察はかなり前から事件の捜査をしていた。この事件を機にラーローは正しい道に戻り、トゥルスィーも外で仕事をし出した。また、駆け落ち以来、音信が途絶えていた親たちとも仲直りすることができた。

 近年、グジャラーティー語映画が勢いづいてきており、いい作品が次々に生まれている。この「Laalo: Krishna Sada Sahaayate」もグジャラーティー語映画最大のヒット作になっただけあり、その勢いを感じさせられる良作だ。

 「Laalo」は主に3つのパートから成っている。最初のパートでは、オートリクシャー運転手をして生計を立てる主人公ラーローが金欠から破滅の道を突き進んでいく様子が描かれる。多額の借金を抱え、酒に溺れ、駆け落ち結婚した妻ともケンカばかりの毎日で、全く出口が見えない。貧しい主人公がさらに貧しくなっていく姿を見せられるタイプの悲痛な展開を想像させるものだった。

 だが、中盤から思いがけない展開になる。借金で首が回らなくなったラーローは、たまたま乗せた乗客が金目のものが入っていそうなバッグを抱えているのを見て、彼を尾行し、彼が入っていった邸宅に侵入した。泥棒もしくは強盗をして現状を打開しようとしていたのである。だが、彼は犯行を行う前に転んで気絶してしまい、目を覚ますと、その邸宅内に閉じこめられてしまっていた。

 ここからはほとんどサバイバル映画だ。その邸宅はどこからも出られないほど厳重に鉄格子で囲われており、電流も流されていた。玄関の錠に触れると感電するため、錠を壊して脱出することもできなかった。邸宅には普段は誰も住んでいないようで、食料も見当たらなかった。しかも周囲に建物はなく、大声で叫んでも誰にも気付いてもらえなかった。ラーローはこの陸の孤島の牢獄の中で何日間もサバイバル生活を送らなければならなくなる。「Trapped」(2016年)に似た展開だ。

 以上の展開だけでも十分に面白い映画になったのではないかと思うが、「Laalo」の真価は後半から発揮される。序盤に登場しラーローのオートリクシャーに乗った「ラーロー」と名乗る乗客が再びラーローの前に現れ、自分はクリシュナ神だと明かすのである。しかも伊達や酔狂ではなく、本物のクリシュナ神という設定だった。神様が実体を伴って降臨したのだ。ここから急に神様映画と化す。

 インド二大叙事詩のひとつ「マハーバーラタ」で描かれたマハーバーラタ戦争にアルジュナの御者として参加したクリシュナが決して直接戦争に手出しをしなかったように、「Laalo」のクリシュナもラーローを直接助けてくれなかった。ただ、ラーローが現在陥っている苦境は彼が過去に行った行動の因果応報であると内省を促し、彼を脱出させるのではなく、彼に脱出のヒントを与えるだけだった。ラーローは意外に物分かりが良く、クリシュナが助けてくれないことをすんなり理解し、クリシュナの助言通り、地道に壁を破壊し始める。努力の甲斐あって壁にラーローが通れるくらいの穴が開き、彼はそこから抜け出ることに成功する。まさに「天は自ら助くる者を助く」であった。

 「Laalo」においては、ラーローは決して良い夫ではなかったが、妻のトゥルスィーに分があるわけでもなかった。ラーローはトゥルスィーに、金欠状態だから外で働くように頼んでいたが、トゥルスィーはそれを頑なに拒否していたようだった。駆け落ちしたことで自分をお姫様か何かのように自覚し、ラーローに経済的に依存するのを当然と考えていた節がある。だが、ラーローが行方不明になり、現金が底を突いたことで、トゥルスィーはついに町に出て職探しを始める。ラーローが自力で脱出を試みたように、彼女も生活のために自助努力を始めた。そして、そんな彼女の就職にもクリシュナが密かに手を差し伸べていた。

 また、ラーローとトゥルスィーはそれぞれの親の反対を押し切って駆け落ち結婚していた。二人は勘当状態にあったようで、ずっと実家と連絡を取っていなかった。だが、ラーローの行方不明事件をきっかけにトゥルスィーは自分の両親とラーローの父親に電話をし、助けを求める。当初は協力が得られなかったが、事の重大さを理解した彼らはわだかまりを捨てて助けに来てくれる。これについてはクリシュナの恩恵のようには見えなかったが、今回の事件の副産物としてラーローとトゥルスィーは両親と仲直りでき、人生が好転したのだった。

 酒に溺れ、妻を殴り、金に困って強盗をしようとしていたラーローであったが、クリシュナ神への信仰心はあったようだ。邸宅に閉じこめられた後、彼は一室に多くの神像が並べられているのを見つける。中でもクリシュナ神の像に脱出のお願いをしていた。そのおかげで彼はクリシュナから助けてもらえたと解釈することができる。「Laalo」のプロットは、「信じる者は救われる」という現世利益を広める効果がある。現代においてもインド人の趣向に大きな変化はないようで、神様の御利益と信心の大切さを再確認するために多くの観客が映画館に詰め掛けたのだと思われる。

 「Laalo: Krishna Sada Sahaayate」は、貧困層の苦難に満ちた人生を描くヒューマンドラマかと思いきや、途中からいきなりサバイバル映画に転換し、最終的には神様映画に落ち着くという、インドならではのジェットコースター的な展開の作品だ。そして、全体を通して、信心の大切さと同時に、何でも神様に頼るのではなく、弛まぬ努力をすることが神様に認めてもらえる一番の近道であることを教えてくれる自己啓発的な道徳映画になっている。とてもピュアな気持ちで作られた映画だと感じる。グジャラーティー語映画の勢いも感じられ、一見に値する映画だ。