Aankhon Ki Gustaakhiyan

2.5
Aankhon Ki Gustaakhiyan
「Aankhon Ki Gustaakhiyan」

 2025年7月11日公開の「Aankhon Ki Gustaakhiyan(目の無礼)」は、盲目がキーワードのロマンス映画である。題名になっている「Aankhon Ki Gustaakhiyan」は、「Hum Dil De Chuke Sanam」(1999年/邦題:ミモラ 心のままに)の曲から取られている。英国系インド人作家ラスキン・ボンドの短編小説「The Eyes Have It」からインスパイアされたストーリーとのことである。

 監督はサントーシュ・スィン。「Brahmastra Part One: Shiva」(2022年/邦題:ブラフマーストラ)などの助監督を務めてきた人物で、TVドラマの監督経験はあるが、映画の監督は今回が初である。音楽はヴィシャール・ミシュラー。主演はヴィクラーント・マシーと新人シャナーヤー・カプール。シャナーヤーはアニル・カプールの弟サンジャイ・カプールの娘である。

 他に、ザイン・カーン・ドゥッラーニー、サーナンド・ヴァルマー、バールティー・シャルマー、レヘマト・ラタンなどが出演している。

 幼い頃の交通事故で両親と両目の視力を失った音楽家ジャハーン・バクシー(ヴィクラーント・マシー)は、デリーからマスーリーに向かう列車の中で、サバー・シェールギル(シャナーヤー・カプール)という映画女優志望の女性と出会う。サバーは役作りのため目隠しをして過ごしていた。マネージャーが突然列車を降りてしまったため困っていたが、たまたま同じコンパートメントになったジャハーンが彼女を助けることになった。ジャハーンは自分が盲人であることを黙っていた。

 サバーはジャハーンが定宿にしていたヴィラに泊まることになる。だが、部屋の空きがなかったため、彼と同じ部屋に宿泊する。盲人だが盲人であることを黙っていたジャハーンと、目が見えるが役作りのため目隠しをしていたサバーは数日間一緒に過ごすことになり、お互いに恋に落ちる。サバーは目隠しを外すときを楽しみにしていたが、その瞬間、ジャハーンは姿をくらます。自分が盲人であることを知ってサバーに拒絶されるのが怖かったのである。

 それから3年後。サバーは父親のツテで劇団に入団し、女優として世界中を飛び回っていた。劇団の監督であるアビナヴ(ザイン・カーン・ドゥッラーニー)と恋仲にあったが、心の中では今でもジャハーンを探していた。劇団がヨーロッパのとある国で公演の準備をしているとき、アビナヴは臨時の音楽家としてジャハーンを連れて来る。3年前、ジャハーンはインドを去って、ヨーロッパに住むヌール叔母さん(バールティー・シャルマー)を頼ってこの国に住んでいた。彼は「カビール」を名乗っていたが、サバーは彼がジャハーンであることにすぐ気付く。当初、カビールは自分がジャハーンであることを認めなかったが、ヌールから運命だと諭され、サバーに正体を明かす。

 サバーはアビナヴとジャハーンの間で引き裂かれることになる。アビナヴもカビールがサバーの昔の恋人ジャハーンであることを知る。ジャハーンは自ら身を引いてサバーの元から立ち去ろうとするが、アビナヴはサバーにプロポーズするが、彼女の本心にも気付いており、彼女をジャハーンのところへ送る。サバーは列車に乗ろうとしていたジャハーンに追いつき、彼と抱き合う。

 盲目のミュージシャンが主人公の映画であり、まずは音楽が貧相だったら説得力がないが、ヴィシャール・ミシュラーによる楽曲の数々にはどれもパワーがあり、音楽面から見たら魅力的な映画だった。また、名ゼリフの宝庫であり、いくつも心に響くやり取りがあった。だが、それだけである。残念ながら、ストーリーに真実味がなく、観客がジャハーンとサバーの恋愛に溶け込んでしまうような魔法が全くなかった。

 個人的には身体障害をネタにした物語はどうしても感動の安売りに思えてしまい、評価は厳しくなりがちなのだが、その部分はあえて追求しないことにする。本当に目の見えない男性が、役作りのために盲人生活を送る女性と出会い、恋に落ちるという導入部もよしとしよう。だが、ジャハーンとサバーの両方に信憑性が感じられないのである。

 ジャハーンは盲人であるにもかかわらず、まるで目が見えているかのように振る舞うことができる。もちろん、視力を失った人はその他の感覚が研ぎ澄まされるという話も聞く。だが、目が見えないのにこんなスマートに行動できないだろうと思ってしまう。サバーも、いくら役作りだとはいえ、目隠しをしたまま旅行したり生活したりするのは極端すぎる。現実味のない男女が出会って始まる物語なので、物語自体に現実味が感じられない。

 さらに、サバーは目隠しをしている間、ジャハーンが盲人であることに全く気付かない。そんなことがあるだろうか。二人はかなり長い時間を一緒に過ごしているのだが、サバーはジャハーンから違和感を感じることがない。もちろん、「恋は盲目」とか、風邪を引いていたから勘が鈍っていたとか、言い訳は可能だ。だが、直感的に二人の関係を認められないため、なかなか物語の世界に漬かれない。二人で山頂に登って叫んだり、サバーの前で下半身に巻いていたタオルを落としてしまってジャハーンが焦ったりと、所々に全く盛り上がらないシーンが挟まれていたのもマイナスだった。

 サバーが目隠しを外す瞬間にジャハーンは姿をくらます。サバーに自分が盲人であることを知られたくなかったからとのことだが、彼のこの行動は理解できる。この映画の重要なテーマは、障害者が欲しているのは同情ではなく尊厳ということだ。もしかしたらサバーは盲目のジャハーンを受け入れてくれたかもしれない。だが、それが同情からだとしたら、彼は受け入れられなかった。もちろん、拒絶されたかもしれない。ジャハーンにとってはそれも耐えられなかった。サバーが尊厳を傷付けずに自分を選んでくれるだろうか。ジャハーンにはその自信がなかった。だから姿をくらましたのである。この辺りから何とか物語にグリップ力が出て来る。

 インターミッションを挟み、舞台はインドからヨーロッパに飛ぶ。3年の月日も流れている。ジャハーンとサバーは久しぶりに再会する。そして初めてジャハーンが盲人であることを知る。このとき、サバーにはアビナヴという恋人ができていた。サバーはジャハーンのことを忘れられておらず、再会によって、アビナヴとジャハーンの間で悩むことになる。そして、最終的にジャハーンを選ぶ。サバーの目の前にはアビナヴとジャハーンという2つの選択肢があり、その中からジャハーンを選んだ。ジャハーンはかつて「自分は選択肢になりたい」と漏らしていた。盲人にとってもっとも辛いのは、愛する人から公平に選択してもらえないことだった。だが、彼はサバーとの出会いから3年を経て、ついに選択肢となり、そして選ばれることができたのである。後半の展開は一定の評価ができた。

 ヴィクラーント・マシーは既に確立した俳優であるが、注目はシャナーヤー・カプールの方だ。目隠しをして登場し、中盤まで目を見せないというもったいぶりであったが、決して目力のある女優ではなく、はっきりいって地味であり、一夜にして人気が出るタイプではない。演技力に大きな問題はなかったので、今後の出演作次第である。アビナヴ役を演じたザイン・カーン・ドゥッラーニーは大事な場面でセリフ回しが弱く、足を引っ張っていた。

 前半、目隠しをしていたサバーが時々「ガーンダーリー」と呼ばれるが、これは「マハーバーラタ」の登場人物のことだ。仏教遺跡で有名なガンダーラ出身であるためこう呼ばれた彼女は、健康な目を持っていながら、盲目の王ドゥリタラーシュトラと結婚し、夫と苦難を分かち合うため、それ以来目隠しをして暮らすことになった。ジャハーンとサバーの出会いは、まさにドゥリタラーシュトラとガーンダーリーをモデルにしている。

 「Aankhon Ki Gustaakhiyan」は、視覚を巡るユニークな出会いから始まるロマンス映画である。盲人の尊厳が主題になっているが、盲人が本当にそういうことを思っているのかは分からない。何しろキャラクターやストーリーに信憑性がない。特に前半の出来は非常にまずい。後半になるとある程度まとまるが、それでも映画全体を救済するほどではなかった。興行的にも大失敗に終わり、新人シャナーヤー・カプールにとってはホロ苦いデビューとなった。無理して観る必要はない。