
2025-26年の年末年始にインドを旅行したが、そのときに「Sholay: The Final Cut」を映画館で鑑賞する機会に恵まれた。
「Sholay」(1975年)は、インド映画史に燦然と輝く不朽の名作である。黒澤明監督「七人の侍」(1954年)に間接的に影響を受けて作られた西部劇風のアクション映画であり、ダルメーンドラ、サンジーブ・クマール、ヘーマー・マーリニー、アミターブ・バッチャン、ジャヤー・バードゥリー(バッチャン)など、当時の大スターたちが勢揃いした豪華オールスターキャスト映画でもある。若き日のラメーシュ・スィッピーが監督し、人気の絶頂期にあった脚本家コンビ、サリーム=ジャーヴェードが脚本を書いた。ひとつひとつのシーン、ひとつひとつのセリフが、後世に何度もオマージュを捧げられるほど愛されてきた。「Sholay」自体のあらすじや解説はリンク先を参照していただきたい。
1975年に公開された「Sholay」は、悪役である盗賊の首領ガッバル・スィンが警察に逮捕されるところで終わる。ガッバルに家族を皆殺しにされ、両腕を切り落とされたタークルはガッバルへの復讐に燃えており、ジャイとヴィールーに多額の報酬金と引き換えにガッバルの生け捕りを依頼して、自らガッバルを殺そうとする。ガッバルの部下にジャイを殺されたヴィールーはガッバルに襲い掛かり彼を殺そうとするが、タークルに制止される。ヴィールーは身を引き、ガッバルとタークルの間で戦いが繰り広げられる。両腕のないタークルが不利に見えたが、タークルはこのときのためにスパイクの入った靴を履いており、足だけで器用にガッバルを攻撃して圧倒する。ガッバルにとどめを刺そうとしたその瞬間、警察官がやって来てタークルを制止し、ガッバルは逮捕される。
だが、実はこのエンディングは本来のものではなかった。タークルがガッバルを殺すエンディングが当初の案であり、実際にそのように撮影も行われた。ところが、映画の検閲機関である中央映画認証局(CBFC)がその残酷すぎるエンディングに物言いを付け、変更を要求してきた。そこでスィッピー監督はキャストを再度集めて撮り直し、現在一般的に知られている「逮捕」型エンディングが用意されたのである。
2025年は「Sholay」公開から50周年の年になる。それを記念して、「Sholay」の4K&ドルビー5.1レストア版が作られることになった。復元を行ったのは、映画の保全活動を行うNPO、映画遺産基金(Film Heritage Foundation)である。その際に、50年前の公開時にCBFCの指示によってカットされたシーンも復元されることになり、こうして新版「Sholey: The Final Cut」が誕生した。「Sholay」の上映時間は198分(3時間18分)だったが、「Sholay: The Final Cut」の上映時間は204分(3時間24分)に伸びており、およそ6分、シーンが増えたことになる。
「Sholay: The Final Cut」は2025年6月27日にチネマ・リトロバート映画祭(ボローニャ復元映画祭)にてプレミア上映され、インドでは同年12月12日から劇場一般公開された。
「Sholay」は既に何度も観たことがあったが、アンカット版ということで興味があったし、何よりインドの映画館でインド人の観客と「Sholay」を観るという体験は何物にも代えがたかった。デリーでは既に上映が終わっていたが、ムンバイーに行ったら、マーラードのイノービット・モール内にあるINOXメガプレックスで上映されていたので、それを鑑賞することにした。観たのは2026年1月1日である。グラントロードのニシャート・シネマでも上映されていたが、こちらは赤線地帯にある昔ながらのシングルスクリーン館だ。雰囲気は最高かもしれないが、設備には期待できない。4K&ドルビー5.1を最大限楽しみたかったため、設備の整った高級映画館での鑑賞を選んだ。定員38名の小さなスクリーンだったが、客席はほぼ埋まっていた。

まず映画の冒頭では、既に鬼籍に入っている「Sholay」出演者たちに追悼が捧げられる。つい先日亡くなってしまったダルメーンドラを筆頭に、サンジーヴ・クマール、アムジャード・カーン、マック・モーハン、アスラーニーなど、多くの故人の顔写真が並べられていた。こんなにも多くの人が既に亡くなってしまったのかと驚いたが、公開後50年が経ったということはそういうことだと改めて気付かされる。
やはり4Kということで画質は圧倒的に良く、ドルビー5.1の音もまるでスクリーンの中にいるかのように臨場感抜群だった。「Sholay」自体が元々完成度の高い娯楽作であるのは誰もが認めることだが、今回それに画質と音質が加わったことで、現代に作られた新作といわれても信じてしまうほどの魅力を秘めた作品に様変わりしていた。50年経った今でも全く色あせていない。
「Sholay: The Final Cut」の大きな見どころは、新たに挿入されたシーンがいくつかあることである。タークルがガッバルを殺すエンディングについては既に説明した。「Sholay: The Final Cut」では、確かにタークルは自らの手で(正確には自らの足で)ガッバルに引導を渡し、悲願だった復讐を果たす。そして、感極まって泣き崩れる。警察の横槍は入らない。「Sholay」の非暴力主義的なエンディングも好きだったが、劇中ではガッバルが過去に少なくとも一度脱獄したことに言及されており、今回逮捕されてもまた脱走することは目に見えている。それを考えると逮捕では問題の根本的な解決にはなっていないように感じる。その点、「Sholay: The Final Cut」のエンディングは、悪が報いを受けるという白黒はっきりした終わり方で、暴力的ではあるが、納得感がある。
他にもいくつか新たに挿入されたシーンがあったのに気付いた。エンディング以外に多くの「Sholay」ファンがすぐに気付くであろう初公開シーンは、アハマド少年がガッバルから拷問を受けて殺される場面だ。アハマドは父親のラヒーム・チャーチャーに説得され、仕事をするためにラームガル村を去って行く。だが、途中でガッバルの一味に捕まり、彼の前に引き出される。アハマドは殺されるのだが、その際、熱した鉄の棒を顔に押し当てられるなどの拷問を受けていた。50年前は残酷すぎてカットされたのだろう。アハマドの遺体がラームガル村に運ばれてきた後、傷だらけになった顔が映し出されるが、これも「Sholay」にはなかったカットだ。
また、タークルはガッバルに復讐するため、靴の裏にスパイクを付けて攻撃力を上げるが、この特注の靴を製作しているシーンも「Sholay: The Final Cut」で新たに挿入されたものになる。
そのような「Sholay: The Final Cut」ならではの映像、音声、シーンを味わうのも楽しかったが、改めて大画面でこの伝説的作品を鑑賞し、もう何度も観ているのにもかかわらず、思い出に残るような鑑賞体験になったことは特筆すべきである。ジャグディープ演じるスールマー・ボーパーリーやアスラーニー演じる「英領時代の看守」のコメディーは今観ても何度観ても笑えるし、バサンティーが駆る馬車や盗賊が駆る馬、そして疾走する列車などを使ったアクションシーンはコンピューターグラフィックス全盛時代の今だらこそかえって迫力がある。アハマドが惨殺されたことでガッバルの暴力に村人たちが屈しそうになったときにラヒーム・チャーチャーが語る勇敢な言葉はますます心に染みる。彼は村人たちに対して、非暴力と臆病の混同を戒め、自らの息子を失ったばかりでありながら、神に「なぜ村のために命を捧げる息子たちをもっとたくさんくださらなかったのですか」と呼びかけ、村人たちを黙らせる。屈辱に満ちた生よりも尊厳ある死を選ぶ。そんなシーンにもつい涙をしてしまった。
インドで「Sholay」が上映されると、登場人物よりも先にセリフを口走る観客がいるという話を聞いたことがある。インド人の多くはあまりに「Sholay」が好きすぎて、主要なセリフを暗記しているのである。ただ、今回は上品な観客の集う高級映画館で鑑賞したため、さすがにあからさまにそういう行動をする人はいなかった。とはいうものの、いくつかのシーンでは誰かがセリフを先読みしてこそっとつぶやいているのが聞こえてきた。
最新設備の整ったムンバイーの高級映画館でインド人観客と共に「Sholay: The Final Cut」を鑑賞できたのは、一生に一度といってもいいくらいの忘れられない貴重な体験になった。50年前の興奮を味わうことはもうできないし、今回の鑑賞をもってしてもその追体験にもならないだろうが、インド映画の金字塔にインドの地でダルシャン(謁見)し、プージャー(祭礼)を済ますことができた気分である。日本でインド映画が盛り上がっている今、「Sholay」まで一度さかのぼる意義は十二分にある。そのときに「Sholay」ではなくこの「Sholay: The Final Cut」を使ってみてもいいのではなかろうか。日本の映画館での公開も是非実現してほしい。
