Main Actor Nahin Hoon

4.5
Main Actor Nahin Hoon
「Main Actor Nahin Hoon」

 「Main Actor Nahin Hoon(私は俳優ではありません)」は挑戦的なタイトルの映画だ。ポスターにはナワーズッディーン・シッディーキーの大写しの写真が載っている。インド随一の俳優である。彼の顔に「私は俳優ではありません」というキャプションを付けることはインドでは大事件になる。

 「Main Actor Nahin Hoon」は2025年3月16日にシネクエスト映画祭でプレミア上映され、インドでは2026年5月8日に劇場一般公開された。監督は「Tikli and Laxmi Bomb」(2017年)などのアーディティヤ・クリパラーニー。インド映画テレビ学校(FTII)卒の俊才である。

 キャストは、ナワーズッディーン・シッディーキー、チトラーンガダー・サタルーパー、ナヴィーン・カストゥリヤー、アーユシー・グプター、ヤスィール・イフティカール・カーン、ミーナークシー・アルンダティなどである。

 フランクフルト在住、55歳の元銀行員アドナーン・ベーグ(ナワーズッディーン・シッディーキー)は、退職後に鬱気味になり、娘ナーズィヤー(ミーナークシー・アルンダティ)の勧めに従って、俳優のオーディションを受ける。ペアでオーディションを受けることになったのが、ムンバイー在住の35歳女優モウニー・ロイ(チトラーンガダー・サタルーパー)であった。二人はオンライン会議で会話をする形で一次オーディションを受けた。

 アドナーンはモウニーの演技力に感服し、オーディションが終わった後に彼女に個人的に連絡し、演技の指導を依頼する。女優として成功できておらず破産状態にあったモウニーは石鹸の配達などをして生活費を稼いでいたが、アドナーンが熱心に頼み込んできたため、少しだけ指導することにする。

 アドナーンはフランクフルト、モウニーはムンバイーにいながらビデオコールを通して交流する。練習の一環として、二人はお互いの人生の悲しみを共有し合う。モウニーは孤児院で一人取り残されたトラウマを語り、アドナーンは母親に暴力を振るう父親への怒りや、母親の病気を早期発見できなかった後悔などを吐露する。

 アドナーンとモウニーは二次オーディションを受け、監督から演技を絶賛される。だが、オーディションでアルコール依存症になったアルコール依存症専門の医師を演じたアドナーンは、その役から抜け出せなくなり、モウニーとの連絡を絶つ。元々アルコール依存症だったモウニーは、セラピーを受ける決心をする。

 半年後。モウニーはフランクフルトへ飛び、アドナーンと再会する。アドナーンは彼女を許していた。

 主人公は、ナワーズッディーン・シッディーキー演じるアドナーンと、チトラーンガダー・サタルーパー演じるモウニーである。ナワーズッディーンの方が俳優として圧倒的に格上なのだが、驚くべきことに彼が演じたのは演技素人の元銀行員役であり、チトラーンガダーの方が、一応プロの女優で、彼に演技を指導するという役だった。

 だが、映画が始まると即座にナワーズッディーンをそのような役に起用した理由を理解する。演技のできる人が演技のできない人の演技をし、しかも徐々に演技がうまくなっていく過程まで表現しなくてはならないのだ。並大抵の役柄ではない。

 さらに驚いたのは、チトラーンガダーの演技力である。彼女はベンガル語映画とヒンディー語映画に出演経験があり、ヒンディー語映画ではマイナーな作品にしか出ていない。よって、今まで彼女の出演作を観たことがなかったが、彼女も相当な実力を持った女優であることが一目で分かった。ナワーズッディーンとの共演で全く引けを取っていない。彼女が演じるモウニーは、アドナーンに演技を教える。それはいわゆるメソッド演技法だ。俳優が自身の過去の体験や感情の記憶を呼び起こし、役柄の内面や感情を実際に追体験することで、よりリアルで自然な表現を目指すものである。時々モウニーは自分で演技の手本を見せるが、その入り込み方が素晴らしかった。

 メソッド演技法で演技の訓練をする中でアドナーンは過去の悲しい出来事をさらけ出し、一人前の俳優に脱皮していく。モウニー自身もアドナーンの成長と共に自分の内面に込められていた怒り、悲しみ、葛藤などを表に出していく。モウニーは取っつきにくい性格をしており、それが彼女を成功から遠ざけているように見えたが、その根源には孤児院で育ったという歪んだ幼少時のトラウマが少なからず関係しているようであった。

 非常に鋭く描かれていたのが、モウニーが知らず知らずの内に直面していた、アーティストとしての誇りと金欠状態にある現実とのせめぎ合いである。彼女は自身の生き方に確固たる指針を持っており、それから外れることをしようとしなかった。それゆえに彼女は貧しい生活を送っていたが、アーティストとしてそれを誇りにしているところもあった。それでも、世間に迎合して裕福な生活を送る人々への嫉妬も心の奥底に抱えていた。彼女は、夢を追い掛けることは何よりも尊いと信じていたが、石鹸配達という底辺の仕事をして何とか生きながらえている現実にふと自尊心を傷付けられることもあったのである。

 アーティストとして誰もが通る下積み時代の苦労かもしれないが、その現実をこれほど赤裸々かつ残酷に描いた作品はかつてなかったのではなかろうか。モウニーが、人生の最終目標だった、ロンドンのグローブ座のポスターにツバを吐きかけるシーンは象徴的だった。グローブ座はシェークスピアの劇団によって建てられた聖地である。モウニーが切望して止まなかったグローブ座は、アドナーンにとって単なる建物のひとつに過ぎなかった。まっとうに仕事をし金を稼いでいたら、グローブ座に行くことなど朝飯前だった。モウニーはアーティストとしてグローブ座を目指していたが、この道を進む限り、到達は難しそうだった。

 おそらくアーディティヤ・クリパラーニー監督自身の経験か、または彼の周辺に、このような苦労を重ねている監督志望、俳優志望などの人々がたくさんいるのだろう。貧しくても自分のポリシーを貫き通すのか、それとも生活のためにどこかで折り合いを付けたり諦めたりするのか。モウニーの年齢は35歳ということだったが、ちょうど人生の分岐点にあたる年頃である。

 中盤まではチトラーンガダーのターンが続くが、終盤になるとナワーズッディーンの見せ場が訪れる。アドナーンはメソッド演技法によって役者としての才能を引き出されるが、役の中に入り込んだ後に抜け出す方法までは教わっていなかった。アドナーンは、モウニーとのオーディションであまりにその役にはまり込んでしまい、そのまま抜け殻のようになってしまった。もちろん、オーディションで二人が演じた役柄は、二人の人生の相似形でもあったのであるが、それがアドナーンの鬱病を増幅してしまったのだ。アドナーンも自身の過去のトラウマと向き合うことになる。

 「Main Actor Nahin Hoon」と題しながら、これほど俳優たちの演技力に依存した映画は他に類を見ない。しかも、ムンバイーとフランクフルトで同時ライブ撮影するという変わった手法が採られた作品だという。通常よりもさらに演技力と集中力を要したことだろう。俳優は監督による操り人形に過ぎないと考えていたが、この映画は俳優が演技によって作り上げた作品である。もっとも、こういう企画を立ち上げ、俳優たちにフリーハンドを与えて撮影するという野心を形にできた監督が最終的には勝者だといえるだろう。

 「Main Actor Nahin Hoon」は、ナワーズッディーン・シッディーキーとチトラーンガダー・サタルーパーの圧倒的な演技力に依存して作られた作品だ。それに加えて、夢をかなえるために他人とは異なる道を歩む人々の孤独や焦燥といったものも残酷なまでに鮮明に描かれている。さまざまな切り口で解釈が可能な、非常に示唆に富んだ傑作である。