Victoria (Malayalam)

4.0
Victoria
「Victoria」

 「Victoria」は、2024年12月14日にケーララ国際映画祭でプレミア上映されたマラヤーラム語映画である。日本では、2026年9月2-3日にあいち国際女性映画祭にて「ヴィクトリア」という邦題と共に日本語・英語字幕付きで上映され、名古屋のミッドランドスクエアシネマでそれを鑑賞することができた。女性に着目した作品を集めることをコンセプトとしたあいち国際女性映画祭の上映作品に選ばれただけあって、女性監督による女性中心のストーリー、かつキャストは女性ばかりという、「女性の、女性による、女性のため」の作品である。

 監督は新人のシヴァランジニー・J。主演はミーナークシー・ジャヤン。他に、シュリーシュマー・チャンドラン、ジョリー・チラヤト、ダルシャナー・ヴィカース、スティージャー・メリー、ジーナー・ラージーヴなどが出演している。

 ヴィクトリア(ミーナークシー・ジャヤン)はケーララ州コチの美容院に勤める美容師だった。通勤中のバスの中で知り合いのお婆さんアンナンマーから聖人への生け贄に捧げるための雄鶏を預けられてしまい、それを持って美容院へ行く。上司のジーナー(ジーナー・ラージーヴ)は子供の保護者会のために早退してしまい、同僚のミニも欠勤で、ヴィクトリアは一人で美容院を回さなければならなくなってしまった。

 実はヴィクトリアは私生活で大きなトラブルを抱えていた。恋人プラジェーシュの存在が父親に知られてしまい、無理やり他の男性と結婚させられそうになっていたのである。ヴィクトリアは家出をして出勤しており、プラジェーシュと駆け落ちするつもりでいた。だが、デリバリーボーイで日銭を稼ぐプラジェーシュはヴィクトリアの状況をよく理解してくれなかった。

 ヴィクトリアは、雄鶏の面倒を見ながら、これからどうするかを考えつつ、次から次へと来店する客の対応をこなしていく。だが、友人のレヤ(シュリーシュマー・チャンドラン)の前ではつい号泣してしまった。ヴィクトリアはプラジェーシュと別れることを決める。

 夕方に雄鶏を取りに来ると言っていたアンナンマーはなかなかやって来なかった。ヴィクトリアは店を閉め、雄鶏を抱えて路上に立つ。

 この映画を理解する上でまず理解しておかなければならないのは、主人公ヴィクトリアがキリスト教徒ということだ(参照)。「ヴィクトリア」というクリスチャンネームからそれを類推するのがインド映画の作法である。ケーララ州はインドの中でもキリスト教徒が多い州であり、さらに舞台になっているコチにはまとまった数のキリスト教徒のコミュニティーが存在する。映画の中で「聖人」と呼ばれていたのは、コチのイダッパッリにあるセント・ジョージ・シリア=マラーバル・カトリック教会に祀られているセント・ジョージ、いわゆる聖ゲオルギウスのことである。聖ゲオルギオスは、竜を退治した伝説で有名だ。劇中の会話の中でも、この聖ゲオルギウス伝説について触れられていた。

 ヴィクトリアの恋人プラジェーシュはヒンドゥー教徒であった。「プラジェーシュ」という名前は北インドでいえば「ブラジェーシュ」であり、やはり名前から彼がヒンドゥー教徒であることが分かる。異宗教間結婚はインドではまだまだすんなりとは認められない。ヴィクトリアの父親に恋人がいること、さらにそれがヒンドゥー教徒であることがばれてしまい、彼女は殴られ、別の男性と無理やり結婚させられそうになっていた。ヴィクトリアはプラジェーシュと駆け落ちするつもりで着替え一式を持って家出をし、職場である美容院に来ていた。彼女にとっては決意の日であったのだ。

 ただ、ヴィクトリアはプロフェッショナルな美容師であり、私生活のトラブルを仕事中に顔や口に出すことはしなかった。それでも、お客さんのいないところでは一転して素顔を見せ、焦燥感を募らせてプラジェーシュに必死に窮状を訴え、彼にも決断を迫ろうとする。だが、プラジェーシュの反応はどうも煮え切らず、彼に結婚を急ぐつもりもなさそうだった。人生の岐路に立たされたヴィクトリアは、とりあえず目の前の仕事に取り組むことで精神を落ち着かせようとする。何しろ上司と同僚の欠勤が重なり、彼女がワンオペで美容院を回さなければならなかったのだ。土曜日ということもあって普段より客も多めである。だが、ヴィクトリアはテキパキと手際よく順番に施術をしていく。

 ワンオペという点も普段とは異なる状況だったが、もうひとつ美容院に非日常感を加えていたのが、雄鶏の存在だった。ヴィクトリアがアンナンマーというお婆さんから預かったもので、聖人に捧げるための生け贄だった。足を縛られていたこともあって基本的には大人しくしていたが、一回だけ捕縛を逃れて美容院内を駆け回ったことがあった。この雄鶏の存在は、「Victoria」のストーリーを解釈する上で非常に重要である。その分析は後述する。

 さて、美容院ということもあって、客は女性ばかりである。ほぼ全編が美容院を舞台としているこの映画には、男性キャラがほとんど出て来ない。おそらく意図的な排除であろう。唯一顔が出て来るのはプラジェーシュだが、スマートフォンの画面越しであり、実体を伴った登場ではない。美容院に来店した女性客との会話によってストーリーは進行する。

 筆者は男性であるし床屋派でもあるので、日本の美容院の一般的な様子は分からない。だが、「Victoria」の美容院は、低価格が売りということもあって、近所の人々の憩いの場という感じで、オシャレ感を優先しているであろう日本の美容院とはだいぶ雰囲気が異なっているというのは容易に想像ができる。インドのローカルな美容院は大体こんな感じなのだろう。割と幅広い年齢層の女性が訪れている。10代の学生、20代くらいの妊婦、30代くらいのおしゃべりな女性、40代くらいの髪染めに来た女性、50代の肉体労働女性など、さまざまだ。しかも属している社会経済層もまちまちだ。そこには女性の人生の縮図があった。ただ、美というのはどんな女性にも共通の願望であり、自分を少しでも美しい姿にしてくれる美容院に希望と期待を抱いて来ていることが感じられる。見たところ不幸そうな客は一人もいなかった。そんなウキウキとした心持ちなので、お客さん同士はすぐに打ち解け、会話が弾む。雄鶏の存在もいい話のネタになっていた。

 では、雄鶏は何を象徴しているのだろうか。当初は男性性の象徴だと感じていた。表に「男子禁制」と明記されているだけあって、美容院は女性のみの空間になっていた。男性の訪問客はあったが、扉の向こう側からヴィクトリアに話し掛けていたため、顔すら見えなかった。美容院の中で唯一の「オス」は雄鶏だった。しかも足を縛られていた。美容院の外では家父長制男尊女卑社会が広がっているが、男子禁制の美容院に足を踏み入れれば、そこは男性による抑圧や束縛から解放されて女性がリラックスできるオアシスのような空間だ。美容院の中で自由を奪われているのは逆に男性ということで、足を縛られた雄鶏がそこにいるのだろうというのが序盤の解釈だった。

 ただ、雄鶏は聖人に捧げられる生け贄であった。そして、女性客たちの会話の中では、生け贄の重要性がまことしやかに語られる。その会話を経た後は、まるで雄鶏が聖人そのもののように見えてくる。聖人は蛇とも関連付けられていた。竜退治をした聖ゲオルギウスの伝説の影響であろう。むしろ蛇の方が男性性と関係深く、それに捧げられる雄鶏は、むしろ女性を解放する側の存在だと解釈できる。聖ゲオルギウスの伝説でも、生け贄として捧げられそうになった姫を聖ゲオルギウスが助けるという流れになっている。

 決意の家出をして美容院に出勤したヴィクトリアは、1日のワンオペを経て、ひとつの結論に達する。人生の岐路に立たされている彼女を支えてくれないプラジェーシュは、結婚相手としてふさわしくないという気付きである。そして、仕事を終えて美容院を閉じた後、彼女は雄鶏を大事そうに抱えて路上に立つ。そこで映画は終わる。

 雄鶏を彼女に預けたアンナンマーとはそのときまで連絡が付いておらず、彼女が雄鶏を受け取りにやって来るかは不明である。ヴィクトリアはアンナンマーを待つために路上に立ったとする解釈も成り立つが、おそらくそうではないだろう。彼女は煮え切らない恋人を切り捨て、新たな決意と共に路上に立った。これから彼女がどこに向かうのかは分からないが、彼女の表情からは冒険者的な覚悟が感じられたので、おそらく家ではなくどこか新天地に向かうのだろう。

 ところで、美容院を訪れた女子学生たちがおもむろに歌を歌い出す場面があった。明日のコンサートの練習だという。その歌詞の内容は、鳥かごから外に踏み出すことを促す内容で、映画のメッセージを先取りしていた。それは当然、エンディング直前のヴィクトリアの姿とピッタリ重なっていた。

 技術面で特筆すべきは、最初から最後まで長回しが多用されていたことである。短いカットをつなげて物語を紡ぎ出す通常の映画の手法ではなく、あえてロングテイクを主軸にすることで特徴的な映像表現がなされていた。それは時には美容院のワンオペを生々しく描きだしていたし、時にはヴィクトリアの表情の急激な変化を効果的に映し出していた。その長回しには、俳優たちの念入りな準備に加えて、雄鶏という変数も加わっていたので、撮影はかなり難航したのではないかと思われる。基本的にはリアリズム重視の作風だが、中盤にヴィクトリアの内面世界を映像化したような幻想シーンも差し挟まれていて、現実世界から幻想世界への移行にも長回しが導入されていた。

 ちなみに、この映画はケーララ州映画開発公社(KSFDC)が製作母体になっていた。KSFDCは1975年に設立された政府組織であり、元々はマラヤーラム語映画の拠点をマドラス(現チェンナイ)からケーララ州内に移転する事業を実行するために作られたようだ。KSFDCは女性のエンパワーメントなどを主題にしたマラヤーラム語映画の製作を行ってきており、「Victoria」はまさにその典型例だ。

 「Victoria」は、私生活において人生の岐路に立たされた美容師の主人公が、それでも日常の業務を責任もってこなす中で、自己と向き合い、最終的に力強い決断に至るまでを描いた作品である。長回しを多用するなど映像的な挑戦もあったし、美容院を憩いの場とする女性たちの会話にも臨場感があった。さらに、雄鶏というイレギュラーな存在が空間にひねりを加え、映画の考察を面白くしていた。あいち国際女性映画祭で上映されるのにピッタリの、前へ進んで行こうとする世の女性たちを応援するような内容の作品だ。