2024年10月10日公開のタミル語映画「Vettaiyan(狩猟者)」は、タミル語映画界のスーパースター、ラジニカーントの最新作だ。彼がヒーローであるのはいつも通りなのだが、ヒンディー語映画界のスーパースター、アミターブ・バッチャンと共演しながら、「エンカウンター」と呼ばれる警察による偽装殺人や教育の商業化についても触れられており、スターパワーと社会的メッセージが共存した傑作になっている。
監督は「Jai Bhim」(2021年)のTJニャーナヴェール。音楽はアニルッド。主演はラジニーカーントだが、アミターブ・バッチャンも非常に重要な役で起用されている。この二人が共演するのはこれが4作目である。過去に「Andha Kaanoon」(1983年)、「Giraftaar」(1985年)、「Hum」(1991年)の3作品で共演した。実に33年振りの共演となる。また、二人が過去に共演した作品は全てヒンディー語映画だったが、「Vettaiyan」はタミル語映画である。しかも、アミターブにとっては初のタミル語映画になる。
他に、ファハド・ファースィル、ラーナー・ダッグバーティ、マンジュ・ウォーリア、リティカー・スィン、ドゥシャーラー・ヴィジャヤン、ローヒニー、アビラーミーなどが出演している。また、音楽監督のアニルッドが「Manasilaayo」で特別出演している。
オリジナルはタミル語版だが、ヒンディー語吹替版、テルグ語吹替版、マラヤーラム語吹替版、カンナダ語吹替版も公開された。鑑賞したのはヒンディー語吹替版である。もっとも、ヒンディー語版ではアミターブ・バッチャンは自分の声でしゃべっていたので、「吹替版」という表現は語弊がある。
タミル・ナードゥ州カンニャークマーリーのアティヤン警視(ラジニーカーント)は、エンカウンター・スペシャリストとして知られており、多くの犯罪者をエンカウンターの名の下に殺害してきた。アティヤン警視は、学校の女性教師シャランニャー(ドゥシャーラー・ヴィジャヤン)から麻薬について通報を受け、その元締めクマーレーサンをエンカウンターで殺す。その後、シャランニャーはチェンナイに転勤する。
その後、アティヤン警視はシャランニャーが何者かに強姦され殺害されたと知る。シャランニャーは殺される前アティヤンに電話をしていた。この事件の捜査に当たったハリーシュ・クマール警視とルーパー・キラン警部(リティカー・スィン)は、シャランニャーが勤める学校に出入りしていたコンピューター技師グナを容疑者として特定し逮捕する。だが、ルーパー警部のミスにより逃がしてしまう。
警察が容疑者を逃したことで民衆の怒りは頂点に達した。カンニャークマーリーからアティヤン警視が呼ばれ、3日以内にグナをエンカウンターで殺害するように指示が出る。アティヤン警視は、停職処分になっていたハリーシュ警視とルーパー警部を呼び戻すと共に、相棒のバッテリー(ファハド・ファースィル)をチームに入れる。早速バッテリーの活躍によりグナの足取りが分かり、アティヤン警視は証拠動画を撮影しながら堂々とグナをエンカウンターで殺害する。
だが、日頃から警察のエンカウンターに反対してきた裁判官で、インド国家人権委員会の会長でもあったサティヤデーヴ・プラフマダット・パーンデー(アミターブ・バッチャン)がグナ殺害の再調査を求める。アティヤン警視は自分のしたことに自信満々だったが、サティヤデーヴは冤罪の可能性とエンカウンターが偽装であることを立証する。アティヤン警視が再度調べてみると、警察の捜査に落ち度があったことが分かった。アティヤン警視は初めて自分の行いを反省し、以後むやみにエンカウンターをしないことを誓う。また、サティヤデーヴの家に匿われていたグナの母親と妹に、真犯人を見つけ出すことを約束する。
アティヤン警視は再度現場検証や証拠品の調査を行い、シュランニャーを殺害した真犯人を殺し屋ハヌ・レッディーだと特定する。アティヤン警視は彼を逮捕するが、移送中に何者かに殺されてしまう。だが、ハヌに金を渡してシャランニャーを殺させた者がいることは分かった。さらに、ハリーシュ警視が買収されていたことも発覚する。さらに捜査を進めたことで、オンライン教育を推し進めるナト・アカデミーの関与が浮上してくる。シュランニャーは、グナの妹チトラーがナト・アカデミーの犠牲になっており、彼女のためにナト・アカデミーに対して抗議活動を主導していた。アティヤンはナト・アカデミーの社長ナトラージ(ラーナー・ダッグバーティ)を逮捕しようとするが、ナトラージは有力政治家と懇意であり、彼の電話ひとつでアティヤン警視は左遷され、経済犯罪部に飛ばされてしまう。
それでもアティヤン警視は諦めなかった。直属の部下ナズィーマー(ローヒニー)や妻ターラー(マンジュ・ウォーリア)の助けを借りながらナト・アカデミーの経済犯罪を調べ上げ、ナト・アカデミー被害者からの苦情を集めて刑事事件とする。今度は用意周到にナト・アカデミーを急襲し、首尾良くナトラージを逮捕する。また、アティヤン警視はシャランニャーが生前に彼に送った動画を手に入れる。そこにはナト・アカデミーの被害者たちの声が収められていた。アティヤン警視はそれをネット上で拡散させ、ナト・アカデミーの評判を落とす。とうとう政府もナト・アカデミーを営業停止にせざるをえなくなった。
ナトラージは海外から呼んだ傭兵を使って留置場から裁判所への移送中に脱走する。だが、アティヤン警視に阻まれ、逮捕される。半年後、ナトラージに有罪判決が下り、終身刑となる。
「Muthu」(1995年/邦題:ムトゥ 踊るマハラジャ)の大ヒットで日本でも知られるラジニカーントは、タミル語映画界で半ば神格化されたスーパースターだ。彼の主演作はヒットに次ぐヒット、といいたいところだが、あまりの人気スターであるために特有の難しさもある。ラジニカーント映画にはラジニカーント映画のフォーマットが出来上がってしまっており、それから大きく逸脱するとファンからそっぽを向かれてしまうのである。かといって、定型通りに作っていたのでは陳腐な作品として酷評されてしまう。ラジニカーントを起用した監督には、ラジニカーント映画としてのルールを守りながら自分なりの味付けをしていく慎重さを求められる。
だが、被差別部族問題を硬派な法廷ドラマにまとめた傑作「Jai Bhim」で知られるTJニャーナヴェール監督は、巧みにラジニカーント映画のフォーマットをかなり守りながらも、社会的に意義のある娯楽作に仕立て上げることに成功した。
まずはヒンディー語映画界のスーパースター、アミターブ・バッチャンを起用し、ラジニカーントの対極に置いた。そして、この二人の間に、エンカウンターの是非という命題を設定した。
ラジニカーント演じるアティヤン警視はエンカウンター・スペシャリストであった。凶悪犯罪者を逮捕してもすぐに釈放されてしまい、また犯罪を犯して法と秩序の脅威となるため、彼は即時射殺をモットーとしていた。正当防衛を口実に犯人を射殺し、その後の面倒な手続きをすっ飛ばしてしまうのである。庶民も、悪人を次から次に退治してくれる警察官を祭り上げた。
だが、警察による私刑が横行する危険な兆候に待ったをかけていたのが裁判官のサティヤデーヴであり、これをアミターブ・バッチャンが演じていた。正当な司法手続きを経ずに警察官が容疑者を独断で射殺するのは法治社会では許されないと訴え続けていた。シャランニャー強姦殺人事件において犯人としてアティヤン警視によってエンカウンターで殺されたグナについてもサティヤデーヴは疑義を呈し、彼の冤罪とエンカウンターの不当性を訴える。
今までラジニカーント映画を含むいくつかの南インド映画を観てきた経験から、ここまでの導入部を観て自然と予想される結末があった。それは、何らかの事情によってサティヤデーヴが法律を守り抜くことを諦め、法律でも裁けない悪があると改心し、アティヤン警視のエンカウンターを認めるというものだった。ラジニカーントが絶対正義であるのが定番のラジニカーント映画なら尚更である。
だが、意外にも「Vettaiyan」のストーリーはその予想とは反対の方向へと進んだ。アティヤン警視はサティヤデーヴと向き合ったことでグナ冤罪の可能性に気付き、今までの自分の行動を反省する。そして、容疑者をエンカウンターするよりも逮捕して裁く方に方針転換するのである。映画の最後にアティヤン警視は、「我々警察官は狩猟者ではなく保護者だ」と演説するが、この一言にこの映画のメッセージが凝縮されている。
また、アティヤン警視を改心させたのは冤罪だけではなかった。彼は、エンカウンターの犠牲になる者は決まって社会的弱者であることにも気付くのである。社会的な地位の高い者が何らかの犯罪の容疑者となった場合、エンカウンターで片づけられることはほとんどない。逮捕され、裁判で裁かれるのが常だ。エンカウンターは、警察による殺人の正当化であると同時に、社会に不平等も生んでいた。インドは英国人によって支配されたが、英国人がもたらした良いものもあった。その内のひとつが法の下の平等であった。それが、独立後に横行するようになったエンカウンターの慣行によって崩壊の危機にあったのである。
英領時代にインドにもたらされた良いものとして、法の下の平等と共に提示されていたのが教育の平等であった。「Vettaiyan」は教育問題にも触れられていた。劇中にはナト・アカデミーというオンライン塾が登場する。ナト・アカデミーは、医者やエンジニアになりたいという子供たちの夢を搾取し、高額な学費を取りながらオンラインで講座を配信して急成長した企業である。貧しい家庭からもローンによって受講生を集めた。だが、多くの子供たちは英語で配信される講座に付いて行けず、途中で止めてしまう。ナト・アカデミーは中途退学者に返金をしておらず、多くの被害者が出ていた。ナト・アカデミーは、教育水準の低い公立学校の教育改革を銘打って州政府と提携し、さらにビジネスを拡大しようとしていた。シュランニャーはそれに抗議していたためにナト・アカデミーのナトラージ社長によって殺されてしまったのである。
アティヤン警部はナトラージ社長を逮捕しようとするが、彼が影響力を行使し、アティヤン警部は経済犯罪部に左遷されてしまう。だが、アティヤン警部は今度は経済犯罪の方面からナトラージ社長を逮捕しようとする。その際に武器になったのが「無登録預金スキーム禁止法(Banning of Unregulated Deposit Schemes/BUDS法)」であった。これは、銀行などの正規の金融機関以外が運営する闇金融などを禁止することを目的としている。ナト・アカデミーは貧しい家庭にローンを組ませて学費を工面させており、これがBUDS法に違反している可能性があった。BUDS法は併科主義を採っており、最高刑は3年の罪であっても、被害者の数が多くなればそれだけ合算されて罰を重くすることができた。だからアティヤン警部はナト・アカデミーの被害者を多く集め、集団訴訟をさせたのだった。ただ、アティヤン警部の最終目標はナトラージ社長がシャランニャー殺害に関与したことの証明であり、BUDS法はそのための突破口に過ぎなかった。
残念ながら「Vettaiyan」は興行的には期待外れに終わったとされている。とはいっても、あくまでラジニカーント映画としては、になる。これは前述の通り、従来のラジニカーント映画から外れた内容だったからだと思われる。ラジニカーント演じるアティヤン警視が、エンカウンター・スペシャリストとして登場しながらも途中で変節し、エンカウンターを止めてしまった。それが従来のラジニカーント・ファンには容易に受け入れられなかったのではないかと思われる。だが、完全無欠のスーパーヒーローであることを止めたおかげで、逆にラジニカーントのキャリアベストの演技を見られる作品になっている。
「Vettaiyan」は、ラジニカーント映画を新たな高みに押し上げる作品である。ラジニカーント映画のフォーマットを最大限守りながらも、法の下の平等と教育の平等という2つの重要なテーマを追求し、彼が絶対正義ではないという意外な展開に挑戦していた。アミターブ・バッチャンとの競演も意義のあるものであった。興行的には失敗とされているが、この映画を評価してあげられなければ、ラジニカーントの今後の飛躍が難しくなってしまう。是非応援したい映画である。