Devara Part 1 (Telugu)

3.5
Devara Part 1
「Devara Part 1」

 2024年9月27日公開の「Devara Part 1」は、海を舞台にした全二部作のヒーロー活劇の第一部である。過去10年間に大ヒットした南インドの「Baahubali」シリーズ(2015年2017年)、「K.G.F」シリーズ(2018年2022年)、「Pushpa」シリーズ(2021年・2024年)などに多大な影響を受けている。

 監督は「Acharya」(2022年)などのコラタラ・シヴァ。音楽はアニルッド。主演は「RRR」(2022年)のNTRジュニア。ヒンディー語映画界からサイフ・アリー・カーンが悪役として、ジャーンヴィー・カプールがヒロインとして起用されている。他に、アジャイ、プラカーシュ・ラージ、ムラリー・シャルマー、アビマンニュ・スィン、シュリーカーント、シャイン・トム・チャッコー、カライヤラーサン、シュルティ・マラーテー、ザリーナー・ワハーブ、タッルリ・ラーメーシュワリー、ナーラーイン、スデーヴ・ナーイルなどが出演している。

 オリジナルのテルグ語版を、英語字幕を頼りに鑑賞した。

 1996年、インドではクリケットのワールドカップが開催されようとしていた。だが、ダヤーとイエティという2人のギャングスターによってテロの脅威にさらされていた。シヴァム(アジャイ)率いる特捜隊はイェティの部下を捕まえて尋問し、彼が密輸業者ムルガ(ムラリー・シャルマー)に会いに、アーンドラ・プラデーシュ州とタミル・ナードゥ州の州境にあるラトナギリへ行ったことを知る。シヴァムはムルガが既に死んだことを知るが、彼のパートナーだったトゥラスィー警部(アビマンニュ・スィン)と会い、「赤い海」と総称される4つの村について聞かされる。「赤い海」の村々を束ねる首領バイラー(サイフ・アリー・カーン)に会うが、協力を断られる。その代わり、シヴァムたちはスィンガッパ(プラカーシュ・ラージ)という人物に会い、「赤い海」で過去に起こった出来事を語ってもらう。

 12年前、「赤い海」はデーヴァラ(NTRジュニア)というカリスマ的な首領によって治められていた。英領時代は海を守護していた「赤い海」の民だったが、独立後は密輸を生業にするようになっていた。ムルガとトゥラスィー警部は顧客であった。また、デーヴァラとバイラーは良きライバルであった。

 デーヴァラと仲間たちはあるとき密輸途中に沿岸警備隊に捕まってしまう。隊長のイルファーン(ナーラーイン)は、彼らがインドに密輸した武器によって罪のない人々が犠牲になっていると諭す。つい先日もデーヴァラの村の子供がテロに遭って死んでいた。デーヴァラは改心し、以後、密輸業には手を貸さないと宣言する。そして他の村人たちにもそれを守らせる。「赤い海」の村人たちは漁業によって堅実に生計を立てるようになる。

 バイラーはデーヴァラのその突然の変心にもっとも憤っていた。バイラーは弟をラーヤッパ(シュリーカーント)の娘と結婚させ、結婚式を行うが、そのタイミングでデーヴァラを暗殺しようとしていた。酒に酔ったデーヴァラは海岸におびき出され、刺客による襲撃を受ける。酔っていてもデーヴァラは強く、刺客たちを撃退する。だが、その後彼は、もしまた誰かが密輸に手を染めたらその者を殺すと書き残して忽然と姿を消す。

 以後、村人たちはデーヴァラを恐れて密輸のために海に出ようとしなくなった。バイラーはデーヴァラをおびき出すため、「赤い海」の首領を決めるアーユダ・プージャーでデーヴァラの村人を痛めつけるが、デーヴァラは現れなかった。バイラーは「赤い海」の支配者として君臨した。そして、デーヴァラを倒すため、村の有望な若者たちを訓練し、屈強な刺客に育て上げていた。

 ところで、デーヴァラの息子ヴァラ(NTRジュニア)は、カリスマ的な父親とは正反対の弱虫に育っていた。ラーヤッパの娘タンガム(ジャーンヴィー・カプール)もヴァラの女々しさに愛想を尽かしていた。だが、時々彼は強さを見せることがあり、やはりデーヴァラの血を引いていることを再確認する村人もいた。

 バイラーは再び密輸を再開しようと考えていた。だが、ムルガとトゥラスィー警部はデーヴァラを恐れており、彼を殺すことが密輸再開の条件になっていた。デーヴァラの母親(ザリーナー・ワハーブ)が病気になったこともあり、必ずデーヴァラが看病に訪れるはずと考えたバイラーはデーヴァラの母親を囲んで待ち伏せする。確かにデーヴァラは現れたが、取り逃がしてしまった。それを聞いたムルガとトゥラスィー警部は、もはやデーヴァラは恐れるに足りずと考え、バイラーに密輸を指示する。

 ヴァラは、バイラーの手下たちを誤って殺してしまっていた。その償いとしてヴァラはバイラーと共に密輸に赴くことになる。彼らが密輸品を運んでいる最中、デーヴァラに襲われる。次々に殺されていくが、実はデーヴァラの振りをして彼らを殺していたのはヴァラであった。デーヴァラは12年前に既に死んでおり、彼の遺志を継いで海を守ってきたのはヴァラであった。12年前にデーヴァラを殺したのもヴァラであった。

 「赤い海」は4つの村で構成されていたが、それぞれの村に住む村人には特技があった。それは、造船技術であったり、海中で長く息を止められたりする特技であったりした。そして彼らはそれらの特技を合わせて密輸を行っていた。彼らの密輸方法は特殊である。密輸品を積んだ船が港に到着する前にその船に忍び込んで、密輸品を密かに運び出し陸揚げするのである。彼らの顧客であるムルガやトゥラスィー警部が密輸していたのは銃火器類であり、テロリストに渡っていた。

 陸上での戦闘シーンなどもあったのだが、「Devara Part 1」で特徴的だったのは、海上や海中でのアクションシーンだ。サメを一時的に乗りこなして戦うような場面もあった。「Pushpa」の舞台を海に移したかのようである。

 そして既に第一部にして、デーヴァラとヴァラという親子二代の物語になっている。どちらも演じるのはNTRジュニアだ。デーヴァラは向かうところ敵なしの強靱なリーダーであり、彼の発言は命令と同じだった。彼は何の疑問もなく密輸をして報酬を得ていたが、あるときその密輸した銃火器類が罪のない人々を殺すテロに使われていることを知り、改心する。そして「赤い海」の村人たちが密輸に関わることを一切禁じる。デーヴァラの良きライバルだったバイラーは、彼のその決断を面白く思わず、デーヴァラ暗殺を画策する。だが、刺客はデーヴァラに返り討ちに遭う。同時に、デーヴァラは姿を消し、見えないところから海を監視し続けると宣言する。デーヴァラを畏怖していた村人たちは密輸のために海に出ることを止める。

 姿を消したデーヴァラというのはとても面白いアイデアだ。確かに人は、目に見えないものにもっとも恐怖する。バイラーをはじめとしたデーヴァラに恨みのある者たちは、何とか彼をおびき出そうとするのだが、12年間、デーヴァラを見た者はいなかった。デーヴァラはどこにいるのか。何をしているのか。このサスペンスが観客の好奇心を最後まで引っ張る。

 第一部の最後には衝撃の事実が発覚する。なんとデーヴァラは12年前に死んでいた。そしてデーヴァラの代わりに海を守り続けていたのは息子のヴァラであったこと、そしてデーヴァラにとどめを刺したのもヴァラであったことも分かる。なぜヴァラはデーヴァラを殺したのか?この謎は第二部に持ち越される。この終わり方は完全に「Bahubali」シリーズの真似である。

 NTRジュニアは今回一人二役を演じた。当初、デーヴァラとヴァラは正反対の性格ということになっていたので、そのように演じ分けする必要があったのだが、後にヴァラもデーヴァラと同じく立派なヒーローだったことが分かる。そうなってくるとデーヴァラとヴァラの区別がなくなる。NTRジュニアがデーヴァラとヴァラの演じ分けを繊細にしていたとは思えなかった。

 サイフ・アリー・カーンがテルグ語映画に出演するのはこれが初だ。ただし、ヒンディー語とテルグ語のバイリンガル映画だった「Adipurush」(2023年)には出演歴がある。サイフは「Tanhaji」(2020年)あたりから悪役に活路を見出しており、「Devara」でも見事な悪役振りであった。テルグ語のセリフはPラヴィ・シャンカルによる吹き替えである。

 ジャーンヴィー・カプールにとっても「Devara」は初のテルグ語映画になった。ただ、彼女の母親シュリーデーヴィーは多数のテルグ語映画に出演した経験があり、テルグ語圏でも人気のあった女優だ。おそらくテルグ語映画界の人々にとって彼女はよそ者ではないという感覚があるはずである。ただ、テルグ語はできないようで、彼女のセリフも吹き替えされている。

 サイフ・アリー・カーンとジャーンヴィー・カプールの起用は、「Devara」を汎インド映画として売り出そうとする戦略に他ならない。現にこの映画は他の大予算型映画と同じく多言語展開されており、オリジナルのテルグ語版に加えて、ヒンディー語吹替版、タミル語吹替版、マラヤーラム語吹替版、カンナダ語吹替版も同時公開された。ただ、この映画でもっとも弱かったのは、インド全土での受けを狙って増やしたと思われるジャーンヴィーの登場シーンだ。彼女が演じるタンガムはヴァラを誘惑しようとするが、そのあたりのシーンは全く不必要で、しかも彼女が関わる冗長なダンスシーンが2つもあった。残念ながらジャーンヴィーの存在はこの映画の質を落としてしまっていた。

 「Devara Part 1」は、NTRジュニアを主演とし、ヒンディー語映画界の俳優たちを重要な役で起用した汎インド映画だ。ただ、過去10年間に成功した南インド映画のいいとこ取りをしたような作品で、海上や海中でのアクションシーンを除けば、どこかで見たようなシーンがいくつも散見される。興行的には成功しているが、映画の完成度としては必ずしも高くない。第二部での挽回に期待したい。