Chandu Champion

3.5
「Chandu Champion」

 インドは人口14億人を抱える大国であるが、同規模の他国と比べると、オリンピックでのメダル数が極端に少ない。2021年の東京五輪では金1、銀2、銅7に留まったし、2024年のパリ五輪では銀1、銅6しか獲得できなかった。その原因としては、クリケットがあまりに人気であることや、全体的にスポーツの振興が遅れていることなどが挙げられることが多い。

 ところで、独立インドにおいて初めて個人で金メダルを取ったのは、2008年北京五輪の男子10mエアライフルで優勝したアビナヴ・ビンドラーだとされている。しかしながら、「初の金メダリスト」の称号にふさわしい人物がもっと前にいた。2024年6月14日公開の「Chandu Champion(負け犬チャンピオン)」は、歴史の闇に埋もれた「初の金メダリスト」を発掘し、その功績を讃えたスポーツ伝記映画である。

 「Chandu Champion」の主人公はムルリーカーント・ラージャーラーム・ペートカル。実在し、現在も生きている人物である。ムルリーカーントは1972年にハイデルベルクで行われたパラリンピックの男子50m自由形で金メダルを獲得した。だが、彼は当初から障害者だったわけでもなく、水泳選手だったわけでもなかった。また、彼のこの功績は50年以上忘れ去られていた。彼がようやく正当な評価を受けたのは2018年になってからのことで、パラリンピックで金メダルを獲得した功績によりパドマシュリー(上から4番目の文民勲章)に叙せられた。「Chandu Champion」は彼の数奇な人生を映画化した作品である。

 監督は「Bajrangi Bhaijaan」(2015年/邦題:バジュランギおじさんと、小さな迷子)のカビール・カーン。1983年のクリケットワールドカップにおけるインド代表の優勝を映画化した「83」(2021年)に続き、スポーツと歴史を題材にした作品を送り出してきた。もっとも、「83」はインド人なら誰もが知るストーリーの映画化であったが、この「Chandu Champion」はほとんど誰も知らなかったアスリートの物語である。

 主役ムルリーカーントを演じるのは、「Bhool Bhulaiyaa 2」(2022年)を当てたカールティク・アーリヤン。現在、トップスターに近い存在になりつつある俳優である。ロマンス映画を得意としてきたが、今回はアスリートを題材にした伝記映画に挑戦し、新境地を拓こうとしている。

 他に、ヴィジャイ・ラーズ、ブヴァン・アローラー、ヤシュパール・シャルマー、ラージパール・ヤーダヴ、シュレーヤス・タールパデー、バーギヤシュリー・ボールセー、ソーナーリー・クルカルニー、ブリジェーンドラ・カーラーなどが出演している。

 マハーラーシュトラ州プネー近くのカサード村で生まれ育ったムルリーカーント・ラージャーラーム・ペートカル(カールティク・アーリヤン)は、1952年のヘルシンキ五輪のレスリングで銅メダルを獲得したカーシャーバー・ダーダーサーヘブ・ジャーダヴに感化され、オリンピックで金メダルを取ることを夢見るようになった。彼はダンガル(相撲)を鍛練するアカーラー(道場)に弟子入りする。

 ムルリーカーントは村で行われたダンガルの試合で地元有力者の息子を派手に投げ飛ばしてしまう。名誉を汚されたとして追われる身になったムルリーカーントはそのまま列車に飛び乗り逃げ出す。そこで偶然出会ったのがカルナイル・スィン(ブヴァン・アローラー)であった。カルナイルは陸軍の入隊テストを受けに行く途中で、ムルリーカーントも誘う。カルナイルとムルリーカーントは入隊テストに合格し、軍人となる。

 ムルリーカーントは、軍隊ではレスリングの訓練ができないことを知り、タイガー・アリー(ヴィジャイ・ラーズ)に弟子入りしてボクサーを目指す。ムルリーカーントは才能を発揮し、1964年に東京で行われた軍人競技大会で銀メダルを獲得する。

 インドに戻ったムルリーカーントはカシュミールに配属となり、そこで第二次印パ戦争に巻き込まれる。9発の弾丸を受けたムルリーカーントはそのまま昏睡状態になるが、2年後に目を覚ます。彼はボンベイの陸軍病院に移され、最先端の治療を受けるが、下半身不随は治らなかった。家族との再会を果たすが、家族は彼の帰郷を認めなかった。

 自殺を考えたムルリーカーントであったが、博打で44,000ルピーを当て、下半身の感覚も少し戻り、気を取り直す。第二次印パ戦争を生き残ったタイガーと再会し、彼のコーチングの下で水泳選手を目指す。そして、1972年のミュンヘン・パラリンピックにインド代表として出場が決まる。このとき、五輪はテロ騒ぎによって延期され、パラリンピックはハイデルベルクで行われた。そこでムルリーカーントは男子50m自由形を勝ち抜き、決勝戦で優勝して金メダルを獲得する。

 しかしながら、彼の功績はすぐに忘れ去られてしまった。2017年、ムルリーカーントは大統領を訴えようとする。それを聞いたサチン・カーンブレー警部補(シュレーヤス・タールパデー)はジャーナリストを呼んで彼の記事を書かせる。彼の知られざる偉業は再び日の目を浴び、2018年に彼は大統領からパドマシュリーに叙せられる。

 「Chandu Champion」はムルリーカーントの人生を題材にした伝記映画ではあるが、娯楽映画として成り立たせるために脚色も交えている。それでも、彼の人生は脚色を抜きにしても十分に波瀾万丈に満ちたものだったことがよく分かる。

 金メダリストを夢見てレスリングの鍛練をしながらも故郷を追われる形で軍隊に入隊し、今度はボクシングを始めて国際試合にも出場するが、戦争で大怪我を負って下半身不随になる。それでも彼は諦めず、今度は水泳選手としてパラリンピックで金メダルを目指し、それを実現させてしまう。強い意志の力があれば、どんな逆境にも立ち向かうことができ、やがては夢を実現できるという、力強いメッセージが発せられている。それは「スポ根映画」という枠組みを遥かに超えたものだ。

 だが、ムルリーカーントの経歴を確認してみると、彼の人生はこれだけに留まらない。1972年のミュンヘン五輪・パラ五輪の前には、1968年にテルアビブで行われたパラ五輪で卓球選手として出場している。さらに、スキーの回転、陸上の槍投げや砲丸投げの選手としても記録されている。映画の中でも彼はダンガルまたはレスリングからスポーツ歴を始め、陸軍入隊後はボクシングに転向し、下半身不随となった後は水泳選手となったとされているが、実際の彼が挑戦したスポーツはもっと多いと思われる。とにかく自分の限界を超えようと挑戦し続けた人生だったのだろう。

 いかにもインドらしいのは、パラリンピックとはいえ、金メダリストになったスポーツ選手を全く尊重せず、半世紀以上も忘れ去ってしまっていたことだ。2018年になってようやく受勲し、こうして映画も作られたことで、何とかその埋め合わせはできたと思われるが、他にも同様に埋もれたスポーツ選手がいるのではないかと不安になってしまう。ちなみに映画の中でムルリーカーントはアルジュナ賞を所望していたが、これは優れた業績のあったスポーツ選手に贈られる賞であり、上から2番目となる。それに対しインド政府が彼に与えたのはパドマシュリーであったが、こちらはスポーツ選手に限らず全ての文民功労者を対象にしたもので、アルジュナ賞よりもかなり格上の勲章になる。

 カビール・カーン監督は軍隊モノ映画を得意とする映画監督であり、今回もその範疇にある作品であった。その中でも第二次印パ戦争の描写は秀逸だった。パーキスターン軍による空爆に翻弄されるインド陸軍兵士たちの様子を敢えて長回しで映し出しており、中盤の大きな見所になっている。

 カールティク・アーリヤンは、今までのチャーミングなイメージを捨て、運命に翻弄されたアスリートをキャリアベストの演技で演じ切った。彼に匹敵する存在感を放っていたのは、メンターとしてムルリーカーントを支えたタイガー・アリー役のヴィジャイ・ラーズである。女優のプレゼンスはほとんどなかったが、ムルリーカーントが東京で出会ったナヤンターラーを演じたバーギヤシュリー・ボールセーが印象的だった。「Yaariyan 2」(2023年)でデビューした女優である。

 音楽監督はプリータム。映画の主題歌になっていたのは「Tu Hai Champion」であるが、目を引いたのは序盤のダンスシーン「Satyanaas」である。「Jagga Jasoos」(2017年)のダンスナンバーで、カルト的な人気を得た「Galit Se Mistake」と似ていた。こちらもプリータムが作曲しており、2匹目のドジョウを狙ったのではないかと邪推される。

 「Chandu Champion」は、長らく歴史の闇に埋もれていたインド人パラオリンピアンで金メダリスト、ムルリーカーント・ラージャーラーム・ペートカルの伝記映画である。下半身不随となりながらも決して諦めず、金メダルを取って国に貢献するという夢を追い続けた不屈の人を描いた感動作だ。興行的には振るわず、失敗作の烙印を押されているが、観て損はない。