Bhaiyya Ji

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Bhaiyya Ji
「Bhaiyya Ji」

 2024年5月24日公開の「Bhaiyya Ji(兄貴)」は、「Sirf Ek Bandaa Kaafi Hai」(2023年)をヒットさせたアプールヴ・スィン・カールキー監督とマノージ・バージペーイーが再びコンビを組んだ作品である。ビハール州の架空の県であるスィーターマンディー県に住む地元の顔役が主人公のギャング映画だ。おそらくスィーターマンディー県は実在するスィーターマリー県をもじったものだと思われる。

 主演マノージ・バージペーイーの他には、ゾーヤー・フサイン、バーギーラティー・バーイー・カダム、ジャティン・ゴースワーミー、スヴィーンダル・ヴィッキー、ヴィピン・シャルマーなどが出演している。

 ビハール州スィーターマンディー県ププリー村に住むラームチャラン・トリパーティー、通称バイヤージー(マノージ・バージペーイー)は、長年連れ添ってきたミターリー(ゾーヤー・フサイン)と結婚しようとしていた。バイヤージーの異母弟ヴェーダントはデリーで学んでおり、バイヤージーの結婚式に合わせてビハール州に帰郷しようとしていた。バイヤージーはヴェーダントの帰りを待ちわびており、何度も電話をして所在を確かめていた。

 ところが突然、ヴェーダントとの連絡が途絶える。その後、デリーのカムラーナガル署に勤める警察官マガン警部補(ヴィピン・シャルマー)から電話が掛かってきて、すぐにデリーに来るように言われる。バイヤージーは手下のボーラー、ニヤーズと共にデリーに直行する。バイヤージーはマガン警部補から、ヴェーダントが事故で死んだことを伝えられる。しかも、遺体の取り違えにより、ヴェーダントの遺体は勝手に火葬されてしまう。

 バイヤージーはヴェーダントの友人たちから、彼が何者かに殺されたことを知る。バイヤージーは弟の殺人犯に復讐することを誓い、マガン警部補から、その犯人がアビマンニュ・スィン(ジャティン・ゴースワーミー)だと知る。アビマンニュは、政界に強力なコネを持つマフィア、チャンドラバーン・スィンの息子であった。ところが、バイヤージーも地元では有名なマフィアであった。しかしながら、父親デーヴチャランの死後は暴力を封印し、社会奉仕に専念していた。バイヤージーは再び暴力に訴えることを決意する。

 バイヤージーはチャンドラバーンに会いに行き、アビマンニュを引き渡すように懇願する。だが、チャンドラバーンはバイヤージーを追い返す。アビマンニュが海外に高飛びしようとしているとの情報を得たバイヤージーは彼を捕まえようとするが、罠にはまり囲まれてしまう。バイヤージーは重傷を負いながらも何とか脱出に成功する。

 バイヤージーの負傷を知った継母(バーギーラティー・バーイー・カダム)とミターリーはデリーにやって来る。アビマンニュがバイヤージーの居所を突き止めて襲撃するが、射撃選手のミターリーは彼らを撃退する。バイヤージーも治療を受け復活する。

 バイヤージーは、政治家に多額の献金をしようとしていたアビマンニュを捕まえ殺そうとするが、そのときチャンドラバーンはバイヤージーの継母を捕まえ、火あぶりにしようとしていた。バイヤージーはアビマンニュを連れて継母の救出に向かう。ミターリーの援護もあり、バイヤージーは継母を救い出し、チャンドラバーンとアビマンニュの抹殺に成功する。

 マノージ・バージペーイーは渋い演技をする個性派俳優として名が知られている。OTT時代においてもっとも再評価が進んだ俳優であり、主演作も増えた。それらは彼の持ち味を活かしたシリアス路線の作品がほとんどだ。この「Bhaiyya Ji」もそのような映画であることを期待して観た観客がほとんどだったことだろう。

 「Bhaiyya Ji」はいわゆるギャング映画である。引退したビハール州のギャングと現役のウッタル・プラデーシュ州のギャングが抗争を繰り広げる。ほとんど笑える場面はなく、シリアス路線の映画であることに外れはない。だが、意外なことにアクションの要素が強かった。マノージ・バージペーイーがアクションヒーローを務めるのは稀なことだ。しかも、南北のインド映画をよく観ている人ならすぐに気付くだろう。ストーリーテーリング法はカンナダ語映画「K.G.F」シリーズ(2018年2022年)の完全な真似である。

 物語の導入部に「K.G.F」的な要素は感じないが、主役バイヤージーの異母弟ヴェーダントが殺され、バイヤージーが復讐に乗り出してから、「K.G.F」な展開が始まる。

 「K.G.F」を観た人になら、「K.G.F」的な展開、という言い方で大体通じると思うが、観ていない人に言葉で説明するのは難しい。それでも敢えて説明に挑戦してみようと思う。

 まず、BGMの使い方が特徴的だ。高揚感のあるおどろおどろしい音楽が複数のシーンを貫く形でバックで流れ続ける。そして、ナレーションがどんどんストーリーを前に進めていく。所々で「実は・・・」という形で種明かし的なカットバックが入り、本編を補完する。総じて、予告編やダイジェスト版のような流れでストーリーが進行する。

 また、「K.G.F」シリーズの主人公ロッキーはハンマーを象徴的な武器にしていたが、「Bhaiyya Ji」ではそれがショベルに置き換わっていたことは容易に指摘されてしまうだろう。

 ヒンディー語映画に「K.G.F」型のストーリーテーリング法が持ち込まれたのはこれが初だと思われる。そういう意味では記念碑的な作品だ。

 しかしながら、終盤になるにつれてご都合主義も加速していく。たとえば、悪役チャンドラバーンの居所はデリー寄りのウッタル・プラデーシュ州のはずで、主役バイヤージーの拠点はビハール州のはずだが、この2点の間に全く距離がないかのように、キャラが一瞬の内に往き来をする。ビハール州にいたはずの継母がいつの間にか捕らえられ、ウッタル・プラデーシュ州に連れ去られる。継母は火あぶりにされるが、それを知ったバイヤージーは、一瞬の内に駆けつける。観客にカタルシスをもたらすために、細かいことを無視して、都合良くストーリーを組み立ててしまっている。それは粗雑に感じられた。

 マノージ・バージペーイーの演技力を否定するわけではない。逆に、彼の演技はいつものように素晴らしかった。だが、アクションシーンには疑問符が付いた。彼のアクションには非常に稚拙な画像処理しか施されておらず、アクション映画としてはチープであった。

 残酷なシーンも多く、最後は復讐相手の抹殺で幕を閉じていた。この辺りにも「K.G.F」シリーズやテルグ語映画の影響が感じられた。南インド映画の影響なしに「Bhaiyya Ji」は成立しなかっただろう。だが、それがうまくはまっていたとは思えず、逆に安易さを感じた。マノージ・バージペーイーを南インド映画的なヒーローに仕立てあげる選択にも場違いな印象を受けた。

 継母がカラスに食べ物を食べさせようとするシーンがあった。これは、ヒンドゥー教の葬儀で行われる儀式のひとつである。カラスは冥界からの使いと考えられており、カラスに米で作った団子の供え物をすることで、死んだ人の魂があの世に運ばれると考えられている。ヴェーダントの葬儀の後、いくら供え物をお供えしてもカラスが食べなかったので、ヴェーダントの魂が浮かばれないと継母は考えていた。

 「Bhaiyya Ji」は、「Sirf Ek Bandaa Kaafi Hai」を成功させたアプールヴ・スィン・カールキー監督と名優マノージ・バージペーイーが再びタッグを組んだギャング映画であるが、「K.G.F」をはじめとした南インド映画の手法を安易に模倣して作られており、それがうまく噛み合わなかった作品である。興行的にも失敗に終わっている。無理して観る必要はないだろう。