ナーギン

 特に欧米に流布しているインドのステレオタイプに「蛇使いの国(The Land of Snake Charmers)」がある。現在では動物愛護の観点から巷で蛇使いを目にする機会は減ったが、一昔前のインドの観光地には確かに蛇使いがおり、好奇心旺盛な観光客の前で蛇を操ってみせていたものだった。

蛇使い
蛇使い

 蛇はよほどインド人の生活に密着した生き物だったと見えて、インド社会において単に恐ろしい生物というだけではなく、信仰の対象になっている。

 一般に蛇はシヴァ神と関連づけて捉えられる。シヴァ神は蛇を首に巻いた姿で描かれることが多く、蛇はシヴァ神の眷属のひとつとされているからだ。ヴィシュヌ神も蛇とは無関係ではなく、シェーシャという名の蛇に横たわった姿で描かれることがある。さらに、ブラフマー神の孫カシヤパとカドルーが結婚したことで蛇族が生まれたという神話もあるため、ヒンドゥー教の三大神であるブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三者とも蛇に何らかの関係を持っていることになる。

シヴァ神とヴィシュヌ神
シヴァ神(左)とヴィシュヌ神(右)

 ただ、シヴァ神などとは独立した形でも蛇は畏怖され崇拝されている。たとえば、7月から8月に掛けての雨季の時期にはナーガ・パンチャミーという蛇の祭りがあり、蛇塚にミルクを供えたりする。東インドではマナサーという蛇の女神がいるし、南インドでは子宝を求める女性が菩提樹の下に蛇が彫刻された石版(ナーグ・ストーン)を供える習慣がある。地域ごとに蛇に対する信仰形態は異なるが、インド全土に渡って蛇は共通して信仰対象になっている。

ナーグ・ストーン
ナーグ・ストーン

 二大叙事詩「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」にも蛇をモチーフとしたキャラが登場する。「マハーバーラタ」ではパーンダヴァ五王子の三男アルジュナがウルーピーという蛇族の姫と結婚する下りがある。「ラーマーヤナ」ではスラサーという蛇族の女王がランカー島に渡ろうとするハヌマーンの前に立ちはだかる。

 しかしながら、インド人庶民にとってもっとも身近な蛇関連のキャラといえば、イッチャーダーリー・ナーグまたはイッチャーダーリー・ナーギンと呼ばれる想像上の生物だと思われる。雄がイッチャーダーリー・ナーグ、雌がイッチャーダーリー・ナーギンである。ヒンディー語では「इच्छाधारी नागイッチャーダーリー ナーグ」、「इच्छाधारी नागिनイッチャーダーリー ナーギン」と書く。

 イッチャーダーリー・ナーグ/ナーギンの最大の特徴は、姿を自由に変える特殊能力を持っていることだ。長年の修行によりシヴァ神から恩恵を与えられ、その特殊能力を手にしたと説明されることが多い。何にでも化けられるが、一般的には人間に化けて人間と交流する。特に、ナーギンが美しい女性の姿になって人間界に現れ、男性を魅了するというのが定番のパターンだ。雄のナーグと雌のナーギンがペアで行動していることも多い。日本昔話のキツネと似た立ち位置にインドでは蛇がいることは興味深い。

 イッチャーダーリー・ナーグ/ナーギンは「ナーグマニ」と呼ばれる宝石を隠し持っているとされる。ナーグマニを手にした者は不老不死になったり、どんな願いでも叶えられたり、世界を支配する力を手に入れたりするとされるため、ナーグ/ナーギンはナーグマニを狙う悪者に追われるというのもお約束である。

 いかに人間の姿になろうとも、元は蛇であるため、ナーグ/ナーギンの弱点は、蛇使いの吹くビーン(笛)の音ということにもなっている。

 イッチャーダーリー・ナーグ/ナーギンはインドにおいて絶対に滑らないテッパンネタであり、特にナーギンを巡る映画は昔から数多く作られてきている。その最初期の例は一般的にヴァイジャヤンティーマーラー主演の「Nagin」(1954年)だとされる。この映画で使われたビーンのメロディーは確かに定番になり、その後のナーギン映画で使われ続けることになった。しかしながら「Nagin」には、蛇使いは登場するものの、イッチャーダーリー・ナーギンは登場しない。

 人間に化けるイッチャーダーリー・ナーギンが登場するナーギン映画としては、その後リーナー・ロイ主演の「Nagin」(1976年)などがあったのだが、金字塔は何といってもシュリーデーヴィーがナーギンを演じた「Nagina」(1986年)をおいて他にない。ナーギンによる復讐の物語を愛の物語に変換し大ヒットした。ビーンの音に合わせてシュリーデーヴィーが蛇の動きを模して踊る「Main Teri Dushman Dushman Tu」はヒンディー語映画史に残る名シーンとして語り継がれている。

'Main Teri Dushman, Dushman Tu Mera' Video Song | Nagina | Lata Mangeshkar | Rishi Kapoor, Sridevi

 21世紀においてもナーギン映画が作られ続けている。マッリカー・シェーラーワトがナーギンになった「Hisss」(2010年)や、カルパナー・パンディトがナーギンになった「Janleva 555」(2012年)などがある。シュラッダー・カプール主演で全3部作のナーギン映画が作られるとの報道もなされている。また、TVドラマでも度々ナーギンが題材になっている。中でもモウニー・ロイがナーギンを演じたColorsTVのドラマ「Naagin」は大ヒットし、2015年から複数のシーズンにまたがってエピソードが作られ続けている。

Hisss
「Hisss」

 イッチャーダーリー・ナーグ/ナーギンは固有名詞であり、インド映画などに登場する際は特に細かい説明は付与されない。日本における「ろくろ首」や「座敷わらし」などの妖怪と同じくらいポピュラーな存在なのである。想像上の生き物ではあるが、知っておいて損はないだろう。