Yaariyan 2

3.0
Yaariyan 2
「Yaariyan 2」

 かつて「Yaariyan」(2014年)という映画があった。Tシリーズ社のブーシャン・クマール社長の妻ディヴィヤー・コースラー・クマールが初監督した作品だ。彼女はそれほど大した活躍をした女優でもなかったのだが、クマール社長と結婚したことで力を持つようになり、酔狂で監督業に手を出した。評論家から軒並み酷評されたにもかかわらず、なぜか大ヒットしてしまった謎の映画である。筆者も個人的には全く認めていない作品だ。

 ただ、映画というのは最終的には結果が全てだ。大ヒットした「Yaariyan」の続編が作られるのは必然で、「Yaariyan 2」は2023年10月20日に公開された。ただ、続編とはいっても前作から引き継いでいるものはほとんどない。監督は「Sanam Teri Kasam」(2016年)を撮ったコンビ、ラーディカー・ラーオとヴィナイ・サプルー。前作で監督を務めたディヴィヤー・コースラー・クマールはなんと続編で主演に転向した。彼女はブーシャン・クマールなどと共にこの映画のプロデューサーも務めている。

 他に、ヤシュ・ダースグプター、パール・V・プリー、ミーザーン・ジャーファリー、アナスワラー・ラージャン、バーギヤシュリー・ボールセー、ワリーナー・フサイン、ムラリー・シャルマー、リレット・ドゥベー、サークシー・プラダーン、プリヤー・プラカーシュ・ヴァリヤルなどが出演している。

 題名の「Yaariyan」は「友情」という意味である。複数形になっているところがポイントだ。マラヤーラム語映画「Bangalore Days」(2014年)の公式リメイクである。

 ラードリー・チッバル(ディヴィヤー・コースラー・クマール)はシングルマザーの母親(リレット・ドゥベー)と共にシムラーに住んでいた。ラードリーはサラセミアを患っていたが快方に向かっていた。ラードリーは母親の圧力に負けて、アバイ・スィン・カティヤール(ヤシュ・ダースグプター)とお見合い結婚し、ムンバイーに移住する。

 ラードリーには、シカル・ランダーワー(ミーザーン・ジャーファリー)とバジラング・ダース・カトリー、通称バッジュー(パール・V・プリー)という従兄弟がいた。バッジューは信心深く、元々ムンバイーに住んでおり、会社勤めをしていた。シカルはエンデューロバイクレーサーだったが、1年間のレース出場資格停止となり、配達員をするためにムンバイーに来ていた。

 アバイには長く付き合っていた女性がおり、なかなかラードリーには心を開かなかった。アバイの家には開かずの間があったが、ある日彼女が偶然その部屋の鍵を見つけ入ってみると、そこにはアバイの元恋人ラージラクシュミー(バーギヤシュリー・ボールセー)の写真がたくさん飾られていた。アバイはまだラージラクシュミーを忘れられていなかったのである。ラードリーはシムラーに帰り、アバイに離婚届を送り付ける。

 シカルは偶然電話で話した女性イクルール・アワスティー(アナスワラー・ラージャン)と配達の仕事上で出会う。イクルールは歩けず、車椅子で移動していた。シカルはイクルールと会う内に彼女と恋仲になる。だが、イクルールの姉スィラー(サークシー・プラダーン)は、下積み中のバイクレーサーに彼女を幸せにすることはできないと言ってイクルールとの交際を止めるように言う。シカルはイクルールから距離を置くようになる。

 バッジューはショーナー(ワリーナー・フサイン)という客室乗務員と出会い恋に落ちる。彼女との結婚も考えるが、あるとき彼女が別の男性と情事に耽っているところを目撃してしまう。失恋したバッジューは落ち込んでしまう。

 シカルは、アバイが伝説的なバイクレーサーだったことを知り、彼のことを調べ始める。その中で、ラージラクシュミーとの熱愛についても知る。アバイは彼女の父親(ムラリー・シャルマー)から結婚を反対されていたが、ラージラクシュミーをデートに連れ出すのを止めなかった。ある日、ラージラクシュミーを乗せてバイクで走っているときに交通事故に遭い、彼女は死んでしまう。それ以来、アバイは彼女を失ったショックと自責の念に苛まれて生きてきたのだった。

 それを知ったラードリーはムンバイーに戻り、離婚を延期して、アバイと一緒に再び暮らし始める。そして、ラージラクシュミーの両親に会いに行く。ラージラクシュミーの両親は、彼女がアバイの妻だと知って驚く。アバイが今でもラージラクシュミーを想っていると知り、アバイを家に呼ぶ。トラウマから抜け出ることができたアバイは初めてラードリーと肌を重ねる。

 バッジューの機転のお陰でシカルは再びバイクレースに出られるようになる。シカルはアバイをレース観戦に誘う。シカルは優勝し、スポンサーも得る。イクルールは米国に留学しようとしていたが、シカルは彼女に優勝を報告し、告白する。スィラーもやっと二人の仲を認める。

 バッジューは通勤電車の中で出会ったデーヴィー(プリヤー・プラカーシュ・ヴァリヤル)と結婚する。

 お世辞にもまとまった映画ではない。多くのキャラが登場するが、ほとんどのエピソードが希薄で深みがなく、それらが有機的に絡み合っているわけでもない。主要キャラであるラードリー、シカル、バッジューの関係も、一応従兄弟ということだが、それぞれ名字も違って従兄弟らしくもなく、謎である。続編映画なので、彼らのこの奇妙な関係は前作を踏襲しているのかと思ってとりあえず観ていたが、調べてみたら前作とのつながりは全くなく、彼らは本作から登場する。だとすると、この人物描写は非常に不親切だとしかいいようがない。ラードリーはサラセミアという病気を患っているという設定だったが、これも何の伏線にもなっていなかった。終盤になって突然ラードリーの親友らしき女性が登場し、ラードリーは彼女の結婚式に出席する。これもまた唐突だった。とにかくまとまりのない映画だった。

 それでも、たったひとつ、とても優れたエピソードがあった。それがラードリーとアバイの関係である。ラードリーがお見合い結婚したアバイは、死んだ元恋人ラージラクシュミーのことを忘れられずにいた。結婚前にラードリーはそのことを聞かされていたが、彼がそこまでラージラクシュミーのことを想っていたとは想像が付かなかった。しかも、結婚以来、アバイはラードリーを避けており、二人の間に夫婦関係はなかった。ラードリーは、アバイが今でもラージラクシュミーを忘れられていない事実を知った時点で、彼との離婚を決める。

 ところが、ここから物語は意外な方向へ向かう。ラードリーは、アバイの運転するバイクに乗っていたラージラクシュミーが交通事故で死んだことを知る。おそらくラードリーはまだラージラクシュミーが生きており、アバイが彼女と関係を続けていたと考えていたのだろう。だが、不幸な形でラージラクシュミーを失ったことを知り、ラードリーは一転してアバイに同情するようになる。彼女は一旦、アバイとの離婚を延期する。

 そして、驚くべきことに、ラードリーはラージラクシュミーの両親に会いに行く。彼女の両親は、娘の死の原因を作ったアバイを憎んでいた。だが、アバイの妻となったラードリーから、彼が今でもラージラクシュミーのことを忘れられていないと聞き、初めて彼と話す気になって、最終的には彼を許す。これがアバイとラードリーの関係にも改善をもたらし、二人はようやく真の夫婦になる。このエピソードだけは素晴らしく、感動した。むしろ、この二人のエピソードだけに集中した映画にすればよかったのではなかろうか。他のエピソードは取るに足らないものばかりだ。

 若い俳優が多く、演技面ではまだまだ研鑽が必要な者が多かった。一番の大根役者は何を隠そう主演のディヴィヤー・コースラー・クマールである。素直に、若くて才能ある女優を主演に据えておけばよかったと思うのだが、メガホンを他人に押しつけて女優に復帰し主演を演じた。だが、彼女はプロデューサーでもある。夫はプロダクションの社長だ。監督がプロデューサーに演技させるのに苦労したであろうことは想像に難くない。

 シカル役を演じたミーザーン・ジャーファリーは、コメディアン俳優ジャーヴェード・ジャーファリーの息子である。「Malaal」(2019年)や「Hungama 2」(2021年)に出演していた。父親とは全く方向性の異なる正統派のヒーロー俳優を目指していそうだ。彼については悪くなかった。アバイ役を演じたヤシュ・ダースグプターはベンガル語映画俳優であり、本作でヒンディー語映画デビューした。個性に乏しい印象を受けた。バッジュー役のパール・V・プリーは新人であり、新人なりの演技をしていた。

 イクルール役を演じたアナスワラー・ラージャンはマラヤーラム語映画女優で、本作がヒンディー語デビュー作となる。女優陣の中ではもっとも良かった。ラージラクシュミー役のバーギヤシュリー・ボールセーについては、出番が少なかったが、十分な印象を残すことができていた。彼女からも将来性を感じた。それ以外の女優については特筆すべきことがない。

 元々音楽会社だったTシリーズ社のプロデュースによる作品だけあって、近年の映画の中では異例といえるほど挿入歌の多い映画だった。また、それぞれいい曲が多かった。シカルとイクルールの恋愛を彩る「Oonchi Oonchi Deewarein」や、終盤のカンフル剤となるダンスナンバー「Suit Patiala」などが名曲である。

 「Yaariyan 2」は、評論家からの酷評を跳ね返して大ヒットになった「Yaariyan」の続編である。前作で監督をしたディヴィヤー・コースラー・クマールが何を思ったか女優に復帰して主演を務めている。良さもある映画だったが、全体的にはまとまりを欠いていた。興行的にも前作のような奇跡を繰り返すことはできなかった。あまり期待せずに観るぐらいがちょうどいい。