Thank You for Coming

4.0
Thank You for Coming
「Thank You for Coming」

 近年、ヒンディー語映画界では生殖回りの攻めた映画が多くなって来ており、大抵のことでは驚かなくなっているが、先日公開された「OMG 2」(2023年)では十代の少年のマスターベーションを扱っており、さすがに驚かされた。そうかと思っていたら、今度は女性のマスターベーションを扱った「セックス・コメディー」と称する映画が公開された。「Thank You for Coming」である。2023年9月15日にトロント国際映画祭でプレミア上映され、インドでは同年10月6日に公開された。題名の「Coming」には「オーガズム」の意味が含まれている。副題には「Rise・Rebel・Repeat」とあるが、これは「RRR」(2022年/邦題:RRR)の「Rise・Roar・Revolt」のパロディーであろう。

 監督はカラン・ブーラーニー。ソーナム・カプール主演「Aisha」(2010年)の助監督を務めたり、アニル・カプール主演のTVドラマ「24」シリーズのシーズン2(2016年)を監督している上に、アニルの娘リヤー・カプールを妻としている。つまり、アニル・カプールの一家と非常に深い関係のある人物だ。長編映画を撮るのは今回が初である。

 主演はブーミ・ペードネーカル。他に、シェヘナーズ・ギル、プラドゥマン・スィン、ナターシャ・ラストーギー、シバーニー・ベーディー、ドリー・スィン、ガウトミク、スシャーント・ディヴギーカル、クシャー・カピラー、サローニー・ダイニー、ドリー・アフルワーリヤーなどが出演している。また、アニル・カプールがエークター・カプールやリヤー・カプールと共にプロデューサーを務めている他、カメオ出演もしている。ちなみに、インドTV界の女王エークター・カプールのカプール家と、アニル・カプールのカプール家は特に親戚関係にはない。

 デリー在住のカニカー・カプール(ブーミ・ペードネーカル)は32歳の誕生日を迎えていた。幸せな結婚生活を夢見て、これまでに数人の男性と付き合って来たが、運命の人とは出会えなかった。また、彼女は彼氏とのセックスでオーガズムを得られていなかった。カニカーの母親ビーナー(ナターシャ・ラストーギー)はシングルマザーで、産婦人科医をしていた。母方の祖母キショーリー(ドリー・アフルワーリヤー)と共に女性三人で住んでいた。

 32歳の誕生日を機に、カニカーは学生時代から好意を寄せられていたジーヴァン(プラドゥマン・スィン)と結婚することを決める。婚約式には、かつて付き合っていたラーフル(スシャーント・ディヴギーカル)、アルジュン(カラン・クンドラー)、シェーカル(アニル・カプール)などがやって来る。すっかり酔っ払ったカニカーは翌朝ホテルのベッドで目を覚ますが、何とも言えない幸福感を感じていた。昨晩、彼女は誰かとセックスをし、遂にオーガズムを得られたのだった。

 当初、カニカーはジーヴァンとセックスをしたと考えた。しかし、ジーヴァンは彼女に押し倒されただけで射精してしまうほど弱かった。すると、誰か別の男性とセックスをしてしまった恐れがあった。親友のパッラヴィー(ドリー・スィン)やティナ(シバーニー・ベーディー)を巻き込んで相手を探し始める。

 次に可能性があったのはシェーカルだった。カニカーはシェーカルに会いに行くが、そこには元彼氏アルジュンを横取りしたルシー(シェヘナーズ・ギル)がいた。どうやら彼でもなさそうだった。今度はラーフルに会いに行く。だが、彼は自分が女性であるとカミングアウトしていた。

 全く心当たりがなかったが、カニカーの学生時代のライバル、ネーハー(クシャー・カピラー)から、婚約式の夜、カニカーの部屋からパッラヴィーの夫カラン(ガウトミク)が出て来たとの証言を得る。カニカーはカランと寝てしまったと考え、ショックを受ける。カニカーは交通事故を起こし、駆けつけたジーヴァンに婚約破棄を申し出る。

 そのとき、ティナの娘ルビヤー(サローニー・ダイニー)から、ボーイフレンドにセックスビデオをSNSに流されたと知らされる。カニカーはルビヤーの相談によく乗っていた。ルビヤーは高校卒業式のスピーチをする予定だったが、一転して謝罪のスピーチをしなくてはならなくなる。

 パッラヴィーにもカランとカニカーがセックスをしたことがばれ、彼女に殴られる。また、ティナからも娘の人生を台無しにしたと責められる。カニカーの人生で最悪の日だった。しかし、ビーナーから助言を受けたことで、婚約式の夜、カニカーは自分でマスターベーションをしてオーガズムを得たことを思い出す。カニカーはルビヤーの通う学校に急ぎ、生徒たちの前で謝罪をしようとしていたルビヤーを止める。ルビヤーも、悪いのは自分ではなく世間だと開き直る。

 パッラヴィーの誤解も解け、カニカーはパッラヴィーやティナと仲直りする。そして彼女は一人でも堂々と生きていくことを決める。

 2010年代から始まった女性中心映画の流れを汲む映画である。主人公が女性であるだけでなく、重要な役割を果たす脇役たちもほぼ女性だ。そして、女性の視点から物語が進む。監督は男性であるが、脚本を書いたのはラーディカー・アーナンドとプラシャーストリー・スィンという2人の女性であるし、プロデューサーも女性が目立つ。家父長主義が色濃く残るインド社会において女性が複雑な人生を歩まざるをえなくなっていることがよく分かる映画だった。

 物語は、姫が王子と出会って幸せな結婚をするお伽話から始まる。主人公のカニカーも、他の少女たちと同じく、そんなお伽話を聞かされて育った。さらに、彼女は産婦人科医のシングルマザーに育てられた子でもあった。シングルマザーの子供に対して世間の風当たりは強く、幼心に彼女はきちんと結婚して普通の家庭を築くことを夢見るようになる。しかしながら、母親は産婦人科医として娘に、赤ちゃんは男女がセックスしてできるとストレートに教えており、その点で進んだ子供でもあった。

 カニカーは2つのことを追い求めていたといえる。それは、共に家族を築ける理想の男性を見つけることと、セックスでオーガズムを得ることだった。

 彼女には16歳のときに彼氏ができた。高校時代の彼女の気持ちをよく言い表したセリフがあった。「サーヴィトリーになると『Bore』、サヴィター・バービーになると『Whore』」、つまり、セックスを断り続けている(=貞女サーヴィトリー)と飽きられるが、セックスをしすぎる(=サヴィター・バービー)と淫女と呼ばれる。祖母からは婚前交渉を戒められていたが、カニカーは彼氏とセックスを始めた。だが、オーガズムを得ることができなかったのである。その彼氏とは18歳のときに別れた。彼氏からはベッドの上で「マグロ」だと陰口を叩かれ、そのあだ名が広まってしまった。

 32歳の誕生日を機にカニカーは幼馴染みのジーヴァンと結婚することにする。見るからに童貞っぽい退屈な男性であったが、家庭用品のビジネスをしており、金はあった。しかも、「自分が好きな男性とするより、自分を好きな男性とした方がオーガズムが得られる」と入れ知恵があり、それを盲信してしまったところもあった。

 そして、ジーヴァンとの婚約式の夜、彼女は突如としてオーガズムに目覚めるのである。問題は、酔っ払いすぎていて、誰としたのか覚えていなかったことだ。

 カニカーは、ジーヴァンとしたのだと言い聞かせ、それを確認しに行くが、彼はやはり童貞で、相手がジーヴァンではなかったことを悟る。その後、候補となる男性たちに会いに行くが、やはり違う。親友パッラヴィーの夫カランの可能性が急浮上し頭を抱えるが、彼も違った。

 カニカーは思い切って母親に、今までオーガズムを経験したことがないと打ち明ける。すると、産婦人科医の母親は、世界の女性の70%が一生に一度もオーガズムを感じたことがなく、世界の男性の90%が女性をオーガズムに導けないというデータを示し、彼女に「Do It Yourself」と助言する。その言葉で、彼女は婚約式の夜、マスターベーションをしてオーガズムを得たことを思い出すのである。

 物語全体からは、女性の幸せに男性は必ずしも必要ないという強烈なメッセージが発せられている。完全なフェミニズム映画である。男尊女卑社会が女性に押しつける型を否定し、女性が女性らしく生きることを尊重して、その延長線上で女性のマスターベーションを肯定している。さらにいえば、多くの女性がオーガズムを感じられない原因も男性にあると糾弾されている。

 その副産物として2つのテーマにも触れられていた。ひとつはLGBTQだ。カニカーが過去に付き合ったラーフルは性の不一致に悩んでおり、彼女との再会を機に、本当の自分をさらけ出す勇気を持つ。もうひとつはセックスをした女性に罪を負わせる社会である。カニカーが相談に乗っていた高校生のラビヤーは、ボーイフレンドとセックスをするものの、それを盗撮されており、SNSに流されてしまった。それを知った学校は彼女に謝罪をさせようとした。だが、カニカーは、ラビヤーは悪くないと言う。悪いのは、盗撮し、SNSにアップロードし、そしてそれを広めた世間だ。かつてカニカーは、「男女がセックスをすることで子供ができる」という事実を口にしたがためにみんなの前で謝罪させられたことがあった。その苦い経験があったため、ラビヤーに同じ思いをさせたくなかった。彼女はラビヤーの謝罪を止め、堂々と生きることを教える。

 ヒンディー語映画界の中で際どいテーマに挑み続けている男優といえばアーユシュマーン・クラーナーが思い浮かぶが、女性では誰かといえばブーミ・ペードネーカルをおいて他にいない。マスターベーションやオーガズムといった、従来のインド映画界ではタブーとされてきた事柄を堂々と表現していた。

 男優陣には、アニル・カプールを除けば、有名なスター俳優はいない。やはりテーマがテーマなだけに、ある程度名のある男優には出演しにくい映画であるし、しかも主人公が一人で生きることを決めるというエンディングである都合上、どの役を演じてもブーミの引き立て役になってしまう。

 「Thank You for Coming」は、ヒンディー語映画の新たな地平を切り拓くフェミニズム映画である。女性のオーガズムやマスターベーションといった、一昔前のインド映画では考えられなかった事柄が堂々と議論されており隔世の感がある。フェミニズムやマスキュリズムを笑い飛ばした米映画「バービー」(2023年)がある今、このようなテーマは世界的には若干古くなってしまった感もあるが、インドではまだまだ新鮮だ。ただし、万人向けの映画ではないことは確かで、興行的には振るわなかったようだ。それでも、ヒンディー語映画の今を知るためには格好の作品である。