複合動詞の倒置

 ヒンディー語の文法で厄介な事項のひとつが複合動詞だ。動詞の語幹に別の動詞が結合し、意味に広がりや深みを出す。実際の会話の中で動詞が使われる際、単独での使用よりも複合動詞での使用が多いくらいで、ヒンディー語の文を理解する上で非常に重要である。

 例えばシンプルに「来た」という意味の文「आयाアーヤー」があるとする。動詞一語のみの短い文だ。「आयाアーヤー」は「来る」という意味の動詞「आनाアーナー」の男性単数完了形である。繰り返しになるが、この文は単に「来た」という事実を表すのみだ。これを複合動詞にすると「आ गयाアー ガヤー」になる。動詞「आनाアーナー」の語幹「アー」に、「行く」という意味の動詞「जानाジャーナー」の男性単数完了形「गयाガヤー」がくっ付いている。こうなると、この文の意味には感情が込められ、そのニュアンスは無限に広がる。文脈に依るが、「来てしまった」という意味にもなることもあれば、「やっと来てくれた」という意味になることもある。これが複合動詞である。

 複合動詞は2つの動詞が合わさるが、意味の部分を担うのは前の動詞の語幹であり、後の動詞は元々の意味を失う。上の「आ गयाアー ガヤー」でも、後の動詞「गयाガヤー」が持つはずの「行った」という意味は消える。「आ गयाアー ガヤー」を命令形にすると「आ जाアー ジャー」になるが、複合動詞を理解しない人が聞いたら、来たらいいのか行ったらいいのか分からなくなってしまうだろう。

 複合動詞の説明はこれくらいにして、ここではもっと高度な議論をしてみたい。トピックは、「果たして複合動詞は倒置できるのか」ということだ。上の例でいえば、「आ गयाアー ガヤー」を倒置して「गया आガヤー アー」と言ってもいいのか、ということだ。

 まともなヒンディー語の教師ならば、複合動詞は倒置できないと即座に答えるだろう。ヒンディー語は比較的自由に語順を入れ替えることのできる言語ではあるが、複合動詞だけは順番が決まっており、それを入れ替えると文の意味がグチャグチャになってしまう。自分自身も同じ質問をされたら、できないと答える。

 それではこれで議論が終わってしまうのだが、多くのヒンディー語映画音楽を聴いてきた中で、今のところ一例だけ、複合動詞の倒置が観察されるものがある。それをここで挙げておきたい。それは「Mela」(2000年)という映画の「Chori Chori Gori Se」という曲だ。

 この曲の歌詞にはこんな一節がある。

Chori Chori Hum Gori Se

आनेवाली कब आएगी कोई दे बताアーネーワーリー カブ アーエーギー コーイー デー バター
ढूँढ़ रहे हैं जाने कब से हम उसका पताドゥーンル ラヘー ハェン ジャーネー カブ セ ハム ウスカ パター

来る人はいつ来るのか誰か教えてくれ
彼女の住所をいつから探しているだろう

 問題となるのは一行目の最後、「दे बताデー バター」の部分だ。本来ならば「बता देバター デー」になるはずだ。「教える」という意味の動詞「बतानाバターナー」の語幹「बताバター」に、「与える」という意味の動詞「देनाデーナー」の命令形「देデー」が付いている。それがひっくり返されているのである。標準文法では有り得ない倒置である。

 他にも複合動詞の倒置の例が見つかったらここで挙げていき、検証材料としたい。