Mrs. Chatterjee vs Norway

3.5
Mrs. Chatterjee vs Norway
「Mrs. Chatterjee vs Norway」

 2023年3月17日公開の「Mrs. Chatterjee vs Norway」は、「チャタルジー夫人対ノルウェー」という大それた題名の映画である。題名から察するに、ベンガル人らしき一人の女性が北欧のノルウェーを相手取って戦うという構図の映画であるらしい。しかも実話に基づいているという。非常に興味を引かれる映画であった。

 この映画は、サーガリカー・チャクラボルティー著の自伝「The Journey of A Mother」(2022年)を原作にしている。サーガリカーは地球物理学者アヌループ・バッターチャーリヤと結婚し、2007年にノルウェーに移住した。翌年彼女はアビギャーンを産み、2011年には第二子となるアイシュワリヤーを産んだ。ところがこのとき、ノルウェー児童福祉サービスがアビギャーンとアイシュワリヤーを両親から引き離し、児童養護施設に入れてしまった。理由は、サーガリカーとアヌループの子育てが「不適切」だったからだった。

 ノルウェー当局が何をもって彼らの子育てを「不適切」としたのか。その大半は文化の違いから来るものであった。子供に体罰をしていたという点もあったのだが、それ以外に理由として挙げられていたのは、子供と一緒に寝ていること、手で子供に食事を与えていることなどであった。しかも、子供を取り上げられて取り乱したサーガリカーについて「精神的に不安定」というレッテルまで貼り、子供たちを両親から引き離したことを正当化したのである。

 サーガリカーは子供を取り戻すためにノルウェー当局と戦うことを決意した。彼女の奮闘はやがてノルウェーとインドの間で外交問題にまで発展した。結局、両国の話し合いの中で、アビギャーンとアイシュワリヤーは、インドに住むサーガリカーの叔父と祖父の家に預けられることになった。だが、彼らは子供たちをサーガリカーの元に戻そうとしなかったため、法廷闘争はインドでも行われることになった。最終的にサーガリカーは二人の子供の親権を勝ち取り、子供たちと再び共に暮らすことができるようになった。

 「Mrs. Chatterjee vs Norway」はその一連の経緯をかなり忠実に映画化した作品になっている。

 プロデューサーは「Kal Ho Naa Ho」(2003年)のニキル・アードヴァーニー。監督は「Mere Dad Ki Maruti」(2013年)のアシーマー・チッバル。主演はラーニー・ムカルジー。他に、ジム・サルブ、アニルバン・バッターチャーリヤ、ニーナー・グプター、バルン・チャンダー、バーラージー・ガウリー、ボーディサットワ・マジュムダール、ミートゥー・チャクラボルティー、ソウミヤ・ムカルジーなどが出演している。基本的にベンガル人家庭に起こった出来事であり、ラーニーを含めベンガル人俳優が多数を占めている。

 デービカー・チャタルジー(ラーニー・ムカルジー)は、石油会社に勤めるアニルッダ(アニルバン・バッターチャーリヤ)、5歳の息子シュバと5ヶ月の娘シュチと共にノルウェーのスタヴァンゲルに住んでいた。デービカーの家には、ノルウェー児童福祉サービスの監査員2名が頻繁に訪れ彼女たちの子育てを観察していたが、ある日シュバとシュチを連れ去ってしまう。デービカーとアニルッダは、「子育てが不適切」だとして子供たちが児童養護施設に入れられてしまったことを知る。

 デービカーはシュバとシュチを取り戻すためにあらゆる手段を尽くそうとする。インド系ノルウェー人ダニエル・スィン(ジム・サルブ)が国選弁護人に選ばれる。だが、市民権が欲しかったアニルッダはノルウェー当局と事を荒立てるのをためらっていた。夫に頼れなくなったデービカーはシュバとシュチを施設から連れ出し、スウェーデンに逃げようとするが、国境で捕まってしまう。おかげで子供たちを巡る裁判はデービカーに不利になり、彼女の訴えは却下されてしまう。

 デービカーは、当時たまたまノルウェーを訪問していたインド外務大臣のヴァスダー・カマート(ニーナー・グプター)に助けを求める。カマート大臣はデービカーの問題をノルウェーとの外交問題にし、人々の間にもノルウェー政府に対する反対運動が起きる。そこでノルウェー当局も態度を軟化させ、妥協策を提案する。それは、シュバとシュチをアニルッダの弟アヌラーグ(ソウミヤ・ムカルジー)の養子にするというものだった。デービカーはアニルッダに説得され、それを承諾する。デービカーは国外退去処分となり、故郷である西ベンガル州バルドマーンに戻る。

 シュバとシュチもインドに送還され、これでようやく子供に会えると安心したデービカーだったが、アヌラーグはノルウェー当局と密約を交わしており、子供たちをデービカーに会わせようとしなかった。デービカーはインドでも訴訟を起こし、子供たちを取り戻そうとする。ところがノルウェー当局はダニエルを弁護士としてインドに送り込んできた。デービカーの弁護人になったのはスナイナー・プラタープ(バーラージー・ガウリー)だった。

 ダニエルは、デービカーが無職であること、また、アニルッダの証言によって彼女が精神的に不安定であることを主張し、シュバとシュチをノルウェーに連れ戻そうとする。だが、スナイナーはダニエルに、デービカーほどシュバとシュチを愛せる人はいないということを同意させ、裁判長アビジート・ダッター(バルン・チャンダー)の同情を勝ち取る。こうしてシュバとシュチは2年振りにデービカーの元に戻された。

 冒頭からこれが実話に基づいた映画であることが強調されているのだが、本当にこんなことがあるのか俄には信じ難い気持ちで映画を見始めることになる。槍玉に挙げられているのはノルウェーの児童福祉政策だ。ノルウェーといえば物価は高いが福祉厚生の手厚い国として知られ、日本でも優等生国家として取り上げられることがほとんどで、その闇の部分に触れられることはほとんどない。だが、映画はいきなりノルウェー人女性2人組にインド人の子供が連れ去られるショッキングなシーンから始まるのである。

 調べてみると、どうもこの話は全く荒唐無稽のものではないようだ。ノルウェー児童福祉サービス、通称「Barnevernet(児童保護)」は、児童優先をモットーにしており、子供を両親から取り上げるかなり強力な権限を与えられている。そのため、両親に少しでも不適合な点があると、容赦なく子供が引き離されてしまい、18歳になるまで一緒に住めなくなる。この行き過ぎた児童保護政策によって子供を失った親がノルウェーには多くいるとのことである。ちなみにこの「Barnevernet」は映画の中では「Velfred」となっていた。

 また、この映画の主人公であるデービカーはインド人であり、ノルウェー人やヨーロッパ人とは文化を異にしていた。その点もこの映画の争点になっていた。インドでは当たり前の文化がノルウェーでは虐待に認定されてしまったのである。例えばインドでは手で食事をするのがマナーであり、子供にも当然のことながら手で食べさせる。それがノルウェー人の目から虐待に映ったのである。また、インドでは邪視除けのために子供の顔に黒い点を付ける習慣がある。これもノルウェー人は子供の人権の侵害のように受け止めていた。

 さらに、どうも父親が家事をしないこともマイナス評点だったようだ。チャタルジー家では、夫のアニルッダが外で働いて稼いでおり、妻のデービカーは専業主婦だった。インドではごく普通の家族形態であるが、ノルウェーでは子育ての環境としてふさわしくないとされるようであった。

 しかももうひとつ大きな問題が指摘されていた。それは、移民の子供を児童保護の名目で公的に誘拐して里親に売り飛ばす不正が行われている可能性である。この点についてはあくまで噂としての言及であり、真っ向からノルウェー当局を糾弾していたわけではないが、本当だとしたら深刻な問題である。

 映画の中ではニーナー・グプターがヴァスダー・カマートという名の女性外務大臣を演じていた。これは、インド共産党マルクス主義派(CPM)の政治家ブリンダー・カラートとインド人民党(BJP)のスシュマー・スワラージを合わせたキャラのようだ。ただ、サーガリカーのケースがインドの国会で話題になったとき、BJPは与党ではなく、スワラージは外務大臣でもなかった。彼女は野党リーダーとしてこの問題を取り上げ、政府の介入を求めたのである。カラートも所属する政党こそ異なったが、スワラージのその動きを支援したようだ。

 ストーリーがかなりセンセーショナルで、それだけで観ていられる映画だったが、やはり主人公デービカーを演じたラーニー・ムカルジーの演技が映画の完成度を高めていた。髪の毛を振り乱し、化粧もろくにせず、かつてのヒロイン女優とは思えないほど体当たりの演技であったが、子供と引き裂かれた母親の苦境と、何としてでも取り戻すという強い決意が全身から放たれた名演技であった。

 映画の撮影はさすがにノルウェーではなくエストニアで行われたようである。映画公開時、在印ノルウェー大使はこの映画に対して「事実をねじ曲げている」と批判の声明を発表したが、ラーニーは「この映画は母親の子供に対する愛情のストーリーであり、特定の国を悪く描いたものではない」と反論している。

 「Mrs. Chatterjee vs Norway」は、ノルウェーで子供と引き裂かれた母親を主人公にすることで、ノルウェーの過激な児童保護政策を批判する内容の映画である。かなり珍しいテーマのインド映画だといえる。主演ラーニー・ムカルジーの演技もさることながら、実話に基づいたショッキングなストーリーに釘付けになること間違いなしの佳作だ。