「汎インド映画」への道④

 テルグ語映画界の人気監督SSラージャマウリによる二部作「Baahubali: The Beginning」(2015年/邦題:バーフバリ 伝説誕生)と「Baahubali 2: The Conclusion」(2017年/邦題:バーフバリ 王の凱旋)の成功により、南インド映画界では「汎インド映画(Pan-Indian Film)」がトレンドとなった。

 従来、インド映画界は言語ごとに分断されており、タミル語映画はタミル語話者のため、テルグ語映画はテルグ語話者のため、という具合に、特定の観客に向けた映画作りが普通だった。ヒンディー語については、連邦公用語ということもあり、インドでもっとも多くの話者人口を抱える強みがあったため、ヒンディー語映画は、ヒンディー語母語話者を中心に、インド全土の観客に向けたユニバーサルな映画作りをしていた一方で、南インド市場向けに吹替版を作ることまではほとんどしていなかった。ユニバーサルなヒンディー語映画に対し、南インド4言語を含むその他の言語の映画は「地域映画(Regional Film)」と呼ばれ、辺縁扱いされていた。

 最近は南インド映画の成功を見てヒンディー語映画界も「汎インド映画」を意識した映画作りをしているのだが、今回は南インド映画の話である。

 南インド映画界では、パイの小ささを補うため、早くから多言語同時制作や相互吹替が盛んに行われていた。タミル語とテルグ語の同時製作や、タミル語映画のテルグ語吹替版製作といった具体だ。ただ、特に男性スターは、地元ファンからは熱烈な支持を受けるものの、なかなか言語の壁を越えて人気を獲得することができなかった。そのため、南インドのヒット映画をヒンディー語圏にぶつけようと思った場合、ヒンディー語映画界のスターを起用してリメイクをするのが普通だった。

 この均衡は、北と南の双方にとって都合が良かった。ヒンディー語映画界のスターにとっては、南インド映画界のスターが北インドに進出してお株を奪うのを抑えられるし、南インド映画界のスターにとっては、下手に北インドに進出して失敗し、スターのステータスに傷が付くのを避けられた。

 だが、「Baahubali」がヒンディー語圏を含むインド全土で大ヒットしてしまったことで、この均衡は破られた。「Baahubali」の主演プラバースは、過去にヒンディー語映画「Action Jackson」(2014年)にカメオ出演して感触を確かめてみたものの、大して話題にならなかった。だが、「Baahubali」によって彼の名前はヒンディー語圏でも轟きわたり、一気に「汎インドスター」にのし上がったのである。

 また、特定の市場のみに特化した映画作りをしている間は収入が限られていたため、南インド映画界は、ヒンディー語映画のような大予算型の映画が作りにくかった。その点でもヒンディー語映画は優位に立っていたのだが、テルグ語映画としては異例となる大規模な予算を掛けて作られた「Baahubali」の大ヒットは、北インドの市場を切り拓くと同時に、南インド映画界に大予算型映画製作の気運を生んだ。

 その結果、南インド映画から、全国的にヒットする作品が相次ぐようになり、それらは「汎インド映画」と呼ばれるようになった。「Pushpa: The Rise」(2021年/邦題:プシュパ 覚醒)、「RRR」(2022年/邦題:RRR)、「K.G.F: Chapter 2」(2022年/邦題:K.G.F: Chapter 2)などがその代表例だ。ヒンディー語映画が不調なため、それらの成功はさらに際立った。

 好調が伝えられる南インド映画ではあるが、実態はそう明るくもない。「汎インド」的ヒットを狙って作られた映画が軒並み大ヒットしているわけではなく、その成功率は4分の1ほどである。大予算型映画の失敗は損失も大きくなり、産業全体にマイナスになる。

 2022年9月11日付けタイムズ・オブ・インディア紙掲載の特集記事「What’s behind South Indian cinema’s new pan-India appeal?(南インド映画の新しい汎インドのアピールの裏には何がある?)」では、南インド4言語の映画産業における、映画製作費とスターのギャラについての違いが分析されていた。

 その記事によると、一口に「南インド映画」といっても、各産業で構造がかなり異なるようである。例えば、テルグ語映画界では、スターの報酬と映画製作費は50:50の割合になっている。つまり、全体の予算が20億ルピーの場合、スターの報酬は10億ルピーで、残りの10億ルピーで映画が作られることになる。これがタミル語映画では、スターの権限がもっと強く、全体の予算の60-75%がスターの懐に収まることになる。つまり、全予算20億ルピーの内、15億ルピーがスターに支払われ、残りの5億ルピーで映画が作られる。

 これが本当だとすると、「予算○億ルピー」と公表されても、実質的な映画製作に費やされる額は、テルグ語映画界とタミル語映画界ではかなり異なることになる。

 また、前金の割合にも違いがある。テルグ語映画界では、スターの出演が決まった際、前金として支払われるのは10-20%である。一方、タミル語映画界では、スターへの前金は50%に及ぶ。上の例でいけば、テルグ語映画界でスター出演の映画を作ろうと思った場合、スターへの前金として1~2億ルピーが必要となり、残りは映画公開時に支払われる。一方、タミル語映画界では、スターと契約をした際にまず7.5億ルピーを支払わなければならない。

 これらの産業構造の違いから、テルグ語映画界の方が映画そのものに掛けられる実質的な金額が多くなり、リスクも少なくなる。近年のテルグ語映画界の隆盛は、スターよりも映画製作を重視したこの構造が原因なのかもしれない。

 しかしながら、現在、テルグ語映画界も揺れているようだ。テルグ語映画プロデューサーの組合であるアクティブ・テルグ映画プロデューサー組合(ATFPG)は2022年7月26日付けで以下のようなプレスリリースを出した。

 コロナ禍以降、歳入状況が変化し、コストが増大したことを受け、よりよいエコシステムを作り上げるための議論を重ねるべく、8月1日から映画の撮影を停止するとしている。

 具体的なことには触れられていないが、「歳入状況の変化」とは、おそらくOTTが関連していると思われる。コロナ禍においてAmazon Prime VideoやNetflixといったOTTプラットフォームが急速に普及し、映画館で映画を観るという習慣が失われつつある。ヒンディー語映画界もこの変化に悩んでいるが、好調が伝えられるテルグ語映画界でも状況は変わらないようだ。

 さらに注目されるのは「コスト増」である。これはどうやら、テルグ語映画界のスターたちが、テルグ語映画の「汎インド」的および世界的な成功を受けて、ギャラの増加を求めるようになったことを指すようだ。タミル語映画界との構造の違いを上で論じたが、予想されるのは、テルグ語映画界のスターたちが、タミル語映画界的な待遇を求め始めていることである。

 よって、今回の映画撮影停止は、OTTプラットフォームとの交渉と同時に、報酬の上昇を求めるスターたちにお灸を据える目的もあるのではないかと思われる。

 この交渉とせめぎ合いがどういう結果をもたらすかは現時点では不明だが、もしテルグ語映画界のスターたちがより多くの報酬を得るようになれば、相対的に映画製作そのものに掛けられる予算は減り、映画の質の低下は免れない。テルグ語映画界において「Baahubali」のような映画は二度と生まれなくなるかもしれない。

 かつて「地域映画」と呼ばれ、辺縁扱いされていた南インド映画は、昨今の成功により、「汎インド映画」を目指すようになった。ところが、それはいい面ばかりではなく、負の面ももたらしつつある。引き続き注目していきたい。

「汎インド映画」への道⑤