Zwigato

3.5
Zwigato
「Zwigato」

 ナンディター・ダースは「Fire」(1996年)や「Bawandar」(2000年)などで知られる女優で、インド映画界を代表する名優でもあるが、「Firaaq」(2008年)で監督デビューし、その10年後には「Manto」(2018年)を作った。監督としては寡作であるが、両作品によって監督としても高い評価を受けている。ただ、彼女の監督作を見ると、毎回かなり毛色の異なった映画を作っており、監督としての彼女の軸を見つけるのはまだ難しい。「Firaaq」は2002年のグジャラート暴動を扱った映画であるし、「Manto」はウルドゥー語作家サアーダト・ハサン・マントーの伝記映画である。

 2022年9月9日にトロント国際映画祭でプレミア上映され、インドでは2023年3月17日に一般公開された「Zwigato」は、ダース監督の長編第3作となる。今回彼女が選んだ主題は、近年のインドの都市生活で大きなプレゼンスを誇るようになった配達代行サービスである。日本でいえば「ウーバーイーツ」や「出前館」などにあたる。インドでしのぎを削っているのは「Zomato」と「Swiggy」の2社である。映画の題名も、なんとなくこの2社の社名を合体させたかのように見える。

 主演は、人気コメディー番組「The Kapil Sharma Show」(2016-23年)などで知られるコメディアン、カピル・シャルマー。彼は「Kis Kisko Pyaar Karoon」(2015年)など、過去にいくつかの映画にも出演している。また、シャハーナー・ゴースワーミーも主演扱いだ。他には、グル・パナーグ、サヤーニー・グプター、スワーナンド・キルキレーが特別出演している。

 また、この映画の撮影時はまだ新型コロナウイルスのパンデミック下にあり、映画の中でもマスクの着用について言及があって、コロナ禍中の物語だといえる。日本では配達代行サービスはコロナ禍に急成長したが、ZomatoやSwiggyはコロナ禍前からインド社会に根付いていた。

 映画の舞台はオリシャー州の州都ブバネーシュワルである。オリシャー州が舞台のヒンディー語映画は珍しい。ダース監督はムンバイー生まれではあるが、彼女の家族はオリヤー系である。

 オリシャー州ブバネーシュワル。工場管理の仕事をクビになり、配達代行サービス「Zwigato」のデリバリーボーイとして働き出したマーナス・スィン・メヘトー(カピル・シャルマー)は、レーティングとインセンティブのシステムによって馬車馬のように働かされることに徐々にいらだちを感じ始めていた。だが、妻のプラティマー(シャハーナー・ゴースワーミー)、老いて病弱な母親、そして2人の子供たちを養っていくため、Zwigatoを続けるしかなかった。

 プラティマーは家計を助けるために外で仕事を探すが、マーナスは彼女が働くのには反対だった。プラティマーは未経験ながらマッサージの仕事を試した後、モールの清掃員の夜勤仕事を始める。一方、マーナスは客とケンカし虚偽の苦情を受けたことでIDを停止される。怒ったマーナスは会社に出向き事情を説明するが、まともに取り合ってくれない。マーナスはZwigatoの仕事を投げ出す。妻が働き出したことを知ったマーナスはモールまで彼女を迎えに行く。その帰り、二人はバイクで列車と競争し、束の間の自由を感じる。

 この映画を理解する上でまずポイントになるのは、主人公のマーナスがデリバリーボーイになる前はある程度いい仕事に就いていたことである。工場の管理者ということで、中間管理職にあたり、200人の労働者を管理していたという。それから察するに、マーナスには一定の学歴があり、給料も悪くなかったはずである。2人の子供を英語ミディアム校に通わせていることからも、以前の彼の経済レベルが推し量れる。なぜ彼がクビになったのかは語られていなかったが、おそらくコロナ禍による工場閉業などが原因なのだろう。

 日本でもそう変わらないと思われるが、配達代行サービスのデリバリーボーイをしている人々は、社会的に低く見られているようだ。また、ZomatoやSwiggyのような配達代行サービスは失業者の受け皿になっていると見受けられる。マーナスは家族を養うために架空の配達代行サービスZwigatoにデリバリーボーイとして登録し、1回15ルピーの報酬目当てにバイクを走らせる毎日を送り始める。1日あたり8回配達できればラッキーな方らしいので、1日の収入は100ルピー前後ということになる。バイクのガソリン代は1日200ルピーほどのようだ。これでは働けば働くほど赤字になる計算だが、なんとななるのだろうか。たとえガソリン代が経費として別に支給されていたとしても、とてもこの収入では暮らしていけない。さらに、ある程度の学歴と前職での経験があったマーナスにとって、社会的な地位の低いデリバリーボーイの仕事は彼の自尊心も徐々にむしばんでいた。

 「Zwigato」において配達代行サービスは決して肯定的に描かれていなかった。レーティングとインセンティブによってデリバリーボーイたちの労働意欲を無理に喚起し、彼らを限界まで働かせる。アプリは仕事の依頼を知らせるために常にタイミング悪く鳴り響き、しかも依頼を断ると評価は下がっていく。その他にも様々な禁止事項があり、それを破るとペナルティーが付く。「個人事業主」といえば聞こえはいいが、まるでアプリによってマシーンのように働かされているだけだった。しかも会社は一人一人のデリバリーボーイに対して懇切丁寧なサポートやケアをしていなかった。失業者・無収入でいるよりはマシだろうから少々の理不尽には耐えろ、というのが会社の回答であった。

 そのようなことから、「Zwigato」を、インドの街角で目にするデリバリーボーイたちの悲哀や苦難を描いた作品と捉えることも可能だろう。とはいえ、インドでもっとも有名なコメディアンであるカピル・シャルマーが主演を演じているだけあって、その描き方はどちらかといえば軽妙である。TV番組で見せるような鋭い舌鋒は封印しており、淡々と演じているが、それでも彼からはどこか滑稽な哀愁が漂っている。

 劇中には、デリバリーボーイにとっての「あるある」話を集めた風刺劇のように感じられる場面がいくつもある。たとえば、客の家のすぐそばまで行ったのに、誤って反対側の車線へ行ってしまい、客から注文をキャンセルをされてしまうなどだ。インドならではなのは、イスラーム教徒のデリバリーボーイが、デリバリー先として指定されていたヒンドゥー教寺院に入ることができず、ヒンドゥー教徒のマーナスが代わりに配達するという下りだ。一般のイスラーム教徒は寺院に入れないものなのだろうか。

 マーナスがZwigatoをやめるきっかけになった出来事は、客から理不尽な苦情を受けたことだ。客が間違って大量の注文をし、マーナスが届けに行くと必要ないものを持って帰るように言う。マーナスがそれを断ると、客は彼に飲酒運転の濡れ衣を着せる。飲酒運転は重大な契約違反であり、マーナスは一発でID停止になる。会社の窓口に怒鳴り込むが、まともに取り合ってもらえず、とうとうマーナスは切れてしまったというわけだ。

 だが、「Zwigato」が本当に描こうとしていたのは、インド社会に新たに出現した階層社会だと感じた。もちろん、インドにはカーストがあり、貧富の格差があり、そしてミディアムによる分断もあった。だが、配達代行サービスが登場したことで、アプリを料理注文のために使うユーザー、配達依頼を受けるために使うユーザー、そしてデリバリーボーイに料理を提供するユーザーという3つの階層が生まれた。マーナスが料理を届ける先にいる人は大体が英語を流暢に使いこなす教養層・富裕層であった。デリバリーボーイの地位は低く、子供たちも恥ずかしがるくらいだった。さらにデリバリーボーイの下には、デリバリーボーイになりたくてもなれない人々がいた。デリバリーボーイになるためにはバイクが必要であり、バイクが買えない層はデリバリーボーイにもなれなかった。

 監督が女性であることもあって、シャハーナー・ゴースワーミーが演じたプラティマーの視点にも注目してみたくなる。プラティマーは主婦だったが、夫が失業したことで、自分も外に出て働き、少しは家計の足しにしたいと考えていた。だが、インドでは妻が外で働くことに対して夫の理解がすんなり得られる確率は低い。男性の尊厳に関わるからだ。現にマーナスもなかなか首を縦に振らなかった。それでおめおめと引き下がらないところが現代女性らしい。プラティマーは夫の反対を押し切ってモールの清掃員を始める。

 プラティマーは、家事や育児は当然として、年老いてよぼよぼになった義母の面倒も献身的に見ていた。不平不満を漏らすこともなかった。夫との仲も良好で、酒も煙草もしない彼のことを全面的に信頼し、誇りにすら思っていたように見えた。あまりによくできすぎていて、真実味に欠けるところはあった。女性の描写に注力されていた映画とは思えなかった。あくまで主人公はマーナスだ。

 ただ、ひとつだけ気になる描写があった。マーナスがZwigatoからID停止になった後、彼はしばらく妻にそのことを明かさなかった。だが、プラティマーは敏感に夫の変化を感じ取っていた。彼女は夫から悩み事を打ち明けて欲しかったはずだ。だが、ふと彼女が見ると、マーナスは病床の母親に寄りかかっていた。何か悲しいことがあったとき、マーナスが心の拠り所とする相手は、妻ではなく母親だと分かった瞬間だった。これはプラティマーにとって悲しかったに違いない。

 その悲しみがあったからこそ、最後、二人でバイクに乗って列車と競争するシーンは余計に開放感があった。彼らの生活は楽ではなかったが、夫婦仲は良く、お互いに思いやりを持っていた。そして、ちょっとした合間に二人は息抜きをし、発散することができた。それが何らかの問題を解決してくれるわけではないが、これからも何とかやっていけそうな明るい予感を与えてくれる終わり方だった。

 基本的にはヒンディー語の映画だが、オリシャー州を舞台にしていることもあって、オリヤー語のセリフがいくつか出て来る。教養層は英語で会話をする。

 「Zwigato」は、もはやインドの日常生活に欠かせない存在になった配達代行サービスを主題にしながら、インド社会に新たに出現した階層を軽妙に描出した作品である。人気コメディアン、カピル・シャルマーが主演し、あえていつもの切れ味あるトークは封印して、デリバリーボーイを淡々と演じた。分散した映画なので個々でそれらを拾い集めて解釈するしかないが、苦しい中にもホッと一息できる瞬間を切り出すのに成功している。佳作である。