Holy Cow

2.5
Holy Cow
「Holy Cow」

 2022年8月26日公開の「Holy Cow」は、モーディー政権樹立以来、ヒンドゥー教徒が神聖視する牛を巡ってピリピリしている社会を風刺したブラックコメディー映画である。

 監督は「Revolver Rani」(2014年)のサーイー・カビール。挿入歌の作詞作曲はスクウィンダル・スィンとレーヴ・シェールギル。主演はサンジャイ・ミシュラー。他に、ティグマーンシュ・ドゥーリヤー、ムケーシュ・クマール・バット、サーディヤー・スィッディーキーなどが出演している。また、ナワーズッディーン・スィッディーキーが特別出演しているが、これはこの映画のプロデューサーが彼の妻アーリヤー・スィッディーキーであることと関連しているだろう。ちなみにサーディヤー・スィッディーキーとナワーズッディーン・スィッディーキーが無関係のようだ。

 マディヤ・プラデーシュ州ウッジャイン県バダンガルに住むサリーム・アンサーリー(サンジャイ・ミシュラー)は、地元選出のイスラーム教徒政治家シャムスッディーン(ティグマーンシュ・ドゥーリヤー)の権威を傘にして威張り散らしていた。妻のサーフィヤー(サーディヤー・スィッディーキー)と息子のシャールクと共に住んでいた。

 ある日、飼っていた雌牛ルクサーナーが盗まれる。サリームは友人ラームバーブー(ムケーシュ・クマール・バット)と共に探すが見つからない。噂がすぐに町中に広まった。ヒンドゥー教徒過激派が幅を利かされている昨今、イスラーム教徒の家から雌牛が消えるのは大事件になりえた。雌牛が食べられてしまったと早とちりされ、飼い主が殺される恐れもある。

 サリームはシャムスッディーンに助けを求める。シャムスッディーンはサリームに、命の危険があるからすぐにネパール経由でカラーチーへ行き、自爆テロ要員になることを勧める。サリームはいったん考える時間をもらうものの、どうにもルクサーナーが見つからないため、それを了承する。だが、途中で怖くなって逃げ出してしまう。

 サリームは、翌朝パンチャーヤト(村落議会)で牛を見せなければならなかった。そこでラームバーブーと共に他人の家から牛を盗み出す。ただ、ルクサーナーは白色だったが、盗んだ牛は茶色をしていた。サリームは塗料で牛を白く塗ることにする。その牛は途中で逃げ出してしまい、ヤーダヴ(牛飼い)カーストの有力者マートゥー・ヤーダヴ(ヘーメンドラ・ダンドーティヤー)のテリトリーに入り込んでしまう。サリームはヒンドゥー教徒の振りをして牛を連れ戻す。また、万一の場合に備えてサリームはラームバーブーの甥からカッター(国産拳銃)を借りる。

 翌朝、サリームはサーフィヤーとラームバーブーを連れて、パンチャーヤトに牛を見せに行く。だが、牛の品種が異なり、ばれてしまう。そこへマートゥーがやって来て、サリームがヒンドゥー教徒だと嘘を付いたことを責める。サリームはカッターを取り出すが、マートゥーも拳銃を取り出し、サリームからカッターを取り上げる。シャムスッディーンがやって来て仲裁するかに見えたが、シャムスディーンはサリームが自爆テロから逃げたことを根に持っており、彼をテロリストだと暴露する。サリームは拳銃を奪い、自殺する。

 牛はヒンドゥー教徒にとって神聖な動物であり、ヒンドゥー教徒は一般的に牛肉を食べないことはよく知られている。インドの食文化は「何を食べるか」よりもまず先に「何を食べないか」から規定される傾向にあり、食に関する禁忌はヒンドゥー教のみならずインドの各宗教にある。インド社会では伝統的に、各コミュニティーがお互いの禁忌に気遣って共存してきたといえる。たとえば、イスラーム教では牛肉を食べることは禁止されていないが、ムガル朝時代には、人口の圧倒的多数を占めるヒンドゥー教徒の人心を掌握するため、皇帝は領域内で牛屠殺の制限や禁止を命じることが多かった。

 だが、牛の屠殺を巡ってヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の衝突が過去に全くなかったわけではない。ムガル朝時代にも小規模な衝突が確認されている。英領時代には英国人が牛肉を食べる民族だったために、領内で牛の屠殺が合法化され、ヒンドゥー教徒の激しい抵抗を招き、それが暴動に発展することもあった。だが、2014年のモーディー政権樹立以来、牛の保護は過激化し、全く異なるレベルでの暴力事件が頻繁に起きるようになった。モーディー政権下で特徴的なのは、「牛を食べた」などと噂されたイスラーム教徒がヒンドゥー教徒の集団にリンチされて殺害される事件である。暴動というよりもリンチだ。牛の屠殺や移動が法律で制限されたことで、「ガウラクシャク(牛の守護者)」を名乗る自警団が現れ、リンチに加担するようになった。イスラーム教徒にとっては非常に生きにくい時代になっている。

 「Holy Cow」の主人公サリームはイスラーム教徒である。兄貴分のシャムスッディーンが政治家であるために、地元では顔の利く人物だ。彼の家で飼っていた雌牛がある日突然何者かに盗まれたことで、大きなトラブルに直面する。イスラーム教徒の家から雌牛がいなくなったということは、彼らが牛を食べたということを意味するからだ。下手したら彼も群衆にリンチされ殺されてしまうかもしれない。サリームはこの小さな出来事が政治問題化する前に何としてでも牛を見つけ出そうとする。

 一見すると、「Holy Cow」はモーディー政権時代におけるイスラーム教徒の受難を描いた政府批判の映画に見える。だが、基本はブラックコメディーだ。そもそもサリームは小悪党なのでなかなか同情はできない。殺されないように何とか状況を打開しようと彼がもがく過程は、悲哀たっぷり、というよりも、滑稽に描写されている。モーディー政権の過度な牛保護政策を批判するようなトーンは全く感じない。むしろ牛の保護が当然視されているように見えた。

 その一方で、イスラーム教徒の若者たちがパーキスターンのカラーチーに送られ、フィダーイーン(自爆テロリスト)になるべく訓練を受けている姿が描かれる。これはむしろ「イスラーム教徒=テロリスト」という図式を強化してしまっている。

 おそらく、映画全体としては、過度に牛を保護する政策が、何の罪のないイスラーム教徒たちをテロに走らせてしまう恐れがあると注意喚起したいのだろう。だが、テロリストの嫌疑を掛けられたサリームが自殺する最後が唐突な展開すぎて、メッセージ性が曖昧になってしまっていた。

 「Holy Cow」は、牛の保護が過激化し、「牛を食べた」などと噂されたイスラーム教徒が集団リンチに遭って殺されるといった事件が頻発している現代のインド社会を覆っている不寛容な空気感を再現し問題提起しようとした作品に見える。だが、ブラックコメディーや風刺の風味が強く、イスラーム教徒をテロリスト扱いする描写もあって、監督が何を言いたいのかよく分からなくなってしまっている。期待外れの作品だ。