2022年4月7日からNetflixで配信開始された「Dasvi」は、政治ドラマかと思いきや教育の重要性を謳った変化球の作品だ。「Go Goa Gone」(2013年/邦題:インド・オブ・ザ・デッド)や「Hindi Medium」(2017年/邦題:ヒンディー・ミディアム)など、良質な娯楽映画を安定的に送り出してきているディネーシュ・ヴィジャーンのプロデュース作品であり、信頼性がある。題名は「10年生」という意味である。
監督は新人のトゥシャール・ジャローター。主演はアビシェーク・バッチャン、ヤミー・ガウタム、ニムラト・カウル。他に、マヌ・リシ、チッタランジャン・トリパーティーなどが出演している。
舞台は架空のハリト・プラデーシュ州。州首相のガンガー・ラーム・チャウダリー(アビシェーク・バッチャン)は8年生までしか学んでいない低学歴の政治家だった。州首相を務めていた親の七光により州首相に就き好き放題していた。 ガンガーは汚職事件で有罪判決を受け、刑務所に入る。ガンガーの代わりに州首相の座に就いたのは妻のビムラー・デーヴィー(ニムラト・カウル)だった。ビムラーも全く無学の女性であり、誰が見ても傀儡政権であることは明らかだった。ガンガーは、刑務所の警官サトパール(マヌ・リシ)の計らいによりVIP待遇を受け、刑務所の中から電話などを使って政府を容易に動かすことができた。 ところが、刑務所の所長に新しく清廉潔白な女性警官ジョーティ・デースワール(ヤミー・ガウタム)が赴任してくる。元を正せば、ガンガーが少し前に彼女を左遷させたのだった。ジョーティは赴任早々、刑務所の規律を引き締め、ガンガーが享受していたVIP待遇を全て排除した。また、ビムラーも州首相の権力に酔い始め、ガンガーが保釈されないように裏工作をし始める。 どうしても刑務所から出たかったガンガーは、あの手この手を試した後、最終的に、10年生の試験を受けることを決める。受験生には特別待遇が許されていたからである。当初は不純な動機と共に勉強を始めたが、いざ勉強をしてみるとのめり込んでしまう。そして、10年生の試験に落ちたら二度と州首相にはならないと宣言してしまう。ビムラーにとっては渡りに舟だった。 最初はガンガーに厳しく当たっていたジョーティだったが、ガンガーが真剣に勉強する姿を見て次第に応援するようになり、最後には彼女自身が彼にヒンディー語を教えるようになった。ガンガーは保釈が得られたが、それよりも10年生の試験を優先し、受験をする。 保釈されたガンガーはビムラーに会いに行くが、彼女は州首相の座を明け渡そうとしなかった。党の幹部たちも、州首相の肩書きがないガンガーには従わなかった。そこでガンガーは次の選挙にライバル政党から立候補することになる。選挙結果と試験結果は同日に発表されることになった。ガンガーにとっては試験結果の方が重要だったが、何とか合格していた。しかも、選挙の方も彼の勝利だった。ガンガーは州首相にはならず、教育大臣を選んだ。
汚職の罪で州首相が逮捕され、その妻が代わりに州首相に就くという導入部は、ビハール州の名物政治家ラールー・プラサード・ヤーダヴそのものだ。1990年からビハール州の州首相を務めていたラールーは、1997年に飼料汚職事件への関与で逮捕され、州首相を辞任せざるをえなくなる。彼の代わりに、一時的な空白期間はあるものの、2005年まで州首相を務めたのが、妻のラブリー・デーヴィーだった。ラブリーはまともな教育を受けておらず、主婦をしていた人物だった。彼女の州首相就任はインド政治史の最大の汚点とされることも多いが、ラールーは「学のない女性が州首相になることこそ民主主義の素晴らしさだ」と強引に正当化した。
てっきりラールーとラブリーの半生をもとにした風刺映画かと思ったが、物語はすぐに異なった方向へ向かう。主人公ガンガーは8年生までしか教育がなく、日本でいえば中卒であった。そんな彼が、刑務所での懲役を免れ、あわよくば外の空気を吸うために始めたのが、10年生試験の勉強だった。インドでは10年生と12年生の最後に全国一斉の大きな試験がある。10年生試験は日本でいえば高校入試と似た位置にあり、この試験の合格は、高校入学と同じ価値があると考えていいだろう。
最初は不純な動機で試験勉強を始めたガンガーだったが、まずは歴史にはまる。彼は、ラーラー・ラージパト・ラーイ、マハートマー・ガーンディー、スバーシュチャンドラ・ボース、バガト・スィン、チャンドラシェーカル・アーザードなど、植民地時代の英雄たちの偉業を読み、熱中してしまう。数学も最初はチンプンカンプンだったが、選挙に置き換えて考えてみると自然に頭に入ってきた。化学や英語も何とか着実に上達してきた。たまたま刑務所にいた囚人たちに、教えるのがうまい人材が揃っていたのもガンガーにとっては幸運だった。
難関だったのはヒンディー語だった。彼がヒンディー語の文章を読もうとすると、まるでヒンディー語の文字が宙を飛ぶかのような幻覚を見た。彼は、自分は「Taare Zameen Par」(2007年)で取り上げられていた失読症ではないかと自分で考える。実はアビシェーク・バッチャン自身が失読症だったようで、「Taare Zameen Par」の中でも、失読症の有名人として彼の名前が挙がっていた。だが、ガンガーは刑務所長のジョーティの助けを得て、ひとつひとつヒンディー語の文字を覚え、やがてはヒンディー語でエッセイも書けるまでに成長する。
映画の後半はまるで教育映画のようだった。40歳過ぎの政治家が10年生試験の勉強をするという点は特異だが、彼や彼を教える先生たちが創意工夫をして彼に何とか理解させようとする姿は、教育の原点を思わせるものだ。そして、ガンガーは教育の重要性に気付き、教育こそが社会を発展させる唯一の鍵だと考えるようになる。選挙に勝って政権に返り咲いたガンガーは、州首相ではなく教育大臣を選んだのだった。
刑務所に入ったことで勉強に目覚め、教育の重要性に気付いたガンガーとは対照的に、ガンガーの代替として州首相の座に座ったビムラーは、一瞬の内に権力に酔ってしまう。州首相になるまでは単なる主婦だったが、州首相になった途端、自分の像を立てたり秘書をこきつかったりと、傲慢な支配者に早変わりしてしまう。そして、その権力になるべく長くしがみつくために、夫の服役期間を最大限延ばそうと画策するのである。
アビシェーク・バッチャンはコロナ禍が始まって以来、「Ludo」(2020年)、「The Big Bull」(2021年)、「Bob Biswas」(2021年)と立て続けにOTT作品で主演をしており、新しい地平を開拓している。スクリーンの方で需要がなくなったわけではないだろうが、かなり渋い演技のできる俳優に成長したと感じる。「Dasvi」ではハリヤーンヴィー方言のヒンディー語を話すジャート政治家を上手に演じていた。
ヤミー・ガウタムもコロナ禍で「Ginny Weds Sunny」(2020年)、「Bhoot Police」(2021年)、「A Thursday」(2022年)とOTT映画の出演作が続いており、いい女優になってきている。今回は清廉潔白で毅然とした女性警官を絶妙に演じていた。ニムラト・カウルは「The Lunchbox」(2013年/めぐり逢わせのお弁当)で一躍注目を集めた女優で、シリアスな演技をするイメージが強いが、逆に彼女は今回、コミックロールとも取れるようなぶっ飛んだ役を演じており、異なる魅力をアピールすることができていた。
「Dasvi」は、かなり意外な方向から教育の重要性を訴える内容の映画に仕上げられていた。ディネーシュ・ヴィジャーンは「Hindi Medium」や「Angrezi Medium」(2020年)など、教育を映画の主題にすることが多いが、この「Dasvi」もそのシリーズに含められる。ものすごく深みのある映画ではないが、ストーリーテーリングがうまく、構成がよくまとまっていて、クルーとキャストから期待した通りの楽しみが得られる映画だった。