インドの娯楽映画には一本にあらゆるジャンルが詰め込まれているとされるが、その中でも中心的な要素はロマンスだ。そしてロマンス映画はその性格上、男女の出会いから結婚に至るまでの紆余曲折を追う物語になることが多い。一般にインドの結婚式は長期間にわたって様々な細かい儀式が執り行われる。インド映画を鑑賞する上で、インドの結婚式がどんな手順で進むのか、概略だけでも知っておくことは理解の手助けになる。
インドにおいて婚姻はまず宗教の管轄となり、同じ宗教に属する男女同士の結婚ならば、宗教の決まりに則って結婚式が行われる。そして、結婚式の招待状や寺院の領収書などを役所に証拠として提出することで登録が行われ、新郎新婦は法的にも夫婦となり、結婚証明書を発行してもらえる。一方、異宗教間の婚姻や、何らかの事情があって宗教的な結婚式を執り行えない場合は、裁判所結婚(Court Marriage)という手段を採ることができる。
裁判所結婚の場合、法定年齢を満たしており、身分証明書などの必要書類に加えて3人の証人があれば、裁判所で手続きをすることで容易に婚姻を成立させることができる。駆け落ち結婚の場合など、証人を揃えることができなくても、裁判所の外には有料で証人になってくれる人がたむろしているようなので、問題はない。「Ahista Ahista」(2006年)の主人公は、訳ありカップルの裁判所結婚の証人になって報酬を受け取ることで生計を立てていた。
しかし、ここでは宗教的儀式に則った結婚式を取り上げる。しかも、インドの全人口の8割を占めるヒンドゥー教徒の結婚式である。たとえヒンドゥー教に限定しても、結婚式の細部は地域によって様々だ。ここでは、ヒンディー語映画で一般的に見られる結婚式の形態を中心に解説する。ちなみに、ヒンディー語映画界の本拠地ムンバイーはマラーター文化圏に位置するものの、映画メーカーの中にはパンジャーブ地方出身者が多く、ヒンディー語映画の結婚式はパンジャーブ式であることが常である。
ヒンディー語映画において、パンジャーブ式結婚式の一部始終を追った作品として有名なのは「Hum Aapke Hain Koun..!」(1994年)だ。この映画を中心に、各儀式に関連する動画を拾い出し、インドの結婚式について解説する。
縁談成立
結婚式を行う上で、まずは縁談が成立しなければ話は始まらない。インドでの結婚の形態は、大きくアレンジドマリッジ(Arranged Marriage)とラブマリッジ(Love Marriage)の2種類ある。アレンジドマリッジは、日本でいうお見合い結婚に近いものだが、厳密にいえば、両家の両親が勝手に決める形式の結婚をいう。お見合いするのは結婚する当の本人以外の両家のメンバー同士であり、本人に拒否権はないことの方が多い。だから、アレンジドマリッジをやみくもに「お見合い結婚」と訳すと混乱を招く恐れがある。ただし、最近は、きちんと当事者同士のお見合いをして、本人の同意を取る形式が増えているようだ。それに対しラブマリッジは恋愛結婚である。当事者が自分の好きな相手と結婚する。もちろん、ロマンス映画はラブマリッジの形態を取ることがほとんどだ。
アレンジドマリッジの前提となるのは、同じ宗教、同じカースト同士の結婚である。さらに、同じ言語、文化、出身地を共有することや、社会的・経済的な地位のバランスが取れていることも重視される。それに対しラブ・マリッジは、異なる宗教、異なるカースト、異なる社会階層の者同士の結婚になることが多い。
マッチングのための伝統的な手段は、新聞に掲載される「Matrimonial」のコーナーだ。新郎募集、新婦募集の広告が掲載され、宗教、カースト、出身地などごとに分類され、身長、年齢、肌の色、職業などの情報が簡潔に記載されている。最近ではネットやアプリを使ったマッチングも普及している。
インドでは縁談成立の上で占星術が重要な役割を果たす。インド人は、生まれた年月日と時間を基に作成されたホロスコープを持っている。ヒンディー語では「जन्मपत्री」とか「कुंडली」と呼ばれる。縁談成立前に、新郎新婦のホロスコープが合わせられ、占星術上の相性が確認される。相性が悪いと破談になることもある。特にマーングリクについて念入りに確認される。
インドでは、花嫁の家族が花婿の家族に持参金を支払う習慣になっている。縁談成立前には持参金の交渉も行われる。ここで折り合わずに破談になることもある。持参金の額は年々高騰しており社会問題になっている。
縁談が成立すると、「रोका」という簡単な儀式が行われることもある。「止め」という意味だが、これは、お互いに婚活を止め、人生の伴侶を見つけたということを世に示す狙いがある。
婚約
婚約(Engamement)はヒンディー語で「सगाई」、「मंगनी」、「कुड़माई」などというが、インドでは「婚約式」と称するべき式典を伴う。特にヒンディー語映画では、両家の親戚や友人たちを招待した、結婚式に劣らない盛大なパーティーとして演出されることが多い。
婚約式では、新郎新婦の間で婚約指輪の交換が行われる。また、新郎の家から新婦に対して、花嫁として受け入れる意思を表示するため、宝石などの贈り物が贈られる。これを「शगुन」という。婚約式では結婚式の日取りも決定されるが、その日付は婚約式の数ヶ月後に設定されることがほとんどで、婚約から結婚まではかなりの猶予期間が設けられる。日付は、占星術によって吉日が選ばれる。そして、日取りなどが決定すると、親戚や友人に招待状が配布される。近年は招待状からかなり凝ったものになることがある。
「Hum Aapke Hain Koun..!」の婚約式のシーンは指輪交換から始まり、「Wah Wah Ramji」のダンスシーンへ移行する形になっている。
ティラク
花嫁の家族が花婿の家を訪れ、贈り物を贈ると同時に、花婿の額に「ティラク」と呼ばれる赤い線を引くのが「तिलक」という儀式である。花婿側の家族も花嫁側の家族に返礼を贈る。この儀式も婚約を表しており、婚約式と同時に行われることも多い。「Hum Aapke Hain Koun..!」では、婚約式の後、別日にティラクが行われていた。
サンギート
伝統的には、両家の女性メンバーが集まり、親交を深めるために歌を歌う儀式が「संगीत」である。結婚式の日よりも前に行われる。サンギートで歌われる歌の内容は、これから新婚生活を迎える花嫁に向けた夫婦生活の心得といったものが多かったようで、性教育を含むこともあったようだ。
ただ、近年ではヒンディー語映画でサンギートがダンスシーンとして大々的に演出されるようになり、実際の結婚式でも余興的な性格が強くなっているようだ。「Hum Aapke Hain Koun..!」では、厳密にはサンギートといえないかもしれないが、結婚式の前に両家の男女が歌を歌い合うシーンがある。
「Yeh Jawaani Hai Deewani」(2013年/邦題:若さは向こう見ず)ではサンギートがダンスコンペティションになっていた。「Dilli Wali Girlfriend」のシーンである。
ピーティー
結婚式直前になると、まず行われるのは「पीठी」である。「हल्दी」とも呼ばれる。それぞれの家で新郎新婦の身体に黄色いペーストが塗られる。これは、ターメリック、ヨーグルト、白檀、グラム粉などが混ぜ合わされたものである。このペーストは、肌を浄化し、若返らせ、美しくする効果があるといわれている。
「Hum Aapke Hain Koun..!」にはピーティーの場面はない。代わりに「Raanjhanaa」の「Ay Sakhi」を挙げておく。このシーンでは新郎新婦のピーティーに加えて、後述するメヘンディーのシーンもある。
メヘンディー
インドの女性たちは祭事に手などに「メヘンディー」と呼ばれる装飾を施す。ヘンナという樹木の葉を乾燥させ、水を加えてこねてペースト状にしたものを手などに塗って乾燥させ、一定時間後に剥がすと、肌が赤く変色している。これを使って装飾文様が描かれる。メヘンディーには豊穣と魔除けの効果があるとされる。この模様は1~2週間で自然に消える。
ピーティーの後には、花嫁の手足にメヘンディーを施す儀式が行われる。この儀式も「メヘンディー」と呼ばれる。結婚式に出席する女性メンバーもこのときメヘンディーを施す。ヘンナのペーストを長く肌に付けておけばおくほどよく発色し、長持ちする。そしてメヘンディーの色が濃く、長く続くほど、婚家で花嫁は愛されると信じられているため、花嫁の手足には特に長時間ヘンナが付けられ、そのデザインも凝ったものになる。最近は、メヘンディーの中に花婿の頭文字を隠すのがトレンドになっている。
近年ではメヘンディーもダンスパーティーと同義のようになっている。しかも女性のみならず、男性も混じって踊る様子がヒンディー語映画ではよく描かれる。
「Hum Aapke Hain Koun..!」では、終盤にメヘンディーのシーンがある。
バーラート
結婚式当日、花婿はパレードを率いて花嫁の家を訪問する。このパレードを「बारात」という。新郎側の参列者のことも「バーラート」と呼ぶ。パレードの際、都会では新郎は白馬にまたがり、田舎では自動車に乗る傾向にある。パレードには金管バンドが同行し、大音量で音楽を鳴らす。DJがスピーカーから音楽を流すこともある。そして、新郎の周りで家族や友人たちが音楽に合わせて踊りながら進む。「Band Baaja Baaraat」(2010年)という映画があったが、この題名は正に、「バンドと音楽とバーラート」であり、このパレードの特徴を3語で言い表している。
バーラートの際、花婿は「सेहरा」と呼ばれる顔隠しをかぶっている。中国の皇帝が付けている冕冠に似ている。
花婿が花嫁の家に到着すると、玄関で花嫁側の家族に花輪などで歓迎される。式場には新郎新婦が座る椅子がセットされており、花婿はそこへ通される。そして、花嫁がやって来るのを待つ。この間、花嫁は念入りにメイクや着付けが行われている。
バーラートが式場に着くことで披露宴が開始される。都市部の結婚式では、参列客にビュッフェ形式で食事が振る舞われる。式場にはダンスフロアが設けられ、DJが音楽をかき鳴らす。最初は小さな子供が踊っているくらいだが、宴が興に乗ってくると大人も踊り始める。
「Hum Aapke Hain Koun..!」では、序盤にバーラートのシーンがある。
花輪交換
式場に花嫁が入場すると、花婿と花嫁の間で花輪の交換が行われる。ヒンディー語では「जयमाला」または「वरमाला」という。花輪の交換は、新郎新婦の間でお互いを生涯の伴侶として認めたことを意味する。
だが、この際にちょっとしたおふざけが行われるのが常だ。花嫁が花婿の首に花輪を掛けようとすると、花婿の友人などが花婿を持ち上げたりして、なかなか花輪が掛けられないようにするのである。だが、適当なところでおふざけも終了となり、めでたく花婿の首に花輪が掛けられる。
「Hum Aapke Hain Koun..!」には、花嫁花婿同士で花輪を掛け合うシーンは用意されていない。「Saathiya」(2002年)の「Mangalayam」がいいだろう。
儀式
結婚式場には「マンダプ」と呼ばれる基壇が築かれ、中心部では火が焚かれる。火のそばにはパンディト(僧侶)が座って控える。このマンダプにて、火の神アグニを証人に、一連の婚姻行事の中でもっとも重要な儀式が行われる。ヒンドゥー教の前身であるバラモン教もしくはヴェーダ教の習慣が色濃く残っている部分でもある。このマンダプにて、パンディトの指示に従って新郎新婦やその家族が火の中に供物を投げ入れたり、マントラ(真言)を読んで誓いを立てたりする。ひとつひとつの儀式に「कन्यादान」、「पाणिग्रहण」、「लाजाहोम」などの名前が付いている。
これらの儀式が、ヒンディー語映画でひとつひとつ詳しく描写されることは稀で、まとめてさらりと描かれることの方が多い。「Hum Aapke Hain Koun..!」では、妄想シーンの中で一瞬だけ儀式が出て来る。
ペーラー
ヒンディー語映画で頻繁に、婚姻の儀式の総決算として象徴的に描写されるのは、花嫁花婿が火の回りを回る「फेरा」である。「परिक्रमा」や「परिदक्षिणा」などとも呼ばれる。回る回数は元々4回ほどだったらしいのだが、ヒンディー語映画が「7回」という数字を広めてしまったようで、世間でも7回回るのが一般化しつつあるようである。新郎新婦が共に7歩歩く「सप्तपदी」という儀式が別にあり、それと混同されたのではないかと推測される。
「Baar Baar Dekho」(2016年)では、ペーラーで新郎新婦が回る7周のそれぞれに以下のような意味があると説明されていた。
- 一生、お互いを尊敬する。
- お互いを支える。
- 宗教を守る。
- 愛情と信頼の力で、幸せで平和な人生を送る。
- 自分のためだけでなく、全世界を良くすることを考える。
- 生活が変化しても一緒に歩む。
- お互いの同意の上で忠実な人生を送る。
新郎新婦が火の回りを7回回りきったところで、婚姻は正式に成立する。逆にいえば、7回回りきる前に何らかの事情で中断したら、その婚姻は未成立扱いとなる。もしそのカップルの結婚を止めたい場合、ペーレーの完了までに何とかしなければならない。
「Hum Aapke Hain Koun..!」ではエンディング直前にペ-ラーのシーンがある。
スィンドゥールダーン
インドでは既婚女性の印がいくつかあるのだが、特徴的なのは「スィンドゥール」だ。額の真ん中の分け目に塗られる赤い粉のことで、辰砂と呼ばれる鉱物を砕いた粉、ターメリック、ライム汁などを混ぜて作られる。インドの既婚女性は常にスィンドゥールを付けている。
ペーラーなどが終わり、婚姻が成立すると、花婿によって初めてスィンドゥールが花嫁の額に塗られる。儀式名としては「सिंदूरदान」となる。
インドの既婚女性はそれ以外にも、既婚の印として、「मंगलसूत्र」と呼ばれるネックレスなど、いくつかの装飾品を身に付ける。スィンドゥールと共にマンガルスートラを装着することも多い。
「Hum Aapke Hain Koun..!」に出て来る結婚式では、花嫁の額にスィンドゥールを付けるシーンは存在しなかった。「Devdas」(2002年)の「Hamesha Tumko Chaha」の中にスィンドゥールを付けるシーンがある。
ジューター・チュパーイー
「Hum Aapke Hain Koun..!」では、結婚式が終わった後に両家の間で興味深い遊びが行われているのを目にする。花嫁の妹が花婿の靴を隠し、靴を返して欲しければお小遣いをよこせと要求するのである。これは思いつきの悪戯でやっているわけではなく、「जूता छुपाई」と呼ばれる、結婚式の儀式のひとつである。特にパンジャーブ地方の結婚式で行われる遊びのようだ。靴を巡って値段交渉が行われ、折り合ったら花婿がその額を支払う。両家の親睦を深める行事の一種だと考えることができるだろう。
インドの結婚式では、このジューター・チュパーイーのように、悪ふざけともいえるような各種の遊びが地方ごとに行われているようである。これも、両家の絆を深めるためのものであろう。
ヴィダーイー
全ての結婚の儀式が終わると、いよいよ花嫁が実家を後にし、婚家に向かう。これを「विदाई」という。花嫁は実家を背にして、両手に満たしたパフライスを後ろに振りかける。米は富の象徴である。そしてインドの花嫁は富の女神ラクシュミーにたとえられる。花嫁が去って行くことで、実家から富がなくならないように、米の形をした富を実家に残して行くという意味がある。そして、伝統的な結婚式では、花嫁は輿に乗って去って行く。これから新婚生活を始める喜びの中に、愛する両親との別れという悲しみも同居する、エモーショナルな場面になることが多い。
「Hum Aapke Hain Koun..!」でもヴィダーイーのシーンがあった。
グリハプラヴェーシュ
実家を後にし、花嫁が初めて婚家に足を踏み入れる儀式を「गृहप्रवेश」という。花嫁は、富の女神ラクシュミーとして女性メンバーに迎えられる。玄関の床には米粒が入った壺が置かれており、花嫁はそれを右足で軽く蹴って米をこぼす。こうすることで婚家に富が舞い込むと考えられている。そして、花嫁は婚家の年長者の足に触れて祝福をもらう。
「Hum Aapke Hain Koun..!」でもグリハプラヴェーシュの場面が描かれていたが、足元はカメラのフレームに入っておらず、上で説明したことは見えない。