ウィリアム・シェークスピア(William Shakespeare)は、言わずと知れた英国の著名な劇作家である。1564年に生まれ、1616年に没したとされている。シェークスピアは、世界文学史に名を残す数々の名戯曲を発表し、俳優として自身もそれを舞台で演じたともされている。シェークスピアの戯曲は世界中で愛好され、古今東西で度々映画化もされてきている。
インドの映画メーカーの中にもシェークスピア愛好家は多い。そもそもインド人の使う英語は、シェークスピア時代の古い英語の特徴を保持しているともいわれている。英国本国では死語になったような単語がインドの英字新聞では今でも使われているのである。インド人の多くは、学校の英語の時間にシェークスピアの作品から英語を学んでいるのではなかろうか。そうなると、インドにシェークスピア愛好家が多いのは納得できるし、特に演劇や映画の分野に興味を持つ人ならなおさらのことだ。もしかしたら人口にすると、世界で一番シェークスピア愛好家の多い国はインドかもしれない。
シェークスピア愛好家が多く、世界一の映画大国であるインドにおいて、シェークスピアの作品を原作とした映画が作られるのは自然なことだ。インド製シェークスピア映画の特徴は、インドの風土に合わせて翻案される例が多いことである。
ヒンディー語映画界においてシェークスピア劇の映画化を熱心にしているのはヴィシャール・バールドワージ監督である。これまでにバールドワージ監督は、「マクベス」から「Maqbool」(2004年)、「オセロ」から「Omkara」(2006年)、そして「ハムレット」から「Haider」(2014年)を作っている。「Maqbool」と「Omkara」は北インドの田舎町を舞台とし、「Haider」はカシュミール地方を舞台にした物語になっていた。どれも興行的に成功している上に、評論家からの評価も高い。
恋愛物語において「ロミオとジュリエット」は父親のような存在だ。ヒンディー語のロマンス映画にも「ロミオとジュリエット」の影響は少なくない。その中でも、「ロミオとジュリエット」を翻案したと公言されている作品は、独特の美的感覚で知られるサンジャイ・リーラー・バンサーリー監督の「Goliyon Ki Raasleela Ram-Leela」(2013年)である。グジャラート州を舞台にした対立する氏族同士の抗争と、その対立の中に芽生えた恋を豪華絢爛に描き出している。
もちろん、「ロミオとジュリエット」的なロマンス映画は他にも数多くある。カマル・ハーサンとラティ・アグニホートリーが共演した「Ek Duuje Ke Liye」(1981年)、アーミル・カーンとジューヒー・チャーウラーの出世作「Qayamat Se Qayamat Tak」(1988年)、アルジュン・カプールとパリニーティ・チョープラーの共演作「Ishaqzaade」(2012年)などが「ロミオとジュリエット」に近い物語といえる。
「The Hungry」(2017年)は、「タイタス・アンドロニカス」を翻案した、現代インドが舞台のヒングリッシュ映画である。「タイタス・アンドロニカス」には舌や手首を切り落とすシーンがあり、シェークスピア劇ではもっとも残酷な作品とされる。「The Hungry」にはそこまで残酷なシーンはないものの、グロテスクなシーンはいくつかある。
「リア王」に関連した映画というと、アミターブ・バッチャン主演のヒングリッシュ映画「The Last Lear」(2008年)が挙げられる。この映画は、「リア王」の直接的な翻案ではないが、「リア王」を演じることを夢見てきた老俳優の物語であり、シェークスピア愛がひしひしと感じられる。
ちなみに、インド映画に付けられている字幕の中に「ロミオとジュリエット」が出て来ることが結構ある。だが、必ずしも元の台詞で「ロミオとジュリエット」に言及されているわけではない。インドには、ロミオとジュリエットに勝るとも劣らない伝説的なカップルの物語がいくつも伝わっており、それらについて映画の中で言及されたり引用されたりすることが度々ある。日本の「織り姫と彦星」みたいなものだ。字幕では、それらのカップルが十把一絡げにされて、「ロミオとジュリエット」になってしまっていることがあるので、要注意である。