
2021年12月31日からZee5で配信開始された犯罪サスペンス映画「Murder at Teesri Manzil 302(3階302号室の殺人)」は、2020年に死去した名優イルファーン・カーンの遺作の一本である。ただし、この映画は2009年に完成していたもののお蔵入りしていた。よって、この映画に登場するイルファーンや他の俳優たちはかなり若い。また、お蔵入りしていたのは興行的な成功が見込めなかったからだと容易に想像され、実際に観てみたところその予想は外れていなかった。そういう事情を理解して観るべき作品である。
監督はナヴニート・BAJ・サイニー。昔も今も無名の映画監督だ。音楽はサージド=ワージド。キャストは、イルファーン・カーン、ランヴィール・シャウリー、ディーパル・シャー、ラッキー・アリー、ナウシーン・アリー・サルダールなどである。
バンコク在住のインド人実業家アビシェーク・ディーワーン(ランヴィール・シャウリー)の妻マーヤー・ディーワーン(ディーパル・シャー)が誘拐された。誘拐犯から電話が掛かってきて、身代金50万ドルを要求してきた。テージェーンドラ・スィン警部補(ラッキー・アリー)が捜査を担当することになる。
ところが、これはマーヤーによる狂言誘拐だった。バンコクで便利屋をするシェーカル・シャルマー(イルファーン・カーン)は、夫との生活に嫌気が指したマーヤーに誘拐を頼まれ、彼女に導かれるままにアパート302号室へ行って、アビシェークに電話を掛けたのだった。その部屋はマーヤーの友人アーカーンクシャー・ミシュラーのものだと伝えられた。アーカーンクシャーは留守中だった。アビシェークは身代金を持って待ち合わせ場所へ行くが、彼は現れなかった。
シェーカルが302号室に戻るとそこにはマーヤーの遺体が横たわっていた。しかも、何者かから電話が掛かってくる。動転したシェーカルは指示通り遺体を森林に埋める。だが、シェーカルは独自に調査を開始し、マーヤーを名乗っていた女性は実はモデルのアーカーンクシャーであることを突き止める。アーカーンクシャーはアビシェークの愛人であった。302号室で逢い引き中だった二人はナイフを持ったマーヤーに襲われ、アビシェークは誤ってマーヤーを殺してしまう。殺人の事実を隠すため、二人はこの計画を練ったのだった。
シェーカルはアーカーンクシャーがまだ生きていることにも気付いており、彼女に接触する。アーカーンクシャーは彼に別の計画を提示する。それはアビシェークを騙して大金を得るものだった。シェーカルはそれに乗る。シェーカルはアビシェークがマーヤーを殺したことを自白しているビデオを盗撮し、それを使って彼をゆすって、100万ドルを要求する。アビシェークは302号室に100万ドルを持って現れ、アーカーンクシャーにそれを託す。だが、そこにはマーヤーの遺体が掘り起こされて置かれていた。しかも、テージェーンドラ警部補が踏み込んでくる。アーカーンクシャーはシェーカルと合流し、そのまま逃亡する。
ヒロインのディーパル・シャーは、映画女優としては「Kalyug」(2005年)で有名になった。だが、その前にはDJ Dollのリミックス・アルバム「Baby Doll」(2002年)などに出演しており、「Ragini MMS 2」(2014年)のダンスナンバー「Baby Doll」でサニー・リオーネがブレイクするまでは、インドにおいて「ベイビー・ドール」といえば彼女を指していた。2000年代に雨後の筍のように現れた「セックス・シンボル」女優の一人であったが、残念ながら女優としては大成せず、いつの間にか表舞台から消えてしまった。イルファーン・カーンよりもまずディーパルが「Murder at Teesri Manzil 302」に出演していたことが懐かしかった。
「Murder at Teesri Manzil 302」はエロティックなサスペンス映画であり、エロティックな部分はディーパルが一手に引き受けている。確かに2000年代は「スキン・ショー」と呼ばれる肌見せ主体のサスペンス映画全盛であり、マッリカー・シェーラーワトの「Murder」(2004年)やネーハー・ドゥーピヤーの「Julie」(2004年)などがあった。当初はヒット率が高かったものの、次第に女優が脱ぐだけで中身のない映画が続出し、すぐに下火になってしまった。「Murder at Teesri Manzil 302」からは、あのスキン・ショー映画群の残り香を感じた。
また、この映画はバンコクが舞台になっていた。あの頃のヒンディー語映画界では海外ロケが流行しており、バンコクは人気のロケ地だった。そんなところからも、2009年に公開予定だったという「Murder at Teesri Manzil 302」の時代性をひしひしと感じさせる。
さらに、ラッキー・アリーが端役で出演していたことにも驚いた。ラッキーの本業はシンガーソングライターであるが、時々演技もしていた。俳優としては「Sur: The Melody of Life」(2002年)や「Kaante」(2002年)がピークであり、その後は思い付き程度でしか俳優の彼を目にすることはなかった。久々に俳優としてのラッキーを目の当たりにした。
とはいえ、この映画の主役は、ディーパル・シャーに加えて、イルファーン・カーンとランヴィール・シャウリーである。2020年代から彼らを見ると二人とも若い。初々しいということはないが、秘蔵映像という感じだった。イルファーンについてはディーパルとのインティメートシーンもあり、二人はキスもしている。
ストーリーは、この手のサスペンス映画にありがちな、どんでん返しの繰り返しであった。誘拐が狂言誘拐であることが明らかになり、狂言誘拐のつもりが殺人隠蔽に加担させられる。どこかで見たようなプロットであった。ディーパルがオーバーアクティングだったこと、彼女が演じたアーカーンクシャーの心の動きがよく分からなかったことなどで、完成度が低くなってしまっていた。音楽監督のサージド=ワージドも本気を出さなかったようで、パッとしない歌と踊りばかりだった。
「Murder at Teesri Manzil 302」は、10年以上お蔵入りになっていたものがOTT時代になって日の目を浴びたという訳ありの作品である。イルファーン・カーンの死去がきっかけで発掘されたのだと思われる。だが、お蔵入りしていただけあって完成度は低く、期待はできない。ただし、2000年代の雰囲気がよく残っており、2020年代に観るとかえって新鮮である。ディーパル・シャーやラッキー・アリーという名前自体が懐かしい。2000年代のヒンディー語映画が好きだった人に限定してオススメできる作品である。