イザーファト

 日本語に漢語や外来語と呼ばれる、他言語からやって来て定着した言葉がたくさんあるように、ヒンディー語にも様々な言語から入って来て使われるようになった借用語がある。ヒンディー語が主に語彙の源泉とする言語は、ペルシア語、サンスクリット語、英語である。それぞれヒンディー語に入って来た時代が異なる。

 借用語としての歴史はペルシア語が最も古い。西方からの人の流れと共にペルシア語は断続的にインド亜大陸に入って来たと思われるが、決定的となったのは13世紀以降、イスラーム教徒による政権がインドに樹立してからである。デリー・サルタナト朝からムガル朝まで、多くの支配者は、トルコ語を母語とし、アラビア語を宗教語とし、ペルシア語を公用語とする人々だった。若干のトルコ語の語彙もヒンディー語には認められるが、政府の言語、記録の言語、文学の言語、そして教養の言語となったペルシア語は、インドの土着言語に絶大な影響を与えた。

 ヒンディー語にはアラビア語の借用語もあるが、ほとんどのアラビア語の語彙はペルシア語を介して伝わったため、ペルシア語とまとめてしまっても構わない。アラビア語・ペルシア語として並列されることもある。

 語彙と共に、ペルシア語の文法要素もヒンディー語に入って来たのは言語学的に興味深い点である。その代表がイザーファトだ。これは、英語の「of」とほとんど同じ使われ方をする助詞であり、アルファベットで表記される際は「-e-」と書かれることが多いが、稀に「-i-」のこともある。「~の」という意味で、後ろから前を修飾する。「United States of America」が「アメリカ合衆国」と訳されるのを見れば分かりやすいだろう。ヒンディー語映画のタイトルなどにもよく使われるので、ヒンディー語やペルシア語が分からない人でも目にしたことはあるかもしれない。直前の音に軽く「エ」を添えるように読む。

 映画の題名にイザーファトが使われた例では、「Mughal-e-Azam」(1960/2004年)、「Jaan-e-Mann」(2006年)、「Salaam-e-Ishq」(2007年)、「Daawat-e-Ishq」(2014年)、「Aafat-e-Ishq」(2021年)などが挙げられる。

 最後の「Aafat-e-Ishq」だと、「Aafat」が「災厄」、「Ishq」が「恋愛」なので、訳すと、後ろから前を修飾して、「恋愛の災厄」となる。読み方は、「アーファテ・イシュク」である。デーヴァナーガリー文字では、「आफ़ते इश्क़」と、母音記号を使って前の単語末に結合して書かれることもあれば、「आफ़त-ए-इश्क़」と分けて書かれることもある。

 ちなみに、ヒンディー語の文法には、格助詞の「का」があり、前の単語が後ろの単語を修飾する。イザーファトがなければ単語と単語をつなげないという訳ではない。例えば、「Pyaar Ka Punchnama」(2010年)という映画があったが、真ん中の「Ka」がこれである。「Pyaar」は「恋愛」、「Punchnama」は「裁定書」なので、前から後ろを修飾して「恋愛の裁定書」となる。「का」は、後続の名詞の性と数に従って、「की」、「के」と格変化する。

 イザーファトが完全にヒンディー語の文法の一部になったかというと疑問である。なぜなら、イザーファトは基本的にペルシア語の語彙をつなげるときにしか使われないからだ。つまり、「ペルシア語語彙-e-ペルシア語語彙」という形に限定されている。上でイザーファトの例として挙げた映画のタイトルも、全て「ペルシア語語彙-e-ペルシア語語彙」のパターンである。

 よって、イザーファトは、ペルシア語の文法がヒンディー語で受け容れられたと考えるよりも、イザーファトで結ばれた連続する語彙がそのままヒンディー語に借用されたと考えた方がしっくり来る。

 それでも、何でもありのヒンディー語映画は、そんな常識を覆すイザーファトの使い方もしてしまっている。「Om Shanti Om」(2007年/邦題:恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム)には、「Dard-e-Disco」というダンスナンバーがある。「Dard」は「痛み」という意味のペルシア語語彙だが、「Disco」は英語の「ディスコ」である。よって、「ディスコの痛み」となる。なんと、ペルシア語語彙と英語語彙をイザーファトで結んでしまったのである。

Dard E Disco Full Video HD Song | Om Shanti Om | ShahRukh Khan

 今のところはファンシーな雰囲気を出すために使われただけと言えるが、このような使い方が浸透して行くと、イザーファトもヒンディー語の中で市民権を得たことになり、やがてはヒンディー語文法の一部となるかもしれない。その急先鋒に立っているのがヒンディー語映画なのである。