2021年10月22日公開の「Bhavai」は、北インドでダシャハラー祭の時期に上演される野外劇ラームリーラーを下地にしたロマンス映画である。題名の「Bhavai」とは、グジャラート州を中心に上演される野外劇のことである。ただ、ラームリーラーとは関係がない。バヴァーイー劇は、14世紀に追放されたブラーフマン(バラモン)が生計を立てるために始めた演劇に由来しているといわれている。映画「Bhavai」は、俳優を目指すブラーフマン青年の物語であり、その関係から題名に「Bhavai」が採用されたのだろう。
監督はハールディク・ガッジャル。TVドラマ監督として活躍してきており、グジャラーティー語映画も撮っているが、ヒンディー語映画の監督はこれが初となる。主演はプラティーク・ガーンディーとアインドリター・レー。プラティークは「Loveyatri」(2018年)や「Mitron」(2008年)に出演していた俳優であり、アインドリターは主にカンナダ語映画で活躍してきた女優である。
他に、ラージェーンドラ・グプター、ラージェーシュ・シャルマー、アビマンニュ・スィン、アンクル・ヴィカル、アンクル・バーティヤー、フローラ・サーイニー、バーギヤシュリー・モーテー、ゴーパール・K・スィンなどが出演している。
グジャラート州の田舎町カーカルに、バワール(アビマンニュ・スィン)率いる、ラームリーラーを上演する劇団がやって来る。カーカルでラームリーラーが上演されるのは史上初だった。それを聞いたラージャー・ラーム・ジョーシー(プラティーク・ガーンディー)は居ても立ってもいられなくなる。彼は俳優になるのが夢だったが、田舎町でくすぶっていた。ラージャーは劇団に飛び入りし、俳優になりたいと申し出るが、劇団のシニアメンバーであるバジランギー(ラージェーシュ・シャルマー)に却下される。 バワールはラーヴァナ役を演じていたが、下痢になって出演できなくなる。そこで彼はラージャーのことを思い出し、彼を呼び出す。ラージャーはラーヴァナの役も喜んで引き受ける。だが、スィーター役のラーニー(アインドリター・レー)は、ラージャーがのぞき魔だと勘違いしており、彼を避ける。しかし、バワールの指示には逆らえず、渋々彼を受け入れる。 ラージャーは舞台の上で演技力を発揮し、賞賛を浴びる。バワールも彼を劇団員として正式に雇い入れる。だが、一方でラージャーの父親パンディトジー(ラージェーンドラ・グプター)は、息子がラーヴァン役をしていることに我慢がならず、彼を勘当する。ラージャーは劇団の宿泊所に寝泊まりしながら、ラームリーラーに出演を続ける。 ラージャーとラーニーは次第に心を通わすようになる。ラーニーも映画女優になるのが夢で、いつかムンバイーに行きたいと夢見ていた。そこでラージャーは、ラーニーを連れてムンバイーへ行く準備を始める。 ラームリーラー最終日、ラージャーは自分の出演が終わると、会場を抜け出し、バス停で待ち合わせていたラーニーと合流する。しかし、ラーヴァナがラーニーを誘拐したと知った住民たちは怒って後を追い掛け、ラージャーを殴り殺してしまう。息子の遺体を見たパンディトジーは号泣する。
ラームリーラーは、「ラーマーヤナ」の物語を、ナヴラートリの9日間と、10日目となるダシャハラー(ヴィジャイダシャミー)の合計10日間、野外に設置された舞台で演じる野外劇である。北インドで特に盛んで、デリーのような大都会では町内会ごとにラームリーラー上演を目的とした組織が結成され、地元の人々が役を演じ、10夜に渡ってその出来を競い合う。ただ、田舎の方ではそこまで盛大にラームリーラーが行われるわけではないかもしれない。「Bhavai」の舞台になっていたカーカルも、今まで一度もラームリーラーが上演されたことのないような田舎町だった。
そこにラームリーラー劇団がやって来るわけだが、それは偶然ではない。「世界覚醒セーナー」と呼ばれる政党が後ろ盾にあって、各地でラームリーラーの上演を行っているのである。これは、世界ヒンドゥー協会(VHP)やインド人民党(BJP)など、ヒンドゥー教至上主義を掲げるサング・パリワールの組織を想起させる。また、1990年にBJPのLKアードヴァーニーが主導したラーム・ラト・ヤートラー(ラーム山車巡業)にも通じるものがある。
そんな政治色も濃い映画ではあるが、基本的にはロマンス映画である。カーカルで生まれ育った俳優志望の青年ラージャーが、ラームリーラーの劇団に入れてもらってラーヴァナを演じるようになるというのが大筋で、劇団でスィーター役を演じていたラーニーと恋仲になる。ラーニーもムンバイーで映画女優になるのが夢だった。共通の夢を持つ二人は劇団を脱出してムンバイーに向かおうとする。
ただ、ラーニーは、劇団のオーナー、バワールに束縛されていた。そして、劇団員はすぐに、ラージャーとラーニーの間で恋が芽生えていることを察知する。もしバワールにそのことが知れたらただでは済まない。二人は警告を受けるものの、一度燃え上がった恋心と、夢を追う欲求は収まらず、二人は脱走を決行する。
巧みだったのは、舞台で上演されるラームリーラーの台詞に、ラージャーやラーニーなどが直面する問題に関する感情のやり取りや会話が重ね合わされていたことだ。例えば、バジュランギーが演じるハヌマーンは、ラージャーが演じるラーヴァナに対し、ラーニーが演じるスィーターの誘拐を諫める。これは、ラーニーにこれ以上関わらないようにというラージャーに対するバジュランギーの忠告が含まれていた。また、ラーヴァナはランカー島がラーマによって攻め落とされようとしているときに、スィーターに「一緒に逃げよう」と語り掛けるが、これもラージャーからラーニーへの脱走の提案につながっていた。
カーカルの人々はとても純粋である上に、初めてラームリーラーを観劇していることもあって、ラームリーラーの登場人物や物語を真実と捉えてしまっていた。ダシャハラーの日、ラーヴァナはラームによって退治され、ラーヴァナの巨大な像が燃やされる。だが、この直後にラージャーとラーニーは脱走し、それを知ったバワールは人々に、ラーヴァナの悪を許すなと扇動する。ラーヴァナを演じていたのがラージャーだとは知らなかったカーカルの人々は、怒り狂ってラーヴァナを追い掛け、殴り殺してしまう。付け髭を取ってみると、それはラージャーであった。
一連の出来事でもって、監督は、宗教が政治に利用されることで、人々の間に不寛容が拡大し、極端な場合は人の命が奪われると警鐘を鳴らしている。現在、インドではナレーンドラ・モーディー首相による長期政権が続いているが、この「Bhavai」の物語からはBJPに対する批判的なメッセージを感じた。わざわざグジャラート州を舞台に選んでいるのも、モーディー首相の地元である点と関係があるだろう。
いつ頃の年代の物語かについては明示がなかった。ただ、俳優たちへの報酬額など、物価から察するに、21世紀ではないだろう。携帯電話も全く登場しなかった。おそらく1980年代くらいではなかろうか。LKアードヴァーニーがラーム・ラト・ヤートラーを実行した1990年と考えてもそう外れではないかもしれない。
主演のプラティーク・ガーンディーは、そこらによくいるインド人といった外見である。つまり、現時点ではスター性のある俳優ではない。だが、今回演じた役柄のように、一般庶民役は違和感なく演じることができる。アインドリター・レーは、カンナダ語映画女優とはいえ、ラージャスターン州生まれであり、母語はヒンディー語だ。よって、ヒンディー語での演技にも問題はなかった。
「Bhavai」は、ラームリーラーを下地にしたロマンス映画であり、宗教的な不寛容が社会に広がりつつある現状への警鐘を鳴らす映画でもあった。ラームリーラーと、それを演じる男女のロマンスを重ね合わせて提示した点が優れているが、不寛容への社会的メッセージは、作り込みが足らず、取って付けたようであった。それでも、観て損はない映画である。