
「Dug Dug」は、2021年9月10日にトロント国際映画祭でプレミア上映され、インドでは2026年5月8日に劇場一般公開された映画である。題名の「Dug Dug」は、バイクのエンジン音や排気音と捉えればストーリーの内容と合うだろう。ラージャスターン州ジョードプル近郊にあるブレット・バーバー寺院にまつわる縁起譚を緩やかにベースにした風刺作品である。
監督は新人のリトウィク・パーリークだが、エグゼクティブ・プロデューサーにアヌラーグ・カシヤプ、ニキル・アードヴァーニー、ヴィクラマーディティヤ・モートワーネー、ヴァーサン・バーラーといったそうそうたる顔ぶれが並んでいる。
キャストは無名の俳優たちばかりである。アルターフ・カーン、ガウラヴ・ソーニー、ヨーゲンドラ・スィン、ドゥルガー・ラール・サイニーなどだ。
ブレット・バーバー寺院について説明が必要だろう。ブレットは二輪車製造会社ロイヤルエンフィールドを象徴するモデルである。1988年5月5日、チョーティラー村のタークル(地主)だったオーム・スィン・ラートールは、ブレット350を運転中に誤って木にぶつかり事故死した。警察は現場に残されたブレット350を警察署に持って行って保管したが、翌朝になると事故現場に戻っていた。そういうことが何度も続き、村人たちは奇跡と信じて、そのブレットを信仰するようになった。現在では、オームの事故現場にブレットを祀った寺院が建っており、地元の人々から「ブレット・バーバー」「オーム・バンナー」などと呼ばれているのである。
「Dug Dug」では、この逸話にもとづきながらも人々の信仰心を傷付けないように固有名詞は全て変更し、フィクション映画化した。
物語はタークル・ラール(アルターフ・カーン)が深夜に酒場から酔っ払って50ccの二輪車カイネティック・ルナに乗って帰宅するところから始まる。タークルは「手品師PPシャルマー」の大きな看板の前で転倒して道路に投げ出され、トラックにひかれて死んでしまう。警察は現場に残されたルナを警察署に持って行くが、翌朝になると警察署から消えてなくなり、事故現場に立っていた。再び警察署に持ち帰り、ガソリンを抜いて鎖で固定して保管したが、それでも翌朝になると事故現場にひとりでに戻っていた。僧侶に相談したところ、タークル・ラールが神の使者になったと伝えられ、生前の彼が好きだった酒や煙草を供えれば願い事がかなうと言う。
タークルの事故現場には簡易的な祭壇が設けられ、村人たちが礼拝するようになった。当初、参拝客は数えるほどしかいなかったが、「タークル・サー」に願掛けをして願いがかなったという人が現れたことで、クチコミで噂が広まり、人々が押し寄せるようになった。近くの村では「タークル・サー」を冠した店が雨後の筍ようにできた。TVで取り上げられたことで参拝客は急増し、慈善信託も設立された。やがて立派な寺院が建てられ、ルナが本尊として祀られた。
一連のこの騒動を複雑な気持ちで眺めている者がいた。地元警察官のバドリー(ヨーゲーンドラ・スィン)である。実はバドリーは、「平和すぎて暇だ」とぼやいていた老警察官マンフール(ドゥルガー・ラール・サイニー)をからかうため、タークルが死んだ夜、警察署に保管されていたルナを事故現場に戻した張本人だった。それを繰り返している内にルナが信仰対象になってしまい、あれよあれよという間に寺院まで建ってしまって困惑していた。タークルが死んだとき、バドリーは結婚して数年が経っていたがまだ子供がなかった。だが、この間に彼にも子供ができていた。妻はタークル・サーの熱心な信者であり、今回は一緒に参拝に来た。妻は、タークル・サーに祈願したことで子供ができたと夫に明かす。それを知ったバドリーは初めてタークル・サーにひれ伏す。
インド人の信心深さを風刺した作品だが、好意的に描いているのか、それとも批判的に描いているのかは、観客それぞれの受け止め方に依存するだろう。だが、好意的に解釈することもできる終わり方を用意している点は、インド映画らしさだといえる。迷信を頭ごなしに笑って退けるのではなく、信仰の力は根拠のないところからも発生することが示されている。
「Dug Dug」には、物語を前に進める主人公のようなものは存在しない。主にタークル・ラールが事故死した現場が舞台になっており、その場所の定点観測を早送りで見ていくのが観客に与えられたタスクになる。「手品師PPシャルマー」の大きな看板以外は何もなかった場所に、タークルの死をきっかけに祭壇が作られ、それが祠となり、やがて寺院にまで発展した。
警察に押収されたバイクが翌朝になると事故現場にひとりでに戻っている現象は不可解であるが、終盤にその種明かしもされる。警察官が悪戯心から内緒でバイクを戻していたのである。だが、黙っていたら事がどんどん大きくなっていき、地域の信仰の中心になって、事実を言い出せなくなってしまった。
出来心の悪戯が起点となって寺院が建ってしまうのは滑稽な出来事なのだが、「Dug Dug」はそれを単に無知蒙昧から来る珍事として切り捨てておらず、信仰の根源を探ろうとしている。もしかしたら信仰とは始まりは皆こういうものなのかもしれない。だが、一度加速度が付くと誰にも止められなくなり、人々の熱狂だけが雪だるま式にふくらんでいく。それはまるで、劇中でお爺さんがふくらませていた風船のようだ。しかも、いくら虚構の上に築かれた信仰であっても、信仰心が人間に何らかのいい影響を及ぼし、人生がより良い方向に進むということもありえる話である。
タークル・サーの寺院が建った地域でも、タークル・サーの集客力のおかげで経済効果が生まれ、人々が恩恵をこうむっているように見えた。寺院が建つ前は何の変哲もない場所だったことを考えれば、幸運なことだった。人生何があるか分からないというのが「Dug Dug」の発する達観したメッセージだといえるだろう。
「Dug Dug」は、人物よりも出来事に焦点が当てられており、無から有が作られていく過程を観察するのを楽しむユニークな映画だ。しかも、通り一遍の宗教批判映画や宗教風刺映画ではなく、むしろ極力客観を保ちながら信仰の原点を探り当てようとしている。宗教大国インドならではの視点で作られた作品だ。必見の映画である。
