インドでは「ジョイント・ファミリー」という形態の大家族制が残っている。兄弟が結婚後も両親と共に一ヶ所に住み、その子供たちが従兄弟というより実の兄弟のように暮らす。さらに、使用人を雇う文化もあるため、ひとつの家に住む人間の数はさらに多くなる。さすがに都市部では核家族化・少子化が進み、数世代の親族が共に暮らすことは減ったが、ジョイント・ファミリー的な結びつきは健在で、結婚式などの行事にはそれらの親族が一堂に会す。
映画は社会や文化の鏡であり、インドの映画やTVドラマでも頻繁に大家族が登場する。実際に地域によってはまだ大家族制が残っていることもあるし、それが解体しつつあるとしても名残はあるし、もし既に核家族化が完了しているとしても古き良き大家族制を懐かしむ気持ちがある。そのような理由から、インドでは大家族の物語が好んで描かれ、そして鑑賞されるのだと予想できる。
この大家族制は特に犯罪映画で本領を発揮する。複雑に人間関係が絡み合う家族内での殺人事件は、インドではどの国よりも現実感を持って捉えられる。2020年7月31日からNetflixで配信されているヒンディー語映画「Raat Akeli Hai」も、大家族の中で起きた殺人事件を扱った犯罪映画である。
監督はハニー・トレーハーン。長らくキャスティングディレクターをしていた人物で、映画監督は今回が初である。主演はナワーズッディーン・スィッディーキー。40歳前後になって急速に頭角を現した演技派男優で、今やヒンディー語映画界になくてはならない存在となっている。他に、ラーディカー・アープテー、シュエーター・トリパーティー、ティグマーンシュ・ドゥーリヤー、シヴァーニー・ラグヴァンシー、アーディティヤ・シュリーヴァースタヴァ、ニシャーント・ダヒヤー、パドマーヴァティー・ラーオ、イーラー・アルンなど。スター性よりも演技力を重視した渋い配役である。
「Raat Akeli Hai」とは、「夜は孤独である」という意味である。
カーンプルに住むジャティル・ヤーダヴ警部補(ナワーズッディーン・スィッディーキー)は、地元の名士ラグヴィール・スィン殺人事件の捜査を担当する。ラグヴィールは先妻に先立たれ、ラーダー(ラーディカー・アープテー)という若い女性と再婚しようとしていたが、結婚式の当日に何者かに殺された。ラグヴィールには、1人の息子カランと1人の娘カルナー、娘の婿、妹の息子ヴィクラムと娘ヴァスダーなど、多くの家族がいた。ラグヴィールが死んだことでラグヴィールの財産がラーダーのものとなることもあって、ラグヴィールの家族はラーダーの犯行だと疑っていた。しかし、ジャティルはラーダーの不思議な魅力に惹かれていたこともあり、簡単にはラーダーを逮捕しようとしなかった。
ジャティルが捜査を進めて行くと、ラーダーはラグヴィールの甥と恋仲にあったこと、使用人の少女が何かを目撃したこと、そして5年前に起こったラグヴィールの先妻の死に不審な点があることなど、いくつもの手がかりを得る。だが、地元政治家や上司の妨害に遭い、捜査は難航する。このようなストーリーである。
「Raat Akeli Hai」のような映画を理解するためには、まずは登場人物の顔と名前を一致させ、しかも人間関係を整理しなければならない。ヒンディー語は、インドの大家族制を反映して、親族名称が細分化されて存在している。大家族映画ではそれらの親族名称を手がかりにして人間関係を理解していくのだが、インドの大家族の中で暮らした経験のない我々には、それがなかなか難しい。一度観ただけでは、人間関係を理解できたときには映画が終わっていることだろう。
もうひとつインドの大家族映画を理解するために重要なのは「家の名誉」である。インド人が何か行動を起こすときに、自分の家の名誉を守ることは大きな動機となる。しばしば、個人の自由や尊厳よりも家の名誉の方が優先される。時には家族の命を奪ってまで家の名誉が守られる。この点も日本人の想像を超えているので、注意する必要がある。そして、「Raat Akeli Hai」のような大家族型犯罪映画では、「家の名誉」が殺人の動機となっていることが非常に多い。
そして、これはインド映画に限らないが、黒幕は上司だった、というオチも多い。「Raat Akeli Hai」はモロにそのタイプの映画だが、上司が黒幕である点は意外に早期に明かされる。黒幕よりも、誰が殺したのか、という点が終盤まで明かされず、「現在」の事件と5年前の事件の関連が最終的に大きな意味を持って来る。
ナワーズッディーン・スィッディーキーとラーディカー・アープテーという、庶民的な雰囲気のある演技派俳優が中心の映画であり、彼らの演技に引き込まれるものがあった。ストーリーに大きなどんでん返しはないものの、ジャティルが着実に真実に迫って行く過程には思わず見入ってしまう力があった。「Raat Akeli Hai」のような、大スクリーンで楽しむ必要性が低い映画は、コロナ禍の時代に無理に映画館で公開するよりも、Netflixで配信した方が、かえって多くの観客に観てもらえるかもしれない。