インド北東部には「セブン・シスターズ」と呼ばれる7つの州がある。アッサム州、アルナーチャル・プラデーシュ州、ナガランド州、マニプル州、ミゾラム州、トリプラー州、メーガーラヤ州である。これらの州に住む「ノースイースタン」と呼ばれる人々のほとんどは人種的にモンゴロイドであり、彼らの文化は、南アジアよりもむしろ東南アジアに近い。首都デリーには勉強や仕事のために多くのノースイースタンが住んでいるが、生活様式があまりに異なるため、地元の人々との軋轢も多い。
2019年にロンドン映画祭でプレミア公開され、2020年6月12日からNetflixで配信されているヒンディー語映画「Axone」は、デリーに住むノースイースタンの若者たちの奮闘記である。監督はメーガーラヤ州出身のニコラス・カルコンゴル。主演は「Margarita with a Straw」(2015年)のサヤーニー・グプター。劇中ではネパール人女性を演じていたが、彼女はインド人のはずである。他に、「Mary Kom」(2014年)に出演していたマニプル人女優リン・ライシュラム、「Vicky Donor」(2012年)のドリー・アフルワーリヤー、「Bheja Fry」(2007年)のヴィナイ・パータク、「English Vinglish」(2012年)のアーディル・フサインなどが出演している。
舞台はデリーの中級住宅街。ミナムが結婚することになり、彼女の友人たちが結婚パーティーを企画する。そのためにはアコネ(納豆)を使った豚肉の料理を作らなければならなかった。しかし、それを料理すると強烈な臭いがするため、大家には許してもらえかった。ウパースナー(サヤーニー・グプター)やチャンビ(リン・ライシュラム)は何とかアコネ料理を作ろうと奔走する。こんなストーリーである。
この映画を観て思ったことを書いて行こうと思うが、その前に断っておくべきことがある。ノースイースタンたちの国籍は当然インドであり、彼らは正真正銘のインド人である。だが、彼らはその顔つきや文化の違いから、それ以外の地域の人々からインド人扱いされないことが多い上に、彼ら自身もインドに対する帰属意識が希薄なところがある。ここでは便宜的に、北東地域に住む人々をノースイースタンと呼び、インド亜大陸の大部分に住む典型的なインド人のことをインド人と呼ぶことにする。
デリーに住んでいた日本人として、デリーに住むノースイースタンたちの存在は他人事ではなかった。なぜなら、日本人とノースイースタンは顔が似ているので、周囲のインド人からはノースイースタンと間違われることが多いからである。だから、デリーでノースイースタンたちがどのような扱いを受けているのか実感することになる。一言で言えば、差別されていると言ってしまっていいだろう。特にノースイースタンの女性は、インド人の男性たちから「性にオープン」と考えられており、性的な視線にさらされることが多い。レイプの被害にも遭いやすい。劇中ではチャンビがインド人の若者に卑猥な言葉を投げ掛けられているシーンがあった。
ノースイースタンが暴行の対象となることも多い。もっとも有名な事件が、アルナーチャル・プラデーシュ州出身のニド・タニアム(Nido Taniam)の事件だ。ニドは州議会議員の息子で、パンジャーブ州の大学に通っていた20歳そこそこの青年だった。2014年、デリーのラージパトナガルの市場でニドが道を尋ねたところ、地元のインド人から髪型や服装をからかわれた。それがきっかけで喧嘩となり、ニドは暴行を受けて死亡した。この事件を受けて、デリーや北インドにおいてノースイースタンたちが受けている差別に焦点が当てられることとなった。インド人に心を閉ざすギタリスト、ベンダンのエピソードは、この事件をモデルにしているのだろう。
この映画は、北東地域で広く食べられている納豆、アコネを使った料理を巡って展開する。日本人も納豆を食べるので、ノースイースタンの文化には親近感が沸くのだが、一般のインド人からしたら未知の食材であり、普通は受け入れられない。しかも、ノースイースタンたちは、一般のインド人が口にしない豚肉や犬肉を食べる。これに竹の子を入れたりするので、その臭いは強烈となる。ノースイースタンが多く住む地域では、夕食時に異様な臭いが漂う。食文化のみを取っても、地元のインド人と対立するのは無理もないと思ってしまう。
しかしながら、「Axone」は、ノースイースタンとインド人の間の溝の深さのみをえぐった作品ではない。大家の息子シヴは、ノースイースタンの彼女が欲しいという下心がありつつも憎めない奴で、ノースイースタンたちと分け隔てなく接する。シヴとベンダンの間の、一瞬の対立と和解は、この映画でホッとできる場面であった。
言語学を専攻していた身としては、北東地域の様々な言語が飛び交う中盤のシーンが面白かった。ミゾラム州のミゾ語、アッサム州のボド語、メーガーラヤ州のカシ語、ナガランド州のセマ語、マニプル州のメイテイ語とタンクル語、そしてネパーリー語などが出て来た。おそらくそれぞれの地域の俳優を起用しているのだと思われる。そして彼らが公用語として使用するのが英語とヒンディー語であった。
映画の最後でミナムとチマルの結婚式が描写されるのだが、驚くべきことに、ビデオチャットを使ったリモート結婚式であった。花嫁のミナムはデリーにいて、花婿のチマルは故郷にいるのである。ミナムがどの部族に属しているのか分からなかったが、どうも彼女の部族の伝統で、花嫁がその場にいなくても結婚式が行われることがあるらしい。そのときは代わりに花嫁の姉妹が花嫁役を務めるという。
「Axone」は、デリーに住むノースイースタンの若者たちを主人公にしたユニークなインド映画である。彼らの視線からデリーの生活が描かれると同時に、彼らが直面する様々な問題に触れられていた。だが、決して一般のインド人たちを糾弾するような内容ではなく、同じインド人として融和の可能性が探られており、後味のいい作品に仕上がっていた。今まで観たNetflix配信のインド映画の中では一番楽しめた作品だった。このような作品が日本にいながら鑑賞できる時代がやって来たことは素直に歓迎したい。