Dheet Patangey

3.5
Dheet Patangey
「Dheet Patangey」

 インドではクリケットが宗教のように熱狂的に信仰されている。だが、その人気は必ずしもずっと続いていたわけではなく、元々はホッケーの方が国民的なスポーツであった。独立前から英領インドはホッケーの大国で、印パ分離独立後は、インドとパーキスターンが常に国際試合で優勝を争っていた。インドのホッケーがルール変更によって人気凋落した後、それに取って代わったのがクリケットだったのだが、その転機となったのは、1983年、クリケットのワールドカップでインドが初優勝したことであった。その後、インドはクリケット大国に成長するものの、ワールドカップでの優勝はなかなか実現できず、ようやく2回目の優勝を果たしたのが2011年であった。

 2020年3月2日からHotstarで配信開始された「Dheet Patangey」は、1983年と2011年のクリケット・インド代表優勝を背景とした青春物語である。「Dheet Patangey」とはヒンディー語で書くと「ढीठ पतंगे」のはずで、「強情な蛾たち」という意味になる。蛾は自ら火の中に飛び込み死ぬとされているが、4人の主人公は自ら死に向かって行き、炎の中でも生きようとした。そんなイメージを込めた題名なのだろう。

 監督はラヴィ・アディカーリー。TV業界で権勢を誇るSAB(シュリー・アディカーリー・ブラザーズ)グループの家系出身であり、これが初監督作となる。キャスティングされているのは、チャンダン・ロイ・サーンニャールとティロッタマー・ショーム以外は、映画界でほとんど無名の俳優ばかりだ。シヴィン・ナーラング、アリー・ムラード、ハールディク・サンガーニー、プリヤー・バナルジーなどである。だが、その分フレッシュで好印象だった。

 1983年6月。英国ではクリケットのワールドカップが開催中だった。ボンベイ在住の仲良し4人組、マディー(シヴィン・ナーラング)、パルヴェーズ(アリー・ムラード)、サンディー(ハールディク・サンガーニー)、そしてアーナンド(チャンダン・ロイ・サーンニャール)は、献血したことがきっかけで、4人の内の1人が癌であることを知る。誰が癌かを示す書類は、病院で渡された封筒の中に入っていた。4人は封筒を開ける前に、それぞれが死ぬ前にしてみたかったことを4人で一緒すると決める。

 まずサンディーの故郷ゴアへ一緒に行くことになった。サンディーは3年前に家を出て以来、一度も帰っていなかった。サンディーの両親は小人症で、それがサンディーにとって劣等感の元になっていた。しかも両親はサーカスで道化師をしていた。だが、サンディーは両親と仲直りし、一緒にサーカスで道化を演じる。

 次に向かったのはパルヴェーズの故郷カシュミールだった。パルヴェーズはボンベイに出て来る前に、ヒンドゥー教徒の女性スノーヴァル(プリヤー・バナルジー)に片思いをしていた。そしてその女性の家の前に毎日バラを1本置くことを繰り返していた。彼の心残りは、彼女に思いを伝えられなかったことだった。久しぶりに訪れてみると、スノーヴァルの家は引っ越していた。だが、何とか引っ越し先を見つけ出すが、今度はスノーヴァルが明日結婚することが分かる。パルヴェーズは花婿に変装して彼女と式を挙げようとするが、よく見てみると彼女の姉の結婚式だった。この騒動によってパルヴェーズはスノーヴァルと話すことができ、いつか一緒に駆け落ち結婚することを約束する。

 アーナンドは記者と教師を掛け持ちしていた。アーナンドは新聞会社の社長から、チャンバル谷の女盗賊デーヴィー(ティロッタマー・ショーム)のインタビューをしてくるように言われていた。記者としての自信を失っていたアーナンドは、3人を連れてチャンバル谷を彷徨い、デーヴィーに誘拐される。当初は殺されそうになるが、事情を聞いたデーヴィーはインタビューに応じる。その直後にデーヴィーは殺されたため、アーナンドのインタビューは特ダネとなった。こうしてアーナンドは記者として認められる。

 そうこうしている内にインド代表は決勝戦まで勝ち進んだ。残ったマディーの夢は、英国の伝統あるクリケット場ローズで決勝戦を観戦することだった。ヴィザの問題、航空券の問題、そして入場券の問題など、クリアしなければならないことはたくさんあったが、皆の力を合わせて全て解決し、4人はローズの土を踏む。インド代表は優勝するが、封筒を開けてみると、マディーが癌であることが分かる。だが、元々マディーは自分が癌であることを知っていた。3人が人生に後ろ向きになっているのを見たマディーが全てを仕組んだのだった。

 時と場所は移って、2011年4月2日、ムンバイーのワーンケーデー・スタジアム。ワールドカップの決勝戦、インド対オーストラリア戦が始まろうとしていた。そこへアーナンド、パルヴェーズ、そしてサンディーが集う。そして、天国にいるマディーを思いながら、インド代表の優勝を祈って一緒に観戦する。

 1983年と2011年のワールドカップ優勝をうまく時間軸として活用しながら、死を意識した4人の若者たちが、インド各地を巡って、それぞれが抱える課題に向き合い、前向きに生きる生き方を学ぶという、非常によくまとまった優等生的な映画だった。敢えてスターを起用せず、主にTV業界で活躍する俳優たちを配置して撮ったことも功を奏し、フレッシュさが出ていたし、4人の内の誰が癌なのか最後まで分からないというサスペンス性もうまく機能していた。

 2つの時間軸を用意して、若かりし頃の青春時代を共に生きた仲間が、いい大人になった現代に習合するという構成の映画は、「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)や「Chhichhore」(2019年/邦題:きっと、またあえる)などでも使われた手法だ。「Dheet Patangey」が工夫したのは、それをインド代表がクリケットのワールドカップで優勝した1983年と2011年を時間軸に設定したことである。クリケットが中心の映画ではないのだが、常に背景でクリケットの試合が行われている実感があり、共にその時代を生きているかのような臨場感があった。

 クリケット以外にも時代の雰囲気を出そうと工夫されていたが、そのためのアイテムのひとつがヒンディー語映画「Souten」(1983年)であった。この映画は確かに英国でクリケットのワールドカップが開催されている時期に公開されており、しかも大ヒットした。主人公のマディーたちは、「Souten」を観るお金を稼ぐために病院で献血(売血)をし、それによって仲間の一人が癌であることが分かった仕掛けだった。

 4人の内の誰かが癌であるという事実は、仲間内に大きな波紋をもたらした。もちろん、誰もが自分の死の宣告を恐れている。自分でないことを願うのは当然だ。だが、自分が該当者ではないと分かることは、同時に他の誰かに死の宣告が出されることだった。どちらにしても晴れやかな気分にならないことは確実だった。それを払拭するためにマディーが提案したのが、誰が癌かを知る前に、各人が死ぬ前にしたいことをみんなでするということだった。若者らしいノリである。

 4人はすぐに旅に出て、ゴア、カシュミール、チャンバル谷を旅行する。そしてマディーの夢を叶えるために、英国にまで渡ってしまう。移動シーンはほとんどなく、いきなり目的地に就いてしまっていたので、ロードムービー的な旅情には欠ける映画であったが、実際にそれらの地域で撮影されたと思われ、インドの多様な風景を楽しむことができる映画にもなっていた。

 メインの4人を演じた俳優たちはそれぞれに個性があった。アーナンドを演じたチャンダン・ロイ・サーンニャールは既に個性派俳優としてヒンディー語映画界でお馴染みの顔になっている。マディーを演じたシヴィン・ナーラングは、スシャーント・スィン・ラージプートに通じるものがあり、期待できそうだ。サンディーを演じたハールディク・サンガーニーは脇役俳優として映画界に定着できる可能性がある。パルヴェーズを演じたアリー・ムラードがもっとも存在感が薄かったが、悪くない演技をしていた。

 もう一人挙げるとしたら、女盗賊デーヴィーを演じたティロッタマー・ショームだ。女盗賊といえばプーラン・デーヴィーだが、プーランは1983年に投降しており、台詞の中でもプーラン・デーヴィーの投降について触れられており、彼女の演じたデーヴィーはプーランではないことが分かる。だが、屈強な男たちを従える女盗賊を堂々と演じ切っていた。ブンデーリー方言訛りの台詞回しも素晴らしかった。

 青春映画らしく、何曲かの挿入歌もあったが、音楽はこの映画の弱い部分だった。音楽監督は、タニシュク・バーグチーとコンビを組むヴァーユだが、いい加減に作ったような曲が多かった。

 「Dheet Patangey」は、クリケット・ワールドカップでインドが優勝した1983年と2011年を時間軸とし、「最期の旅」に出た若者たちの人生を変える旅と、彼らの再会を描いた青春映画である。スターパワーは全くない映画だが、かえってフレッシュな映画になっており、構成もよくまとまっている。劇場では公開されず、直接ネット配信されたため、あまり話題にはならなかったが、観て損はない映画である。