Parey Hut Love (Pakistan)

3.5
Parey Hut Love
「Parey Hut Love」

 国際的には2019年8月8日に公開され、本国パーキスターンではイードゥッズハー(犠牲祭)に合わせて8月12日に公開されたパーキスターン映画「Parey Hut Love(どっかいけ、恋愛)」は、4つの結婚式で構成されたロマンス映画である。とはいってもオムニバス形式ではなく、4つの結婚式を通して一組の男女の恋愛を追う構成になっている。英国映画「フォー・ウェディング」(1994年)の翻案だとされている。

 監督はアースィム・ラザー。パーキスターンのスーフィーロックバンド、ジュヌーンの有名なミュージックビデオ「Sayonee」(1997年)を撮ったことで知られており、TVドラマ「Behadd」(2013年)を経て「Ho Mann Jahaan」(2016年)で長編映画の監督デビューを果たした。「Parey Hut Love」は彼の長編映画第2作である。

 主演はシェヘリヤール・ムナワル。実業家ジャハーンギール・スィッデーキーの甥である。ヒロインは「Teefa in Trouble」(2018年)で女優デビューしたマーヤー・アリー。他に、アハマド・アリー・バット、ザーラー・ヌール・アッバース、ナディーム・ベーグ、ヒーナー・ディルパズィール、ドゥルダーナー・バット、シャーバーズ・シグリーなどが出演している。ナディーム・ベーグは大ヒット映画「Jawani Phir Nahi Ani」(2015年)などの監督である。

 特別出演陣が豪華であり、ヒンディー語映画への出演歴もあるスターたちが揃っている。「Ae Dil Hai Mushkil」(2016年)のファワド・カーン、「Raees」(2017年)のマーヒラー・カーン、「Taj Mahal: An Eternal Love Story」(2005年)のソーニヤー・ジャハーン、「Nazar」(2005年)のミーラーなどである。特筆すべきは、インド人俳優スプリヤー・シュクラーが出演していたことだ。インドではパーキスターン人俳優が映画に起用されなくなったが、パーキスターン映画にはインド人俳優が出演できているようである。

第1章 ナターシャの結婚式

 カラーチーでナターシャの結婚式が挙行された。ナターシャの従兄弟で売れない俳優のシェヘリヤール(シェヘリヤール・ムナワル)は母親ファリーダー(ヒーナー・ディルパズィール)などと共に出席する。そこでシェヘリヤールは、ナターシャの従姉妹サーニヤー(マーヤー・アリー)と出会う。サーニヤーは、著名な脚本家ファイサル(ナディーム・ベーグ)の娘で、普段はトルコに住んでいた。シェヘリヤールはサーニヤーにカラーチーを案内する。二人は恋に落ちるが、愛を告白するまでには行かなかった。ファイサルはカラーチーに残り新たに脚本の執筆に入る。サーニヤーは大学の勉強を続けるため、トルコに帰る。

 シェヘリヤールとサーニヤーは離れ離れになった後もしばらくSNSを通して連絡を取り合っていたが、シェヘリヤールの電話が盗まれてしまい、以来音信不通になってしまう。

第2章 ルスタムの結婚式

 シェヘリヤールの友人で拝火教徒のルスタムが結婚することになった。ルスタムの結婚式でシェヘリヤールはサーニヤーと再会する。ところがサーニヤーは許嫁のハサン(シャーバーズ・シグリー)を連れていた。ハサンは投資銀行家で裕福であった。一方のシェヘリヤールは、ファイサルから脚本「Parey Hut Love」を受け取ったはいいものの、プロデューサーが見つからず苦労していた。最終的にシェヘリヤールの継父が資金を出してくれる。

 シェヘリヤールは友人のアルシャド(アハマド・アリー・バット)を監督に据え、「Parey Hut Love」撮影の準備に入る。ところがそこへサーニヤーがやって来て、父親が脳腫瘍を患っていることを明かす。サーニヤーは父親が存命中に結婚したいと考えており、ハサンを結婚相手に選んだのだった。

第3章 サーニヤーの結婚式

 サーニヤーとハサンの結婚式がカシュミール地方で挙行されることになり、シャヘリヤールも呼ばれる。シェヘリヤールはサーニヤーに、幼年時代に実の父親が突然家出してしまったことを話し、それが結婚を躊躇する理由になっていると明かす。婚姻の儀式が行われる直前にファイサルは急死してしまい、結婚式は取り止めとなる。

第4章 シェヘリヤールの結婚式

 ファイサルの脚本を元に作られた映画「Parey Hut Love」が完成し、大ヒットした。シェヘリヤールは一躍トップスターの仲間入りし、トップ女優ズィーナー(マーヒラー・カーン)と結婚することになった。一方、サーニヤーはまだハサンと結婚していなかった。シェヘリヤールの結婚を知ったサーニヤーはハサンに、実はシェヘリヤールを愛していると明かし、婚約を破棄する。

 シェヘリヤールとズィーナーの結婚式はトルコで行われることになった。サーニヤーは式場に現れ、シェヘリヤールにハサンと破局したと伝え、去って行く。シェヘリヤールはズィーナーを捨てて式場を後にし、サーニヤーを追う。そして洋上で彼女にプロポーズする。

 ヒンディー語映画と比べても遜色ない出来のロマンス映画である。父親の突然の出奔と母親の再婚というトラウマを持つ主人公シェヘリヤールは結婚を信じられなくなり、結婚に消極的な男性だった。トルコ在住のパーキスターン人女性サーニヤーと出会い、恋に落ちるが、結婚には踏み切れない。その上、シェヘリヤールは駆け出しの俳優で、安定した収入がなかったことも結婚に二の足を踏む要因となっていた。一方のサーニヤーは、脳腫瘍を抱えた父親の存命中に結婚したいという願望を持っていた。シェヘリヤールが携帯電話を盗まれて音信不通になってしまったこともあり、サーニヤーは早々にシェヘリヤールに見切りを付けて、別の裕福な男性ハサンとの結婚を決める。

 ところが、シェヘリヤールもサーニヤーも、お互いを運命の人だと感じ取っていた。父親が急死したことでサーニヤーはハサンとの結婚を急ぐ必要がなくなり、結婚式を先延ばしにする。一方、シェヘリヤールはいつの間にかスターの仲間入りをしており、トップ女優ズィーナーとの結婚が決まる。とはいっても、その結婚はズィーナーが勝手にマスコミに発表してしまったものだった。彼は本心ではズィーナーとの結婚に乗り気ではなかった。

 シェヘリヤールとズィーナーの結婚式にサーニヤーが現れ、ハサンとの破局を告げたことで、シェヘリヤールはズィーナーとの結婚を躊躇し始める。そして最後には式場から脱走してサーニヤーを追う。

 ハサンとの結婚が決まった後にシェヘリヤールはサーニヤーに「もう一度チャンスをくれ」と言い出し、ズィーナーとの結婚が決まった後にサーニヤーはわざわざシェヘリヤールにハサンとの破局を伝えに来る。この辺りの調和を乱す行動はさすがに自己中心的だといわざるを得ないが、「アッチャーイー(良さ)よりもサッチャーイー(真実)を求める」というセリフにもあったように、本人たちにとってはそれが心に対する正直な行動であった。

 この映画が後味よく終わっていたのは、ひとえに「略奪」された側の二人、ハサンとズィーナーが快くパートナーをライバルに譲っていたからだ。サーニヤーから「実はシェヘリヤールのことを愛している」と打ち明けられたハサンは彼女を引き留めることなく送り出し、ズィーナーもシェヘリヤールの本心を悟り、彼が式場から抜け出すことを後押しする。彼らが同じように自己中心的な行動を取っていれば、この映画は泥沼になっていたところだが、心地よくエンディングを迎えるために、彼らの感情は犠牲になっていた。

 誰も犠牲にならずに成立した恋愛および結婚であったら何の後ろめたさもなく拍手喝采できたのだが、この「Parey Hut Love」の展開は、本当にこれで良かったのだろうかと考えてしまう類のものだ。

 4つの結婚式を通して描かれるパーキスターン映画ということで、インド映画の結婚式とはどんな違いがあるだろうかと興味が沸いた。もちろん、基本的にはイスラーム教の結婚式になる。ところが意外なことにほとんど違いを見出せなかった。これは元々そうだったのか、それともインド映画の影響でパーキスターンの結婚式がインド化したのか、検証が必要だ。

 第2章のルスタムの結婚式だけはゾロアスター教の結婚式だった。ヒンディー語映画にも時々ゾロアスター教徒のキャラが登場するが、ゾロアスター教式の結婚式というのは珍しいかもしれない。映画中ではゾロアスター教の新年に当たるナウローズも出て来て、その説明もされていた。面白いことにゾロアスター教徒のキャラはグジャラーティー語をしゃべっていた。パーキスターンに住むゾロアスター教徒もグジャラーティー語をしゃべっているのだろうか。

 インド映画と遜色ない出来だと感じたのは、音楽が良かったことが大きい。それぞれの結婚式にそれぞれの曲が使われていた。ソングシーンやダンスシーンの入り方はインド映画の文法と全く同じであった。ミーラーが踊る「Ik Pal」はカラン・ジョーハル系のバングラー・ナンバーであるし、マーヒラー・カーンが踊る「Morey Saiyan」が「Devdas」(2002年)の「Kahe Chhed Mohe」などを意識しているのは明らかであった。ファイサルの葬儀で流れるカッワーリー曲「Zehal-e-Miskeen」ではラーハト・ファテー・アリー・カーンが歌っていたが、彼はヒンディー語映画でもよく歌を歌っており、異国の感じがしない。

 「Parey Hut Love」は、インドのロマンス映画と同じ文法に則って作られており、ヒンディー語映画ファンなら何の障害もなく入り込むことができる。2019年のナンバー1ヒットになった作品だけあって、完成度は高い。ただ、インド映画と比べると若干の詰めの甘さも感じる。何はともあれ、パーキスターン映画のレベルが急速に上がっていることを示す作品のひとつであることには変わりがない。