Family of Thakurganj

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Family of Thakurganj

 2019年7月19日公開の「Family of Thakurganj」は、ティグマーンシュ・ドゥーリヤー監督「Saheb Biwi aur Gangster」(2011年)タイプの北インドを舞台にしたギャング映画である。ウッタル・プラデーシュ州、ガンガー河の辺にある架空の町タークルガンジにおけるギャングの抗争を描いている。

 監督はマノージ・K・ジャー。ティグマーンシュ・ドゥーリヤー監督の「Shagird」(211年)や「Paan Singh Tomar」(2012年)で助監督を務めてきた人物である。キャストは、ジミー・シェールギル、マーヒー・ギル、サウラブ・シュクラー、ナンディーシュ・スィン、パヴァン・マロートラー、スプリヤー・ピルガーオンカル、ヤシュパール・シャルマー、プラナティ・ラーイ・プラカーシュ、ムケーシュ・ティワーリー、スディール・パーンデーイ、マノージ・パーワー、ラージ・ズトシーなどである。渋い俳優が勢揃いしている。

 舞台はウッタル・プラデーシュ州の架空の町タークルガンジ。ダシュラト・スィンには2人の息子、ナンヌー(ジミー・シェールギル)とマンヌー(ナンディーシュ・スィン)がいた。次男のマンヌーは勉強好きだったが、ナンヌーは悪さばかりしていた。父の死後、ナンヌーは仕事をし始めるが、すぐに軽犯罪に手を染めるようになり、やがて殺人も犯す。だが、タークルガンジを支配するゴッドファザー、バーバー・バンダーリー(サウラブ・シュクラー)に可愛がられ、頭角を現す。いつの間にかナンヌーは地元の人々から畏怖されるマフィアとなった。母親のスミトラー(スプリヤー・ピルガーオンカル)やナンヌーの妻シャルバティー(マーヒー・ギル)もナンヌーに協力するが、真面目なマンヌーは兄とは距離を置いていた。マンヌーは塾を始めて事業を軌道に乗せ、今や多くの優秀な生徒を輩出する大手の塾になっていた。マンヌーは広告業を営むスマン(プラナティ・ラーイ・プラカーシュ)と婚約する。

 ナンヌーは地上げ屋をしていたが、彼にはバドリー・パータク(ムケーシュ・ティワーリー)というライバルがいた。バドリーもバーバーを尊敬しており、彼のとりなしによって何とか二人の均衡は保たれていた。あるとき、ナンヌーは試験の不正で金儲けをしようとするが、マンヌーの教育に対する熱意を感じ、一転して堅気の道を歩もうと決意する。しかし、彼が銃を河に投げ捨てた瞬間、バーバーと通じている悪徳警官サッジャン・スィン(ヤシュパール・シャルマー)の急襲を受け、命を落としてしまう。

 ナンヌーの葬儀が行われた。サッジャンはナンヌーが銃撃をしてきたために応戦して射殺したと主張するが、既に兄が心を入れ替えていたことを知っていたマンヌーはそれを嘘だと見抜く。その後、タークルガンジでは、サッジャン・スィンやバドリー・パータクの遺体が相次いで発見される。バーバーは、殺し屋バッルー・ターパー(ラージ・ズトシー)の仕業だと考えるが、実はマンヌーが復讐に乗り出していた。そして最後にはバーバーもマンヌーの手によって殺される。

 事件を捜査していた良識ある警察官スーリヤ・プラタープ・ラートール警視(パヴァン・マロートラー)は、サッジャン、バドリー、バーバーらを殺したのはマンヌーだと察知するが、敢えて彼を逮捕しなかった。彼のその行動のおかげでタークルガンジの悪が一掃されたからである。

 登場人物が多く、一見すると重厚なドラマのように見える。だが、意外に軽妙なシーンも多く、また編集が稚拙のため、シーンとシーンが目まぐるしく変わってせせこましい。また、人間関係も単純であり、権謀術数渦巻く人間ドラマ的な味わいもない。企画自体は良かったと思うし、起用した俳優たちも間違っていないが、アイデアを具現化する上で力不足なところがあり、残念な出来の映画になっていた。

 マフィアになった兄と、塾を経営する教育者の弟を軸に進むストーリーは非常に面白いと感じた。教育を巡っては、「Aarakshan」(2011年)や「Super 30」(2019年/邦題:スーパー30)といった映画が作られてきているが、興味深いことに教育マフィアのような敵役が登場することが多い。だが、「Family of Thakurganji」では教師の兄がマフィアなのである。そして、教育者として彼は兄の生業に反対していた。

 ただ、やはり兄弟は兄弟だった。二人の間にわだかまりはあったのだが、弟のマンヌーは兄の更生を真摯に願い、兄のナンヌーは何だかんだ言って弟を可愛がっていた。とうとう弟の熱意に負け、ナンヌーはマフィア稼業から足を洗うことを決意する。だが、皮肉なことにその瞬間に悪徳警官の偽エンカウンターによって射殺されてしまうのである。

 兄の死を機にマンヌーは銃を取って復讐に乗り出す。教育で社会を変えようという若者らしい情熱に燃えていたマンヌーは、結局兄と似た道を歩むことになってしまう。だが、家族や警察を含む周囲は彼のそんな大胆かつ極端な行動を黙認する。教育者が銃を持つラストを肯定的に描いたこの映画は、物議を醸してもおかしくない。

 ただ、映画の肝になっていたのは、ナンヌーの死に関わった人物を次々に殺しているのがマンヌーだとはギリギリまで明かされないことだ。それまでは、殺し屋のバッルー・ターパーが犯人だとの前提で物語が進んでいる。そして、ナンヌーの師匠バーバー・バンダーリーが、自分を殺しに現れた人物を前にして長々と独白するシーンがあるのだが、バーバーを演じるサウラブ・シュクラーの顔だけが映し出されるだけで、誰に話しているのか見えない。このときのサウラブ・シュクラーの演技も見物なのだが、彼のその長い台詞の最後に「お前のような教養ある者が・・・」とあってヒントとなり、やっとマンヌーの顔が映し出される。「Family of Thakurganj」で一番監督が見せたかったシーンはここであろう。

 外見は太ったおじさんながら、時々監督もして、味のある演技もできるサウラブ・シュクラーの存在感が圧倒的だったが、ナンヌーを演じたジミー・シェールギルも良かった。マンヌーを演じたナンディーシュ・スィン、マンヌーの恋人スマンを演じたプラナティ・ラーイ・プラカーシュは弱かった。ナンヌーの妻シャルバティー役のマーヒー・ギルもいい女優であるが、本作ではあまり彼女が活かされていなかったと感じた。キャストの顔ぶれが「Saheb Biwi aur Gangster」とかぶっており、北インドを舞台にしたギャング映画という点も似ているので、どうしてもその延長線上で観てしまう映画だ。

 「Family of Thakurganj」は、ムンバイーのギャング映画とは一線を画した、北インドが舞台のギャング映画である。重厚な人間ドラマのような外観をしているが、意外に軽くて単純な映画であり、期待外れだ。優れた俳優たちが起用されているが、それらも最大限には活かされていなかった。残念な作品である。