Nakkash

4.0
Nakkash

 ザイガム・イマーム監督は、メジャーな映画監督ではないが、一貫した作家性のある映画を作り続けており、注目される。彼はこれまで「Dozakh」(2013年)と「Alif」(2017年)の2作品を送り出してきたが、どれもウッタル・プラデーシュ州にあるヒンドゥー教の聖地ヴァーラーナスィーを舞台にしており、イスラーム教徒の家族が主人公という共通点がある。2019年5月31日に公開された「Nakkash(彫刻師)」も、やはりヴァーラーナスィー舞台、イスラーム教徒家族主人公の映画である。

 キャストは、イナームルハク、シャリーブ・ハーシュミー、クムド・ミシュラー、ラージェーシュ・シャルマー、グルキー・ジョーシー、パワン・ティワーリーなどである。メインストリームの映画で脇役俳優として活躍しているものの、あまり有名ではない俳優たちばかりだ。悪くいえば低予算映画だが、舞台劇経験者であったり、演劇学校卒であったりして、実力で選ばれたキャスティングである。また、パワン・ティワーリーはザイガム・イマームと共にこの映画のプロデューサーも務めている。さらに、映画の最後に、「Dozakh」で主演を務めたラリト・モーハン・ティワーリーが特別出演している。

 舞台はウッタル・プラデーシュ州の聖地ヴァーラーナスィー。イスラーム教徒のアッラー・ラカー・スィッデーキー(イナームルハク)は、先祖代々の彫刻師で、現在はバグワーンダース・ヴェーダンティー(クムド・ミシュラー)が司祭を務める寺院の彫刻を担当していた。ヴァーラーナスィーでは宗教間対立が深まっており、無用なトラブルを避けるため、アッラーはイスラーム教徒の特徴がある服装を変えて寺院に入り、仕事をしていた。また、ヴェーダンティーの息子マヤンク・トリパーティー、通称ムンナー・バイヤー(パワン・ティワーリー)は地元の青年組織のまとめ役で、次の選挙への出馬を考えており、ヒンドゥー教至上主義政党からの公認を得ようと努力していた。

 アッラーは男やもめで、亡き妻との間に一人息子ムハンマドがいた。アッラーの親友サマド(シャリーブ・ハーシュミー)は彼に再婚相手候補としてサビーナー(グルキー・ジョーシー)を紹介する。アッラーは再婚を決意し、サビーナーの住むラクナウーを訪れる。アッラーはサビーナーを気に入り、結婚する。サビーナーはかつて恋人と駆け落ちをしたことがあり、訳ありだったが、美しい女性だった。

 アッラー、サビーナー、ムハンマドがヴァーラーナスィーに帰ってくると、家の扉には封印がしてあった。この間、サマドがアッラーの家に保管されていた装飾品を盗み、売り払おうとしたところで逮捕されていた。サマドは老いた父親をハッジに連れて行こうとしており、金が入り用だったのである。アッラーも共犯を疑われ逮捕される。アッラーはサマドの罪をかぶるが、ヴェーダンティーに詰め寄られ、自分は無実だと自白する。釈放されていたサマドが代わりに逮捕される。この事件のショックでサマドの父親は死んでしまう。

 それから10ヶ月後。アッラーがずっと取り組んでいた寺院の彫刻が完成した。ヴェーダンティーはラーマ生誕祭のときにお披露目をすると言い、彼を招待する。だが、アッラーがジャーナリストのインタビューに答えた記事が新聞に掲載される。政党から公認が得られることになっていたムンナー・バイヤーだったが、父親がイスラーム教徒に寺院の仕事をさせていると知られるのは政党にとって我慢できないことだった。政党幹部から叱責されたムンナー・バイヤーはすぐに対策を取らなければならなくなる。

 ラーマ生誕祭の日、アッラーは寺院へ向かおうとするが、サマドがハッジに行くというので、アッラーは彼に挨拶に行く。サマドに連れられてガンガー河の河畔へ行ったアッラーは、ムンナー・バイヤーの待ち伏せに遭い、刺されてしまう。

 主人公アッラーの仕事は彫刻師だった。木や石を彫刻するのではなく、金属板を加工して像を作る彫刻師である。確かにインドの寺院でよく見る装飾だ。特に劇中でアッラーが取り組んでいたのは、寺院の聖室の壁を飾る、金箔を塗った金属彫刻である。寺院から金の装飾品を預かり、それを溶かして金箔にして使用していた。

 ヒンドゥー教寺院でイスラーム教徒の彫刻師が仕事をしているというのは意外に感じられるが、元々インドでは多くの宗教が共存しており、あり得る話である。劇中に「仕事に宗教は関係ない」という発言があったが、正にこの実態を象徴している。アッラーの弁では、かつて彫刻師はモスクやダルガー(聖者廟)でも彫刻の仕事をしていたが、今はそれらから仕事を頼まれなくなり、専ら寺院で仕事をしているとのことだった。おそらくインドに原理主義的なイスラーム教の教義が浸透してきたことで、偶像を宗教的施設に置くことをよしとしない風潮が生まれたのだろう。アッラーら彫刻師にとっては、仕事がなければ飢えてしまうわけで、依頼主の宗教がどうあろうと、生きるためにはそれを受けるしかない。さらに、アッラーは父親から「ヒンドゥー教の神様もイスラーム教の神様も兄弟みたいなものだ」と教えられており、ヒンドゥー教の神様に対しても素直に敬愛の念を抱いていた。寺院のパンディト(僧侶)ヴェーダンティーも非常にリベラルな思想の持ち主で、アッラーの腕を見て彼に仕事を依頼していた。

 だが、ヒンドゥー教徒の間でも、イスラーム教徒の間でも、アッラーがヒンドゥー教寺院で働くことを面白く思っていない人が多数いた。わざわざ着替えをして寺院に入るアッラーの姿は傍から見て怪しく、一度は警察に捕まってしまう。アッラーが住むイスラーム教徒居住区でも、彼は爪弾き者であった。結局、彼はヒンドゥー教徒からもイスラーム教徒からも村八分のような状況に置かれていた。

 そんなアッラーにとって唯一心を許せる親友がサマドだった。彼はオートリクシャーの運転手をしており、アッラーや息子のムハンマドに優しかった。だが、ハッジを熱望する父親の存在が彼には重荷になっており、ハッジのためには大金が必要だった。サマドはあろうことか、留守中にアッラーの家に侵入し、彼が寺院から預かっていた金の装飾品を盗み出す。すぐにサマドが逮捕され、アッラーも巻き込まれてしまう。

 ヒンドゥー教寺院からイスラーム教徒が装飾品を盗んだというニュースが広がると、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間でコミュナル暴動が起きる可能性があった。ヴェーダンティーと警察がうまく事件をもみ消したおかげで最悪の事態は避けられたが、政治とマスコミがこの問題に忍び寄っていた。

 ヴェーダンティーの息子ムンナー・バイヤーは、ヒンドゥー教至上主義政党から公認を得て議員に立候補しようとしていた。この政党は誰が見ても明らかにインド人民党(BJP)である。また、ヴァーラーナスィーはナレーンドラ・モーディー首相の選挙区であり、いわばモーディー首相のお膝元だ。ムンナー・バイヤーは希望通り公認が得られそうになるが、そのとき運悪く、地元紙にアッラーのインタビュー記事が掲載される。ヴェーダンティーの管理する寺院にイスラーム教徒の彫刻師が出入りしているという報道は、宗教を集票に利用する政党にとって都合が悪かった。ムンナー・バイヤーはアッラーの暗殺に乗り出す。

 アッラーの暗殺に加担したのが、驚くべきことにサマドであった。サマドは金品窃盗の罪で刑務所に入っていたはずだが、いつの間にか釈放されていた。彼は一転して敬虔なイスラーム教徒になり、イスラーム教関連の書籍を売り歩くセールスマンをし始めた。だが、実はサマドはヒンドゥー教至上主義者たちと密通していた。ヒンドゥー教至上主義者たちの差し金で、サマドはイスラーム教徒たちを原理主義的な方向へ向かわせ、対立の火種を用意していた。サマドは突然ハッジへ行くことになったが、その資金もヒンドゥー教至上主義者たちから出してもらっていた。ヒンドゥー教過激派とイスラーム教過激派が裏でつながっているという衝撃的な事実が告発された形になる。

 ヒンドゥー教過激派とイスラーム教過激派は利害が一致しており、協力関係にあるという告発が映画の中で行われたのはこれが初めてではない。「Shorgul」(2016年)のラストでも、両宗教指導者が政治的利益のために協力して宗教対立を煽っていた事実が明かされていた。宗教を社会の切り口にして有権者の支持を集めようとする政治家にとって、宗教融和はマイナスでしかなく、宗教間の対立が維持された方が有利になる。「Nakkash」では、ヒンドゥー教至上主義政党関係者がイスラーム教の宗教指導者を育てていることすら示唆されていた。

 だが、この映画のメッセージはそれとは真逆のものだ。イスラーム教徒の彫刻師がヒンドゥー教の寺院を飾る素晴らしい彫刻を完成させたように、あらゆる宗教を信じる人が力を合わせて仕事をしていけば、美しいインドが出来上がるというメッセージが込められていた。

 イナームルハク、シャリーブ・ハーシュミー、クムド・ミシュラーなど、普段は脇役でしか見ない俳優たちが、主役や主役に近い役を演じ、底力を見せていた。このような低予算映画では、メインストリーム映画でスポットライトが当たりにくい俳優たちが逆に輝く。

 「Nakkash」は、ヴァーラーナスィー舞台、イスラーム教徒家族が主人公の映画を一貫して撮り続けているザイガム・イマーム監督の3作目で、今回は直球で宗教融和を主題にしてきた。中央やウッタル・プラデーシュ州の与党BJPによる、宗教で社会を分断して少数派を抑圧する政治への批判も含まれる。観て損はない映画である。