2019年2月8日公開の「Amavas(新月)」は、幽霊屋敷モノのホラー映画である。繊維業など幅広く事業を行うJMJグループの創業者ジャグディーシュ・ジョーシーの息子サチン・ジョーシーが主演をしており、プロデューサーも彼の妻ライナー・ジョーシーであるため、実質サチンが自分のために趣味で作ったような映画になっている。ちなみにライナー・ジョーシーとは「Naqaab」(2007年)や「Baabarr」(2009年)に出演していた女優ウルヴァシー・シャルマーのことだ。サチンと結婚後改名し、女優業から足を洗った。
監督は「1920: Evil Returns」(2012年)や「Ragini MMS 2」(2014年)などのブーシャン・パテール。ヒロインを務めるのは「Rockstar」(2011年)で一世を風靡したナルギス・ファクリー。他に、ヴィヴァーン・バテーナー、モナ・スィン、アリー・アスガル、ナヴニート・カウル・ディッローン、サビーナー・チェーマー、モニーシャー・ハスィーンなどが出演している。
ロンドン在住のカラン・アジメーラー(サチン・ジョーシー)は、恋人アハーナー(ナルギス・ファクリー)の要望に従い、サマーハウスを訪れる。カランはこのサマーハウスに嫌な思い出があり、ずっと訪れていなかった。だが、そんなことは知らないアハーナーはサマーハウスでのバカンスを楽しみにしていた。管理人のゴーティー(アリー・アスガル)が二人を出迎える。トラウマを抱えるカランのセラピーをしていた精神科医シヴァーニー・ロイ(モナ・スィン)は電話で彼に薬を欠かさないように指示する。 サマーハウスに着いてから両者とも異変を感じるようになる。カランはふいに「マーヤー」という女性の名前を口にするようになる。近くには学生時代にカランが住んでいた寮があり、アハーナーは彼に連れられて行くが、そこの寮母(モニーシャー・ハスィーン)からカランは常にサミール(ヴィヴァーン・バテーナー)ともう一人の三人組だったことを知らされる。アハーナーはその3人目がマーヤーだと考え、彼の元恋人だと直感する。 サマーハウスには開かずの部屋があった。アハーナーがその部屋に入ると、そこには多くのマーヤーの写真が飾られていた。アハーナーはマーヤーとの関係についてカランを問い詰める。カランはマーヤーについて語り出す。 カラン、サミール、マーヤーは親友だった。サミールはドイツに留学することになったが、出発の前日、酔っ払ったサミールがマーヤーを襲おうとし、カランに止められる。カランはサミールを追い出す。その後、カランはマーヤーにプロポーズをし、2人は結婚することになるが、あるときマーヤーは何者かに殺されてしまう。その後、カランはトラウマを抱えるようになった。 カランの過去を知った後も、サマーハウスの中では異変が起き続けた。どうもマーヤーの亡霊がそれを起こしているようだった。カランはマーヤーの亡霊に押されて階段から転げ落ち、重傷を負ってしまう。シヴァーニーもサマーハウスに駆けつけ、アハーナーと話をする。その後、遂にマーヤーの亡霊と思われていたものの正体が分かる。それは、ルーヒー(サビーナー・チェーマー)という名前の女性だった。実は彼女はマーヤーの妹であり、カランが姉を殺したと信じて彼に復讐しようとしていた。事情を知ったゴーティーも彼女に協力し、カランとアハーナーを怖がらせていたのだった。 アハーナーは、マーヤーを殺したのはカランではなくサミールではないかと思い付く。だが、実はサミールはもっと前に死んでいた。一旦追い出されたサミールは待ち構えており、カランに殴りかかってきた。カランとサミールが取っ組み合っている後ろからマーヤーがサミールの頭を殴り、殺してしまった。カランとマーヤーはサミールの遺体を埋め、誰にも口外しなかったのである。 サマーハウスではさらに異変が起き始める。まずはゴーティーが、次にルーヒーが惨殺される。実はカランにサミールが取り憑いており、新月の夜、サミールの力が最大になるのだった。サミールは完全にカランの身体を乗っ取り、アハーナーとシヴァーニーに襲い掛かる。シヴァーニーはサミールの遺体を燃やすが、何も起こらず、殺されてしまう。アハーナーはサミールの弱点である鐘を鳴らして彼の亡霊をカランの体から撃退するが、彼の跡はカランの体に刻まれていた。それを消さない限りサミールは消滅しないと知ったカランは自ら火の中に飛び込んで死ぬ。だが、アハーナーの体にもサミールの跡が残されていた。
実業家が散財して作ったホラー映画というと、過去にソーハム・シャーの「Tumbbad」(2018年)がある。この映画はヴェネツィア国際映画祭などでも上映され高い評価を得た。ヒンディー語ホラー映画の最高傑作に数えることができるほどだ。これは、いくら富裕者が金の力に任せて趣味の延長で作った映画であっても、情熱と才能と技術を注ぎ込めばいいものができる証明である。「Amavas」にも「Tumbbad」のような卓越した完成度を期待してしまうのだが、残念ながら定型的なホラー映画の枠組みを出ない、退屈な作品であった。
まず、主演のサチン・ジョーシーがこの映画の主人公に似つかわしくなかった。お世辞にも外見がいいとはいえず、しかもヒロインに長身でゴージャスなナルギス・ファクリーを起用してしまったために、スクリーンの中で彼女と並ぶと、サチンの野暮ったい外見がより際立ってしまう。
また、ナルギスはパーキスターン人の父とチェコ人の母の間に生まれた米国人であり、元々ヒンディー語は得意としていない。彼女の片言のヒンディー語は浮いた印象を受け、ホラー映画としての重厚さを醸し出す上での障害になっていた。つまり、サチンとナルギスは完全なミスキャスティングであった。
とはいってもサチンが自分のために作った映画なので、キャスティングからサチンを外すことはできない。それならばもっと自分と釣り合う女優を起用すべきだった。
「Amavas」は幽霊を巡るホラー映画だ。幽霊映画には大きく分けて2種類ある。幽霊は存在するという前提でストーリーを組み立てたフィクション志向のものと、幽霊は存在しないという前提で作られたリアル志向のものだ。後者の場合、幽霊だと思われていたものは、登場人物の不安定な精神の反映だったり、誰かの悪戯だったりする。後者の方がより高度なホラー映画になりやすい。この点では「Amavas」は二段構えにする工夫をしている。まずは悪戯であることが発覚し、次に本物の幽霊が現れて登場人物に襲い掛かるのである。だが、それがどちらも失敗していた。
カランとアハーナーはサマーハウスで徐々に幽霊に悩まされるようになるのだが、終盤でそれはカランの元恋人マーヤーの妹ルーヒーが管理人ゴーティーと共に行っていた悪戯であることが分かる。だが、ルーヒーの登場には何の伏線も用意されておらず、唐突に現れる。観客は幽霊らしき存在の正体を推理しながら鑑賞しているはずで、全く前兆のないルーヒーの登場は興醒めでしかない。
さらに、ルーヒーの登場後にはサミールの亡霊が登場し、一転して幽霊の存在を認める前提のフィクション系ホラー映画に移行する。実際に幽霊を見せてホラー性を出すホラー映画は一般的に幼稚であり、「Amavas」は結局この原始的なカテゴリーに落とし込まれてしまう。
また、精神科医のシヴァーニーが本業とは正反対のエクソシストのような役回りを演じ、アハーナーの危機を救うところも興醒めだ。この設定も取って付けたようだった。
ホラーシーンにおいても、効果音と音楽と映像で物理的に観客を怖がらせることに終始しており、深みが感じられなかった。
総じて「Amavas」は残念な出来のホラー映画といわざるをえない。ナルギス・ファクリーが出演していることだけが注目されるが、彼女にしてもA級スターではない。この映画を実質的にセルフプロデュースしたサチン・ジョーシーが自ら主演を務めているが、スクリーン上でのナルギスとの相性は最悪だ。金持ちの道楽で作られたホラー映画であり、それ以上の作品ではない。